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6-2(2)「ハリボテの傀儡(うつわ)」





        ドンっ!!












「────っ!」


 取り戻すように息を吸った。



 どろりと開けた瞼の向こう側、飛び込んでくるのは夜の闇と、仄暗い天井だ。背中に突き上げるような衝撃を受けた気もしたが、エルヴィスは今それどころではなかった。





 ──どっ、どっ、どっ、どっ、どっ、どっ、どっ、どっ、




 鼓動が煩い。

 猛烈に感じ始める背中の熱。

 呼吸も浅い。苦しい。

 


 自身を取り戻すように激しく流れる『感覚』が、どろりと重く鈍い瞳と脳みそに追いつかず、ただ、数秒。



 呼吸だけを耳に、動けなかった。




「…………────……」



 愕然と闇を見つめて、ひとり。

 背中で鼓動を感じながら、ひとり。




 夢か。

 現実か。



 判断のつかぬまま、瞳をぐるり。




 闇の向こうに広がる自室の天井を見る。

 ブランケットを握りしめていた指を握りしめる。



 熱く汗が噴き出す背中

 未だ止めている息。


 ひとつ、ひとつ、状況を確認し

 

 


 ────すっ。




 はっ、


 はっ、


 はっ、

 ハッ、


 ────は────っ…………



 

 ゆっくり。

 ゆっくりと息を吐き出し、身を、起こした。






 ああ、背中が熱い

 心臓が五月蠅い

 額に、うなじに、じっとりとした嫌な汗

 前髪が湿っている

 触らなくてもわかった

  




(────久し……、ぶりだ……)




 『見せられた夢』に愕然と呟いた。


 溢れ出す心の声が情けない。

 確かめるように開いた手の、指が小刻みに震えている。




(…………解っている。わかっている)




 誰にともなくそう言って、項垂(うなだ)

 祈るように合わせた両手で顔をこすり上げる。




 震える指先が額の汗を押し上げながら潰していく。

 絡みつく汗さえも、じっとりと煩わしい。

  





 この『過去を圧縮したような悪夢』は、初めてではない。



 当時のことはもうはっきりとは覚えていないが何度も何度も夢に見る。




 『今までの人生』を

 『あの頃』を

 『背負いし罪』を

 『自分の立場』を

 

 『 忘れるな 』と(くさび)打ち付けてくるような夢。



 そのたびに、彼はこうして飛び起き、息を整え過去を呪い、宵闇に一人、背を丸め過去を悔いてきた。






 あの頃から、ずっと。








「────フ!」

(────忘れたわけじゃない)




 ああ、心底可笑しい。

 自分がそれを、忘れるわけがないのに。

 一日たりとも、忘れたことなどありはしないのに。 

 


 瞬間的に『いい加減にしてくれ』という気持ちも滲みだすが、エルヴィスはそれを素早く叩き潰した。



 自分にはその『罪』に対して

 『いい加減にしてくれ』などと言える資格など、持ち合わせていない。





「…………わかっている」



 しかしそれでも、身体を落ち着けるように。ゆっくりと息を吸い、吐き戻し、もう一度、罪をすり込むように呟く。







 ────忘れられるはずがない。

 


 過去は還らない。

 いくら謝罪の言葉を口にしようが、女神に懺悔しようが、彼らは戻りはしない。




 身分は変わらない。

 いくら立場に辟易としようが、吐き気を押し潰そうが、自分の生まれから逃れることはできない。





 ──そんなことは、言われなくとも 分かっていた。





 



 自責とむなしさに駆られる彼に、追い打ちをかけるように。

 



 次の瞬間、『見えた』夢の一部に顔が歪む。


 

 

 


 ────炎に包まれ命を絶ったシェリルたちへの焦りを打ち消すように『闇に響いたあの声』






 ────『無理だよ、おにーさん』







「────どうしてそこにミリアが混ざる……っ!」





 絞るように吐き出していた。

 今までは『過去を圧縮しただけ』だったのに


 先程脳が見せてきたのは、『今の相棒の死に様(エガオ)』。





 その、(むご)たらしくも悲しい(さま)


 痛烈が走る。

 




「────っ……!」


 噴出す感情を握りつぶすように、口元を覆った。

 声にならない唸りと焦りが溢れてたまらない。



 鼓動はまた再び嫌な音を搔き鳴らし、

 どくどくと騒ぎ始め、息は短くなっていく。





 『考えるな』という方が無理だ。

 『あんなもの』は見たくなかった。






 ────あんな


 恨みと

 妬みと



 悲しみを込めた、


「────夢は、(ゆめ)だろう……!」



 

 言葉が口を突いて出る。

 散らすように吐き出すが、焦燥も不安もどんどん噴出してくる。





 心に余裕?

 大丈夫だという楽観?

 どこをどうしたらそれが出る?

 


 

 振り向き見せつけられた『表情』が 鮮烈に蘇り

 どうしようもなく心を(えぐ)り、溜まらなく不安でどうしようもない。


 夢は夢だとわかっていながら、心のざわつきを抑えられない。




 そんな彼に追い打ちをかけるように

 脳内の悪夢(まぼろし)は笑いかけるのだ。





 『オニーサン、ワタシのことだって』




 『たすけてくれなかったでしょう?』

(────”助けてくれなかった”って、なんだよ……!)




