6-2(1)「うるさいうるさい煩い五月蠅い」
それは、遠い昔の記憶。
突きつけられた惨状。
目の当たりにした時の衝撃を 彼はまだ覚えている。
取り返しのつかない罪を まだ、覚えている。
(────なんで?)
頭の中に響くのは、まだ高く幼い『自分の声』。
純粋な光を宿していたその瞳が捕らえたのは 焦げつき、崩れた壁。
焼け落ちたであろう屋根の梁。
少し前まで
彼が過ごし、暮らしていた小さな家は今
見るも無残な痕跡を残し、そこで惨状を物語っていた。
(……シェリル……は?
マイクは? ヘレンは?)
変わり果てた家を前に頭の中に過るのは『ここで暮らした彼ら』たち。
寝食を共にし、毎日顔を合わせ笑い合っていた、『家族』。
そんな彼らを瓦礫の向こうに透かし見る少年の頭を
ぽつん、ぽつんと雨が打つ。
見通しの良くなり過ぎた家の中、見覚えのあるリビングの暖炉を濡らす。
(──あそこで、マイクとけんかした。
あそこで、シェリルにあまえるヘレンとマイクをみてた。
────シェリルは、ぼくに)
断続的に思い出しながら
呆然と ただ茫然と立ち尽くすかれに、村人は言った。
『おい坊主、ココに近くづくんじゃねえ。おめえも焼かれちまうぞ』
『可哀そうにねえ、あんな子預かるから』
嫌悪をにじませた声と、愉快だと言わんばかりの声。
ひそひそとした声。
『ひそひそくすくす、あーあぁ、やれやれ、ほらほら、ひそひそ、ふふふふふふ、こわいこわい』
瓦礫の前で 声がおどる。
『悪魔の末裔にかかわるから』
『ほぅら、言わんこっちゃない』
『ボク、そこにいちゃダメ、早くどこかに行きなさい』
『ここにいたら悪気を吸ってしまうよ』
ひそひそ、ひそひそ
まるで 見てきたように
全てを知っているかのように
オトナが ウルサイ。
かれは問いかける。
「どうして、こうなったの?」
ポツリと呟き振り向けば、そこに広がるのはオリオンの屋敷だ。
高い高い天井を背に、高い高い所から、大人たちは口々に言う。
「貴方のせいではありません」
《──貴方のせいですよ、悪魔の子》
「親の所業が降りかかったのだ」
《──恨みを買うような仕事をするから》
「ああ、可哀そうにお坊ちゃん」
《──私が慰めて差し上げますわ》
「僕のせいなの?」
「僕がわるいの?」
「父上がわるいの?」
『呪いが降りかかったのだ!』
『お母さんの代わり、ほしくなぁい?』
『オリオンの言うことは聞いておかないとな』
『ほら、逆らうなよ。オリオンに焼かれるぞ』
『エルヴィスさまぁ、手ほどきは必要じゃありませんこと?』
『いやあ、ははは! さすがオリオン様!』
うるさい。
うるさい。
煩い。
五月蝿い。
上辺だけのそれが煩い。
「────それで。
お前達は何が言いたい?」
喉から出たのは大人の太い声。
侮蔑と怒りを孕んだいつもの自分
いつの間にか自分より背の低くなった貴族の女に問う。
──ああ、すり寄り胸を撫でる細く長い指が気色悪い。
いつの間にか厚みを増し、猫背で歩く貴族の男に問う。
──ああ、見上げる目が醜く卑らしい、老いた声が憎らしい。
《──なぁに、すぐに落ちぶれるさ》
「エルヴィス閣下あ! 流石ですなあ!」
《……は! 若造に何ができる》
「いやあ! 此度のご活躍! 痺れましたぞ!」
《──穢らわし~い、殺しておいてぇ。》
「この国の発展も、オリオン様のおかげですわ♡」
煩い
煩い
煩い
煩い
血に塗れた土地で
のうのうと生きているのはお前たちも同じだろう
多くの命の上に
富と安寧を享受しているのはお前たちも同じだろう
死の商人に媚びへつらい、揉み手をしてきたのはどこのどいつだ
父にすり寄り、俺にすり寄り、浅ましく汚らしいのはどこのどいつだ
金、名誉
呪われた後ろ盾が欲しいのはどいつだ
澱む、濁る、意識の中で声がする
延々と声がする
焼けただれ、朽ちた家の前で
貴族と、オトナの、五月蠅い、声がする
お前のせいだと声がする
『酷い火事だったんですって』
『魔具が放り込まれれたって聞いたわ』
『あんな子、預かるから』
『ああ、ああ、おいたわしや』
『熱かったでしょう、苦しかったでしょう』
お前のせいだと声がする
お前が居なければ良かったと声がする
『オリオンの子なんて 預かるから』
────ごめんね ぼくのせい
ごめんなさい
わかってるの
シェリル、ごめんなさい
マイク、ヘレン、ごめんね
ぼくのせい
ぼくがそこにいたから
────悪かった。
済まなかった。
言葉が足りない。
俺がそこにいたから。
俺が招いた。
許してくれとは言わない。
忘れることなどない。
どう償えばいい?
