6-3(1)「丸ごと不機嫌お嬢さま」
踵を鳴らして通りを駆ける
消えぬ不安を振り切るように
彼はチェシャー通りを行く
求めるのは安心だ
昨夜自分を苦しめた悪夢への否定だ
ただ、ひとめだけでいい
いつもの彼女の姿を見たかった
狭い視界で捉えるのはビスティーのドアノブ
変わらぬ店構えなど目もくれず
彼はそれを引き抜いて────
「────ミリア!」
────ガッ コン!
「────!?」
声とともに扉を引き、響いた音と衝撃に目を開いた。
無意識・無作法に『ガコンガコン』と音を立てる手の先の扉から、順に捉えるのは『closed』の内プレート。
その事実に気が付き
彼は、すぅ──っと息を吸い込んで────
(────鍵、……そうか、休み、か……)
肩を下ろし呟いていた。
よく考えれば、おとといの舞踏会まで修羅場だったのである。
当日、彼はビスティーに居合わせることはできなかったが、タイムスケジュールを見る限り朝からみっちりと予約で埋まっていた。
連日の修羅場から、続けてそれをこなしたのだから、休業日なのは当然だ。
それでもこっそりと窓から店内を覗き見る。
ぐるりと目配せした店内は綺麗に片付き、平穏を取り戻しているように見えた。
『店は無事だが彼女は居ない』、この現状に
エリックの脳内、ミリアの
『明日は昼まで寝る。絶対寝る』の一言が蘇り、
────ふう…………!
息を吐き切り、ビスティーの扉に背を預けた。
(────そうだ、落ち着け)
途端、広く拓けた視界の中
見上げるのは商店街の空
淡く青い夏空。
戻ってきた人々の声。
屋根から聞こえる鳥のさえずり、吹き抜ける八月の風。
────『平和そのもの』だ。
変わらぬ街の中。
いつもの様子。
迎えてくれたそれらに、彼は肺を膨らませるように大きく息を吸い込み首を振る。
「────……どうかしてる。
……火事も、事件の報告も、受けていないのに」
杞憂だった。
やっぱり、夢は夢だった。
安堵と共に流れ出るのは、自分への呆れである。
しかしそれでも一瞬
(────ミリアの家まで行ってみるか?)
と、不安な脳が提案を寄越すが────
(……いや、今日は疲れているだろう。
あれほど頑張っていたのだから)
と、静かに却下する。
冷静さを取り戻した脳は、クリアに
現状と仮説を並べ立てていく。
(……それに。
彼女の家は『知らない』ことになってるしな。
気味悪がられるのは困る)
──ひとつ呟き打ち消して。
彼は、僅かに反動をつけ扉から背を浮かせ、そっとビスティーを後にした。
──────夢は夢だ。
大丈夫。
(……ミリアの事だから、今日あたり鳥のトマト煮でも食べてるだろ。……いや、まだ寝ているかもしれない)
と、8月の朝に
彼女の顔を思い浮かべながら。
会議はいきなり、暗礁に乗り上げていた。
シルクメイル地方・オリオン領西の端。
女神のクローゼット『ウエスト・エッジ』の中枢・ミリ―ア通りに佇む、一軒のスタジオ内。
この街の服飾産業を支え、大きく飛躍させた『広告塔の発信地』・『ラボトリー”ピク・ジュリア”』の会議室で、大人三人は沈黙を持て余していた。
「──……っ!」
ツン! とそっぽを向き、不機嫌を顕わにする金髪碧眼の『モデル ココ・オリビア』。
「…………~~~……っ」
顔面を真っ白にしながら、涙をためて俯くスタイリスト。
「…………、…………」
そして、
エルヴィス・ディン・オリオン──いや、
『モデル リック・ドイル』の三人が醸し出すそれぞれの空気で、室内はもはや最悪だった。
『………………』
殺風景だが
滑らかに均された
岩づくりの部屋の中
置かれた状況に呆れた息をつくのは、エルヴィス──……いや、リック・ドイルである。
エルヴィスが”リック”としてここに着いたのは、つい5分ほど前のこと。
来季のプロモーションと、モデルとしての衣装合わせやスタイルチェックを兼ねて、打ち合わせに来たのだが……
リックを出迎えたのは、オリビアの怒号。
耳をつんざく声に顔をしかめつつも割って入り、萎縮しきったスタイリストとオリビアに事のいきさつを尋ねるが
リックさえも睨みながら
ツン! と腕を組んで何も言わないオリビアと
もはや、会話にならないほど萎縮しきっているスタイリストで『全く話にならない』。
格調高い椅子や机。
広告撮影に必要となる白い板や作り物の花が隅に置かれた室内で、
(……いや……、俺も時間がないんだけど……)
と、苦々しく目を細めるリックは、用意された席の前、資料に目を落す。
用意されているのは、今冬広告販売戦略だ。
実は彼、この資料を見るのは初めてだった。
『紳士服の広告塔に!』と言われたのが一年半ほど前。
『とにかく着てポーズ取ってくれればいいです!』と、言われるがまま従っていた。
服飾産業で栄えた街の盟主とはいえ、服に興味があるわけでも、造詣が深いわけでもない。
縫製ギルドの結束は厄介さは肌で感じていたし、産業と政治は別と考え、ここでは『あくまでも』『モデルとして連れてこられたリック・ドイル』として勤めていた。
着ろと言われたものを着て、ポーズを取るだけ。
年に数回、それっぽく。
時間もそれほどかからず、紳士服の産業に貢献できるのならば安いものだと勘定した。
