6-6「トラブルメーカー」
────扉を開ければ、そこには『もう見慣れた後ろ姿』。
店の奥、作業台の前で両手を突くエリックに、ミリアは小さく目を見開き声をかけた。
「あれ? 来てたんだ?」
「………………」
(……あれ。反応ない。
……めっずらしーな〜……)
無反応のエリックに首を傾げつつ、そっと扉を閉め、近づいた。
しかし、歩み寄ってもエリックは反応を示さない。
カウンターに腕を突き、がっくりと頭を落として黙り込んでいる。
(…………? なんか見てるの?)
そんな彼に、小さく首をかしげて
ミリアはおもむろに手を伸ばし────……
「…………こうしてはいられない。行った方が早、」
「─────わっ!?」
──ぼすっ!
「ぶあ!」
ぶつかった衝撃に、ミリアは思わず顔をゆがめ仰け反った。
エリックの追突に、
ぎゅっと瞑る瞼、
ぐにっと潰れた鼻。
鼻に走る鈍い痛み。
反射的に右手が鼻を抑え、じわっと滲むのは涙である。
「……ちょっと~、いきなり振り返らないでよ、鼻打った~……」
「…………み、……ミリア?」
「はあい?」
ぽかんと言われて首を傾げた。
しかしエリックはいまだ、幽霊を見るようなまなざしでこちらを見つめている。
(…………うん…………?
なんか、いつもと違う…………?)
まばたきで疑問を散らす彼女。
明らかに雰囲気が変であった。
エリック・マーティンという相棒は、こんな時。
普段なら間髪入れず落ち着いた声を返してくるはずなのに──今日は、やたらと静かである。
(────へ。
────え……、なに……?)
奇妙な沈黙にミリアがのどを詰めたその時。
呆けていたエリックから
その一言は放たれた。
「……居なくなったって、聞いたけど……」
「……? いるけど?」
────言われ。
ポンと答える。
(──”いなくなった”って…………
──えっ?)
「…………」
落ちる静寂
刺さる視線
──状況が飲み込めないミリアの瞼が、高速でまばたき動き──
「…………や……、いる、けど……?」
誰よりも一番、状況のわかっていないミリアは
「────えっ?
なに? なにごと??
ゑっ????」
ただただ、挙動不審に間抜けな声をあげたのであった。
──向けられたのは、驚愕の視線。
言われたのは『居なくなったんじゃないのか』という寝耳に水の言葉。
昼食の中抜けを終え、帰ってきたビスティで、
状況が全く飲み込めないミリアはぐるりと目を配らせた。
通路をふさぐように、焦りの色を残し
『ぽかーん……』と立ち尽くすエリックと
視界の隅。
移り込んだカウンターから、はみ出す2つの赤い帽子に────
(────あ~~~~……)
──悟った。
全てを理解した。
「────ぴぃ~~~~~、ハニぃ~~~~~。
まーた大げさに伝えたでしょ、も~……」
ぐぐんと眉を下げ、肩を落とし。
まるで母親か姉のような口調で言いながら、彼女はエリックを横目に店の奥まで踏み込んだ。
覗き込むのはカウンターの奥。
そこで小さく震える『ピィ』と『ハニー』に────ため息をつく。
『ピィ』と『ハニー』。
ここの従業員であり、職人で、少々”難あり”なのだ。
その”難”に、きっと。
エリックが思いっきりぶち当たったのだろうと予想を立てつつ、ちらりと気配りをすれば、そこにあったのは未だ困惑している様子の彼だった。
(────あぁ……間違いない……あぁ……)
と、心の中で涙を拭う。
状況は揃いまくっている。
(────たぶん……
おにーさん、来る・わたしのこと聞く・ぴぃが混乱ってとこ……かなぁ)
──それらを想像し、軽く眩暈を憶えるミリアの内心などつゆ知らず
とにかく叫ぶピィと
一言目にドモるハニーは
『────わあ!』と勢いよく彼女に駆け寄り『ひしっ!』と抱き着くと、
「ぴやあああっ! りりーさあんっ!
ピィは、ピィはちゃんと伝えましたよぉ!」
「リ! リリー!
それより、このオトコは誰だ!? ニンゲンかっ!?」
「りりぃさぁん!
ピィは、ピィはちゃんと伝えたんですう!」
「リ! リリー!