 響く声に息ができない。



 ────あの顔が、声が無性にざわつかせる。

 本当なら、今すぐにでも安否を確認しにいきたい。





 もどかしさを宿した瞳が薄闇の向こうに時刻をとらえた。その数字に息をつく。『深夜1時だなんて、さすがにこの時間に外を出歩くのは、男の身でも憚られる』と、脳が素早く常識を並べたてる。



 ビスティーは開いていないし、ミリアも眠っている頃だろう。夢を真に受けて走ったところで、無駄足になることは請け合いだ。


 

 それは、わかってはいるのだが。





「────っ……!」



 どうしようもなく、不安だ。

 『安否を確認できない』状況が、思考を、嫌な方、嫌な方へと導いていく。





 『もしかしたら』

 『今まさに?』

 『ビスティーが燃えているかもしれない』

 『けれど、だとしても彼女の住まいは』

 

 『いや、しかし』




 渦巻く思考に、頭を抑えて

 エルヴィスは静かにベッドを降りると、

 救いを求めるように窓の外を覗き込んでいた。




 いくら覗き込んでも、屋敷からビスティーや彼女の家が見えるわけではないのだが



 それでも、燃えているのならば

 異変が起こっているのならば

 

 街のざわめきも、光も煙も見えるはずだと、推測をして。






 ────しかし。



 そこに広がるのは、静かな静寂。

 夜のしじまに煌々と降り注ぐ、白銀(しろがね)の光。

 庭池の水面に反射しゆらゆらとたゆたう(さま)は、人の心を惹きつけ、安寧へと誘う──のだが





 彼の心は収まらなかった。







「──────……」

 




 そっと、窓ガラスに手を触れる。

 固くひんやりとしたソレに、体温(ねつ)を失いゆく人の様子が重なって





「…………っ!」



 再び、口を固く閉ざした。




 ループだ。





 ──アレ(・・)


 ただの幻であろうが


 夢の一面であろうが



 見たくなかった。

 目にしたいものでは無かった。

  


 悪い冗談とも言えない。

 最悪な幻だ。




(────……皮肉だろうか。それとも、懺悔の催促だろうか)





 ソレが出てきた理由を探し、

 トン、と窓ガラスに背を預け、足元を見つめ呟く。



 見下ろす先は、自らの脚すらはっきりとは見えない闇が広がり────







 重なる。

 重なる。


 闇が『夢』と重なる。




 貴族という名の化物が這い出る闇と重なって


 再び恐怖が渦を巻く。




 しかし、それを瞬時に呑みこむ様に

 勢いよく噴出し、彼の心にまん延したのは、滑稽と嫌悪を凝縮したような感情だった。




 ────ハ! ハハハハハハ……っ!




 口元が嗤いに歪む。

 滑稽だ。

 滑稽で仕方ない。

 


 笑いも乾く。

 ちゃんちゃらおかしかった。






(────愚かだ。滑稽だ。笑い種もいいところだ)




 夢だとわかっているのに恐怖を覚える自分も

 足を掴み袖をつかみ、べたべたと纏わりついてくる貴族の手(バケモノ)も。

 


 何もかもが可笑しい。






 奴らは言うのだ。

 煌びやかな衣装を身に纏いながらも

 どぶ攫いの乞食のように




 『盟主様』

 『盟主様』

 『盟主様』


 『オリオン様』

 『オリオン様』

 『エルヴィス様』



 繰り返す。

 繰り返す。

 繰り返す。



「────ハッ!」





 (やかま)しい呪言(こえ)に嗤いが吹き出して仕方ない。



 ああ、おかしい。

 馬鹿馬鹿しい。




(…………何が盟主だ。

 お前らが無様にも縋り纏わりついているのは、ハリボテの傀儡(うつわ)だということがわからないのか? 『オリオン』でなければ、『盟主の息子』でなければ、ゴミを見る目を向けるのだろう?)



 ああ、空しい。

 何も見えちゃいない。





 どれだけ勤勉に励み成果を出しても、ついて回るのは『オリオン』だ。

 どれだけ抜本的な改革を提示してみても、二言目には『オリオン』だ。




 『盟主の家に生まれたから』

 『あそこの家の人だから』

 『国のトップだから』



 『だから』

 『だから』


 『だから』が 自身を否定する。





 『個人(おまえ)には価値はない』と否応なしに叩きつけてくる。





(…………”立場を失えばゴミ扱い”。

 ────いや、立場があった分、落ちぶれた時は嘲笑の的か)

 


 

 落ちていく。




 奈落の闇はどこまでも、不安定な心に流れ込み



 落ちていく。






(……そもそも、俺に盟主の資格などありはしない。

 シェリルも、マイクも、ヘレンも。俺に関わりさえしなければ、命を奪われることは無かった)




 


 懺悔と

 罪の意識と

 自己否定が混ざり合う





 亡くなってしまった者へ

 出来ることなど何もなく


 

 日々 日々

 葛藤は募っていく





(責務なのはわかっている。

 逃げも隠れもしない。運命は背負う。

 しかし、たった三人だ。たった三人すら守れない俺に、盟主など……っ!)