それでも魔具ピク技師に『立ってるだけでいいです』と言われた時は、さすがの彼もどうしようかと思い、すかさず『指示ぐらい欲しいんだけど』と毒づいたわけだが。
しかし、この前。
彼は、そんな自分の姿勢とラボの在り方に疑問を抱いたのである。
『モデルをしているのに総合服飾工房のミリアの言うことが、まるでわからなかった自分』と。『それで良しとしているラボトリーの姿勢』に。
まあ、モデルである前に盟主の彼に『そこまで教えるのは』組合としても抵抗もあるだろう。それらも鑑みて、深くは関わらないつもりであった。
組織を運営する上で『ある程度の灰色は許容範囲』である。
彼とてそれを認識していたし、ギルド側からしたら『監査に入られている』ようなものだと解釈していたからだ。
しかし、そのままでは不味いと踏んだ。
この先を見据えるのなら、今の形態は推奨されるべきではない。
元祖モデルのジュリアと
現役モデルのオリビア
そして周辺の広告組合という『身内運営』は、この先必ず破綻する。
彼の学んできた経営学や経済学、並びに帝王学がそう言っている。
身内であればあるほど、寄り目や贔屓目が出る。
正常な判断ができなくなる。
────それは、困るのである。
それを危惧して、『リック・ドイル』兼・本名『エルヴィス・ディン・オリオン』閣下自ら、広告産業に足を突っ込むことにしたのだ。
(────もちろん、立場はわきまえるけどな)
と、胸の内で呟くエルヴィス──、いや、リック・ドイルは改めてもう一度、この場に目を配らせて息をついた。
……会議に来たはずなのに、今やるべきことは『喧嘩の仲裁』。これを『うんざり』と言わずになんと言うのだろうか。
まったくもって時間の無駄だ。
リックがそれら様子を窺っている間に、空気が穏やかになれば幸いだったのだが、怒ったオリビアとスタイリストのあいだは、いまだ凍った雰囲気が流れ続け、溶ける気配もない。
(……はあ……空気が悪いな……
俺が云えたことではないが、オリビアはへそを曲げると手が付けられない)
と、資料から目を移さず息をついた。
──正直。こういったことは珍しくなかった。
オリビアはモデルの娘であり、グロスター伯爵公の愛娘でもある。
昔から『蝶よ花よ』と育てられ
どこに出しても恥ずかしくないワガママ娘の伯爵令嬢。
その扱い辛さは──お察しの通りだ。
それでも最近、少しは社会性を身に着けたものの
彼女の『美貌と財力』『後ろ盾』の前でたてつくものなどそうは居ない。
また、彼女は仕事に対して・自分自身の価値に対して、矜持を持っているようで、そこもたびたび、トラブルの原因になっていた。
そのプライドのおかげで
母親の『ココ・ジュリア時代』に負けず劣らず
服飾業界は広告塔が変わっても、伸び悩むことなく飛躍の一途を辿っているのも、ゆるぎない事実なのだが──
(────ジュリア殿から話は聞いていたが……
……これは、厄介だ)
と、一言。
すまし顔で考える。
(……まず、何があったか聞き出さないことにはどうしようもないな。……こういうタイプが一番面倒なんだけど)
ゲンナリ気味に呟き、一拍。
最初の一手は縮こまっているスタイリストへ。
『穏やか』と『静か』を意識して、澄ましたまなざしを用意し、顔を向け問いかける。
「…………君、名前は?」
「……ちぇ、チェチリア・ベネティと申します……」
「──そうか。ここの仕事は初めて?」
「…………」
こくんと頷くチェチリアは、リックを見ようともしない。
完全に固まって、テーブルの上を一点に見つめ萎縮しきっている。
──リックは続けて淡々と言葉を送る。
「…………初めてならば、勝手もわからず混乱しただろう。
到着が遅くなり、悪いことをした」
「……い、いえ……!」
「萎縮することはない。
……だが、申し訳ないが、今日のところは席を外してくれないか? 君と彼女の間に何があったのか分かりかねるが、当人同士では言いにくいこともあるだろう」
あくまでも静かに、平坦に。
それでいて穏やかな口調を心がけるリックの雰囲気に、スタイリストのチェチリアに色が戻っていく。
その変化をつぶさに感じ取りながら、リックはさらに気遣いを乗せ、寄り添うように瞳を送ると、
「次に君が勤める時には、穏便に事が進むよう、手はずを整えておくから」
「……ドイルさん……」
「そんな顔をする必要はない。ここは、俺に任せて。
君は自宅でレモンとナッツのケーキでも食べたらいい」
リックの言葉を受けたチェチリアは、おずおずと立ち上がり、両手で胸を抑える『謝辞』を送り素早く立ち去っていった。
その小さな背中が壁の向こうに消え、足音も聞こえなくなった頃。
リック──いや、
エルヴィスは短い息とともに、オリビアに目を向けると、
「────で、どうされました? オリビア殿?」
冷めた口調・辟易を込め、隠さないエルヴィスに。
オリビアは、つ────んと青い目を向け
「──────ふん!」
と、そっぽを向いたのであった…………
#エルミリ
▶ スネーク・ケラー
エリック(エルヴィス)の嫌いな天敵。
総合ギルドのギルド長。
糸目のにこにこ「喰えない男」