誰だこいつ!? せ、説明してくれっ!?」
「…………えーと。ちょっと落ち着いて、二人とも?」
二人交互に言われ、ミリアは情報を処理するように声をかけた。
ピィとハニーに視線も声も行くが、神経が向いているのはエリックの方である。
ピイとハニーだけならまだしも、『ここに立ち会ったエリック』への対応まで考え気もそぞろであった。
エリックの『子どもに対する経験値』はさっぱりわからない。
しかし、ピィとハニーは『ただの子ども』ではない。
たとえエリックが100の現場を経験した家庭教師でも、彼女達に手を焼くのが目に見えている。
──と、同時に
(やばい、絶対いろいろ捻じれてる。絶対色々やばい……!)
頭の中で。
高速に『ここで起こったかもしれないあれこれ』を想像しながら、頬を固めた。
ミリアが『ヤバイ』を湛えた瞳で見つめる『ピィ』と『ハニー』。
特にこの────
うるうるとした
桃色の眼差しを向けてくる『くせっけの少女『ピィ』は────『物事を大げさに言う天才』なのである。
端的に言えば『トラブルメーカー』だ。
(────ああ~~~~っ……! もう叫びそう! あああああ~~~~っ!)
と、喉元まで出かかった悲鳴を飲み込み息をして、ミリアは、まず。
鮮やかなレモン色のツインポニー『ハニー』の頭を
赤い帽子の上から”ぽんぽん”と優しく叩くと、
ふんわりと瞳に諦めを含んだ優しさを宿して、
「ハニー? うん、『にんげん』。
人間だよ? 『エリックさん』。
前に話したでしょ?
『にんげん』の『エリック』さん」
(──まずは、いっこいっこ……!)
とミリアがこっそり頬に汗をかきつつも、ぐっと腹に力を入れる、視界の先で。
ハニーは小さな声で
『そそそそ、そうか!』とこくこく頷き
今度はもも色くせっけのピィが、涙声で言うのだ。
「りりーさあああん!
ピィはちゃんと伝えましたよおおっ!」
「んーっと。
うん。
ピィの『ちゃんと』は『ちゃんと おっきく』だからなあ〜〜。んーっと〜、とりあえずアリガトウ~~」
よしよし。
なでなで。
良い子イイコ。
(──────はぁ────~……)
ぐずぐずぴえんと泣きつくピィに、バレぬよう、こっそり虚空に息を溶かした。
────ああ、まさかこうなってしまうとは。
(……おひるごはん、
食べに出るんじゃなかった……!)
ピィとハニーをあやしながら、猛烈にランチ外出したことを後悔した。
後の祭りではあるのだが、
もしこれを事前に知っていたのなら、
エリックがくるとわかっていたのなら、
隠し持っているドライトマトをかじって終わりにしたというのに。
(──── 一生の不覚……!)
ミリアは、自分の後ろ。
確実なエリックの気配に神経を注ぎながらも、目の前の小さな二人を交互に、見つめながら微笑むと、
「──ピィ? ハニー? あのね?
とりあえず〜、あとで説明するから。
二人とも〜、バックヤードにいてくれる?
お留守番、ありがとね」
────その、優しさを全面に出した声に、ピィとハニーの瞳は輝きを取り戻し、二人は顔を見合わせ、とたとたと歩き出した。
────小さな足音が”ぱたん”という音と共に、扉の向こうへ消えた時───
「────あ~…………、えーっと」
しんっ……と静まり返った店の中。
『まずはどうしよう』を醸し出しつつ振り向けば
『訝し気な顔つきのエリック』。
その『どういうこと?』と言わんばかりの表情に、
(────まあっ、うんっ、気持ちはわかる!)
と一瞬
その困惑を残した暗く青い瞳に、ミリアはちろりと目を向け──
余裕を称えて微笑んだ。
「さっきの『ピィとハニー』。
ここの職人さんなの」
「……あの二人が? 子どもじゃないか」
「……え────……、うん────~……」
────言われ、一瞬。
取捨選択する『周辺事情』と『これからのこと』。
彼女は瞼の中で瞳を迷わせ、
作業台上のハサミを手に取り片付けつつ、彼の様子を伺いながら口を開くと
「……まあ……
この先、話すこともあるだろうから、言っておくね?
あのふたり、エルノームなんだ。いしゅぞく」
「…………エルノーム……!?」
「そ。あれでも御年80のだいせんぱい」
驚く彼に、ミリアは続けた。
「ペールピンクの癖っ毛ちゃんが、ピィ。
レモンイエローの二つ縛りちゃんが、ハニー。
ナガルガルド継承戦争《 ナ ガ ル ガ ル ド 》の 時に、こっちに流れてきたんだって。
それ以上のことはわたしも知らない~」
説明する彼女の手元で、作業台上の道具が次々仕舞われ、カタンカタンと音を立てる。
「ピィとハニーは、あの子たち体が小さいでしょ?