 ────『たすけて、くれるの?』




「…………」



 奈落に声が響いた。

 強烈な自己否定が、少し和らぐ。


 どこまでも落ちそうな意識が、”ふっ……”と止まって息を止めた。






 まるで心を掴まれたような感覚に

 彼が黙り戸惑う刹那

 断片的に蘇る、はちみつ色の丸い瞳は問いかけてくる。






 『たすけてくれるの?』






(────そうだ)



 現実の彼女は『助けてくれなかった』などと凄惨(せいさん)な顔で(わら)わなかった。


 ただ、不思議そうに、はちみつ色の瞳を丸めていた。


 



 その瞳は驚きに満ちていて(とき)を奪われたのを、覚えている。

 




 ──『助けてくれるの?』


 『ガラじゃないって感じじゃなかったけどな〜』

 『死んだら悲しいの。命、大事に』




「…………」



 ひとつひとつに

 軽くなる





 闇の中

 やわらかな光が差したような

 小さな光が灯ったような



 そんな感覚に包まれて、エリックは大きく息を吸い込んだ。





(…………そう。そうだ。護ると決めた。助けると言った)





 『助けてくれなかった』と言ったのは(ゆめ)だ。

 悪夢が見せた妄想だ。




 過去

 『助けられなかった』のは事実だが

 『彼女を助けなかった』出来事など起きていない。





 ──────……、


 彼は

 すっと背筋を伸ばした。

 もう一度息を吸い込み、肺を広げる。



 

 整えた背中越しに目を向けるのは、窓の外。



 広がる景色は、先ほどよりも穏やかに、ありのままで彼の視界に映り込み────





(……焦るな。焦るな。

 今、いくら気を揉んでも仕方ない。

 こんな時間に守衛が出してくれるわけもないし、そもそも橋が上がっていて通れないだろ)





 少しばかり息をつく。

 自分をなだめるように、言い聞かせるように意識して。






 庭池の

 水面たゆたう月明かり

 ひとみ逸らして見据えるは 


 闇夜を満たした部屋の中






 慣れた瞳で暗闇を探り、窓際を後にすると、魔具ラタンに手をかざし、拵えのいい机の椅子を引く。






 正直、気持ちはまだごちゃついているが、先ほどより少しマシになった。


 しかしまだ眠ることはできないだろう。




 彼は、艶やかな机の上に手を置き。上質なクッションの付いた椅子に腰を下ろして引き出し開けた。



 少々雑に放り込まれている手紙やそれらの奥に、革張りの手帳が一つ。




 黒い背表紙を無造作に広げ、机に押し付けると、ガラスペンの先を押し当てる。







 ────気を揉んでも仕方ない。

 急いても意味がない。


 今はただ、闇夜が開けるのを待つだけだ。





 そう言い聞かせながら

 走るペン先に、意識を乗せた。

 



















(──落ち着け、落ち着け、焦るな、焦るな!)




 

 翌日。

 朝の9時を回る頃。

 エルヴィスは靴音も激しくビスティーを目指していた。



 朝も早くに屋敷を後にし、街の橋が降りるのを待ちわび、馬を置いて今である。 

 


彼は今年26だが、橋の開通を順番待ちする日が来るなど、思いもしなかった。


 




 チェシャー通りの店主たちが、起き抜けの空気を醸し出す中、彼は足早に総合服飾工房(オール・ドレッサー)ビスティーを目指す。

 





 結局、あの後ろくに眠れなかった。



 気持ちを整理するために

 文字にして書き(こぼ)しても

 気のせいであると、言い聞かせても



 睡魔は、彼を迎えに来てはくれなかった。




 ミリアの声も言葉も、あの瞬間は良かったが

 そのあとは全く、安らぎの『や』にもならなかった。





 なかなか開けぬ夜を待つ間、何度も何度も考えた。




 『夢は、夢だ。予知夢やお告げなど信じてはいない』

 『あれは幻だ、大丈夫』



 聡明な彼の脳がそう告げていたが、感情と直感がそれを却下しつづけた。





 むしろ、書き散らしても書き散らしても不安や嫌悪は渦を巻くばかりで、『これでは逆効果だ』と、途中から簡単な鍛錬と魔導書を読む方に方向転換した。



 それでも、没頭はできなかった。

 

 まとわりついてくるのだ。




 あの、焦げ臭い匂いも

 耳にこびりつく声も、妙に生々しく。



 一晩中、離れなかった。








 『街で』

 『なにか』

 『起こったという報告は』

 『受けていないが』



 


 ────どうしても、見ておきたい。

 無事をこの目で確認したかった。





 






 穏やかな朝の中にいるチェシャー通りの店主たちが、走り抜けるエリックに『なんだなんだ』と驚きの視線を向けてくる中。





 焦る彼の瞳が、変わり映えのないビスティーを捕らえ────








「──────ミリア!!」









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