どうすればお前たちの魂は報われる?
俺に関わらなければ、お前たちが死ぬことはなかった。
全身を焼かれ、消し炭になることなどなかった。
今もなお、生きて
生きていたに違いないのに
──────俺が、奪った。
炎に包まれ、苦しそうな、祈るような、恨むような瞳で
こちらを見つめている、彼らは、”いつも同じ”。
助けてくれと
どうして私たちがと
どうしてお前だけがと
黒く焼け焦げた顔面から覗く
3対のどろりとした眼から送られる念も
──それでも、助けようと、手を伸ばすのも。
いつも、同じ。
「────何をしてる! 早く!」
炎の中に手を伸ばす。
懸命に、懸命に、限界まで。
今なら助けられると、そう信じて。
しかし
伸ばした腕の先に
ねっちりと絡みつく『手』に
彼は慄き息を呑み
『────ぐんっ……』と現れた足元の重みに目をやれば、
いつものように
太ももに、足に、脛に、纏わりついてくる。
無数の手が、ぺたぺたと這い上がってくる。
貴族の手が、絡まりついてくる。
ぺた
ぺた
ぺたぺた
べたべた、ずずん
ぼっちゃん
ぼっちゃん
ぼっちゃん
ぼっちゃああああああああああああああああああああん
触れるな触るな気色悪い
鳴くな喚くな鬱陶しい
踏めども踏めども湧いて出る
払えども払えども
しつこくしつこく
しつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこく……っ!
────ああ、しつこい!
「────離せッ!!!」
────それに、気を奪われ
必死になっているうちに、音がする。
がらりがらりと、屋根が、建物が落ちる音。
ごろごろがらりと、全てが彼らを潰す音。
命を 奪う音
命が 消える音
そのたびに襲いくる
悲しみと無力感
(──ああ また 助けられなかった)
いつも同じ
いつも同じ
何度も何度も繰り返し
何度も何度も、彼らを殺す
”この度に”
”大切な人を 見殺しにしている”
(────また助けられなかった。
また殺した。
すまない、すまない。
シェリル、マイク、ヘレン。
「────夢の中だけでも、お前たちを助けられたら……!」
「無理だよ、おにーさん」
暗い暗い闇の中
その声は、空間を裂くように響き渡った。
声を
脳が理解した瞬間
血の気が引いていく。
妙にクリアな思考に
奈落を宿した瞳が
動揺で震えた。
────今ここで
聞きたくない声
彼は恐る恐る顔をあげた。
闇の中、こちらに背を向けて
背筋を伸ばしている『彼女』
震える唇が 名前を紡ぐ
「……み……
………………り、あ?」
「────だって」
──『彼女』が声を張る。
闇の中姿を現した、焼けただれたビスティーの前で。
「おにーさん。
ワタシのことだって」
た
す
ヶ
て
く
レ
な
か
ッ
た
で
し
ょ
う
?