エルノームの中でもミニマムちゃんなんだって。
ここって、条例で16歳以下の労働、原則禁止じゃない? だから工房の中とか、外から見えないところでしか働けないというわけ。
どこをどう見ても10歳程度の子どもだし、このへんって異種族への免疫低いじゃん?」
言いながら肩をすくめるミリアは、諦めと苦笑を交えた瞳をバックヤード裏の方向に投げると、『はあ』と短く息を付く。
その声色に、キチンと滲むのは『苦労の色』だ。
「特にピィの方がね~。
人に何かを伝えるとき、コトをおっきくしちゃうの。
ハニーは男の人の前だとあんな感じでテンパっちゃうし。
……ごめんね? びっくりしたでしょ。
あの二人を一気に相手にするの、大変だったよね?」
「…………ああ」
「悪気はないんだよ~、ああいう子たちなの。接客とか本当に無理でさあ。
だから、基本バックヤード。
まあ〜エルノームは”縫物の妖精”って言われてるぐらいだから、天職だと思う~。
実際、仕上がりはすっごく綺麗だしね~」
エリックが喰らったであろう混乱を労いつつ、ピィ&ハニーの説明をしながら。
片付いた作業台の上を見て、ひとつ
切り替えるように気を吸い込んだ彼女は、くるりと振り向き、エリックに体を向けると、
「──で、どしたの?
出かけるところだったのでは?」
からりとした声で聞く。
──その、何もわかっていない様子に──
エリックは、黙った。
「…………………………………………」
「? おにーさん?」
不思議そうに
首を傾げる彼女に
──すぐさま・言葉は・出ない。
「………………」
ミリアが言葉を待っているのはわかっているが
彼は今、鼻から気持ちを逃がすことしか、できなかった。
エルノームについては、わかった。
桃色くせっけの少女『ピィ』に翻弄されたのも、わかった。
しかし、エリックが処理しきれないのはそこではない。
(────『どうしたの』、じゃない)
無事だったのは『よかった』。
何もなかったのは『よかった』。
しかし。
(────『出かけるところだった?』じゃない)
じわじわ。
ぐつぐつ。
腹の、奥の奥の方。
湧き出すのは 怒りだ。
(そんな、軽く聞かれたくない)
いきなり消えたと言われて、いきなり現れた。
それがピィの仕業であり彼女の過失ではないとわかっていながら
感情の処理がつけられない。
黙る顔に険しさが走る。
ぐっと握る拳に力が入る。
先ほどまでの焦りを、心配を、どこにもっていけばいい?
(────焦って。色々、考えたんだ)
──と、思いはするが。
『それはあくまで自分の感情で』
『事実とは違い』
『隔離すべきものだから』
『処理をしなければならない』
『無事ならそれでいいだろう』
と頭が訴えかける中。
目の前で、きょとんとしている彼女に
彼の、わずかに残った『冷静』が紡ぎ出したのは
『どうしても確認したいこと』だった。
「────あの二人に、聞いたんだけど」
「ピィとハニー? うん」
──それは、彼にとってはタブーの質問。
返答によっては──彼の思いを砕く質問。
──聴きたくない。
聴きたくないが、しかし。
────聞かねばならない。
襤褸布の坩堝という──
スラムであり歓楽街であり、掃きだめの人種がいるようなところに
”入ったのかどうか”。
(────行ったのなら何をしてきた?
まさか、下世話な男遊びでもしてきたのか?
君はそういうものに興味がないと思ったけど?
それとも醜悪な連中と関りが?)
心の中に棘が出る。
ありとあらゆる想定を頭の中でめぐらせながらも
『行ってないよ』
『行かない』を望む彼の口から
それは、放たれた。
「…………アルトヴィンガに行ったって……本当?」
「うん」
「────『なんで』?」
「んっ? 馬車で?」
「ふざけてるのか? 移動手段を聞いているんじゃない。俺が聞きたいのは、目的の話だ」
「もくてき? え? 『用事があった』から?」
(────『用事』…………)
ミリアのけろりとした返答に
彼の目つきは鋭く砥がれ────
「…………襤褸布の坩堝に?」
「うん。職人の道具箱に」
身分の違いは、価値観の違い。
職業の違いは、出入りする場所の違い。
貴族であり盟主の彼に届く情報と
平民であり工房勤めの彼女が行き来する場所の違いは
時に悪戯に
衝突を引き起こす。
#エルミリ
▶
レアル嬢
ドミニク男爵
エルヴィスに相手にされていない貴族




