5-14「 」
※ プラバン ※
二人。
穏やかに紡ぎ始めた布の花。
総合服飾工房ビスティで、エリックはミリアに問いかける。
「────なら『ボーンの値も上がるのも、もう知ってる』か。
糸の値上がりと共に知らせが来てるよな?」
「ボーンも!!?
…………うそでしょ、ぼーん……おまえもか……!」
「…………」
返ってきたのは、まともな動揺と愕然とした声。
困った様子で眉を下げるミリアを前に、エリックの胸の内──広がったのは『申し訳なさのような、落ちる感覚』だった。
同情と、心配の入り混じったような気持ちが生まれるエリックの内情など、知りもせず。
カウンターを挟み二人、会話はトントンと進んでいく。
「…………よりによって『S』の方……!うーん……!」
「ミリア……、その。
気を落としているところ悪いんだけど、ボーンって、何?」
「──え? ああ、これこれ」
問いかけに、ミリアはけろっと表情を変え、そしてカウンターの下に手を伸ばし──……
──ばいん!
と音を立て、目の前に現れたのは『透明な板』。
それを、おもむろに振り始める彼女。
びよびよびよ! ばいんばいん!
ぽぽぽぽぽぽぽぽ!
(──なんだ……!?)
──ミリアの指先で
びよんびよんと音を立てる『ボーン』の柔軟性とそれら全部に
エリックは背の高い丸椅子に腰掛けたまま、まともに身構えたのであった。
「──これこれ、これが『ボーン』」
「…………こ、これが?」
出てきたのは『透明な板』。
サイズは一般的な羊皮紙ぐらい。
厚さは指で挟んだら互いの熱が伝わりそうなぐらい薄い。
どこからどう見ても『板』なのだが、特筆すべきは『色』である。
透明なのだ。
色がないのだ。
まるで見せつけるように両手で持つ彼女の体が透けるほど、透明度が高かった。
彼女は平然とそれを持っているが──エリックにとっては。
『異様ななにか』に映って、仕方なかった。
「…………薄……ガラス??」
「ガラスじゃなくて、『ボーン』。
正式名称『プ・ラ・ボーン』って言うんだって。
見た感じそう見えるかもだけど、これ、ガラスほど簡単に割れないの」
「……はあ……」
「今は板の状態だけど、これを、カットして、『骨にする』」
「…………」
「これが、『ボーン』」
「………………」
平然と、当然のように言われ、黙る。
彼の知りうる限り
透明ななにかなど、ダイヤと水とガラスぐらいしか心当たりがない。
が、目の前に現れた『ボーン』は、見た限り
ガラスでもない。
ダイヤでもない。
水の薄い膜でもない。
彼の知識を総動員しても、こんなものは『知らない』。
(…………なんだこれ…………)
”透明なのに、持てている”。
”そのあたりに置いたら同化して見つけられなさそうなのに、そこにある”。
──奇妙だ。
ミリアが触っているのだから、触れるのだろうが、しかし。
(────また、見たことのないものが出たな…………)
と、呟き舌を巻く。
興味よりも、抵抗と警戒が先に来る。
また、彼女が魔道の使い手だから判断に困っていた。
通常で考えたら、『ノースブルク・ウエストエッジで流通している道具』なのだから、魔法の秘密の道具ではないだろうと察しはつく。
が、彼女はマジェラ出身の魔道士である。
ラウリングといい魔法元素カードといい、エリックが知らなかった道具も平然と出してくる可能性を持っているのだ。
そして、今まで彼女が出した『本場の魔法道具』は、こちらに普及しているものとは一味違い──『一見それらしさがなかった』のである。
エリック──いや、エルヴィスが『マジェラの商人から売り込まれている魔具』は、あくまでも『魔具』を力強く主張していたものが多かっただけに、指輪など魔具だと疑いもしなかった。
それらも踏まえて、エリックの中、湧き出し渦巻く警戒と畏怖の念。
『ミリアが扱っているのだから大丈夫だろう』
という気持ちと
『スパイが疑わなくてどうする』
『俺が触って平気なのか?』
という気持ちがせめぎ合う中
ミリアの手元で『ボーン』が
ぴょびょびょびょびょ!
バインバインバイン!
と、空気を裂きながら、緊張感のない変な音を立てている。
総合服飾工房ビスティーの店内。
カウンターを挟みながら、わずかな警戒をにじませるエリックと、ごくごく普通の顔で平べったいボーンを仰ぐミリアの間、言葉なく『びょびよ』という間抜けな音だけが響き渡り
──それを破ったのは
エリックの、伺うような声掛けだった。
「……ミリア?
それは……
…………魔具?」
「魔具じゃないよ、『ボーン』だって」
「…………それが?」
「そう。魔具じゃないよ〜、ふつーの道具」
おずおずと。
警戒を滲ませ、問いかけるエリックに、ミリアはけろりと答えると
その両縁を手のひらで『面が見えるように』持ち、緩やかに力を加え、ボーンを弛ませながら言う。
「ぽよぽよぴよ~~って撓るでしょ?
簡単に折れたり割れたりしないの。
────こーやってっ」
────ぐっ……!
言いながら、胸の前。
サイドから押しこまれた透明な板は 力を逃すように形を変え
手を緩めた途端、『──ばいんっ!』と音を立てた。
あれほど曲がっていたのに
元の『透明な板』として『張っている』ボーンには
折り曲げた痕跡も、傷も、何一つついていない。
「…………!?」
(────奇跡の御技か……!?)
彼は思わず目を張った。
目の前の出来事が信じられなかった。
ガラスなら今の動きは不可能だし、跡も着いていないなんて『ありえない』。
あれだけ曲げて、形が戻る。
こんなものが存在しているなんて。
その驚きは、目を丸めたままのエリックの口から突いて出る。
「……透明なのに形を成していて……
それでいて元の形に戻るのか……!?
最新の魔具じゃないなら、新素材か……!?」
「………………いやあの……、これ、前からある……」
「まえから!?」
「………………割と前から……」
珍しく驚くエリックに、ミリアはぽっそりと、呟くように答えた。
エリックはこうだが、ボーンは、縫製業界では常識の材料だ。
いつからあるのかは定かではないが、別にここ2・3年に出てきた新商品というわけでもない。
彼女にしてみれば、ごくごく普通の、一般素材である。
ここまで驚かれるとは思いもしない。
『当たり前の道具 ボーン』を前に
まるまると瞳を丸め、恐る恐る覗き込んだり指を伸ばそうとするエリックを前に、ミリアは、頬にこっそりと一筋の汗を流すと、
(……確かに、あんま見たことないかもしれないけど……
この人、たまに変なところで驚くよね……)
と、呟く。
連鎖的、ミリアの脳内に駆け巡るのは、もちろん──『どこの鳥』発言である。
思い返すは数週間前。
彼と二度目に顔を合わせた安飯屋『ピ・チューボ』の軒先。
何気なく『食べる?』と差し出した鳥の串焼きを一口食べた時の彼の反応だ。
(……ピ・チューボの鶏にあの反応だもんなあ……)
と、思い出してダイジェスト。
店のスモークを浴びながら、目を丸くして鳥をまじまじ見つめていた彼の横顔が朧げに蘇り、カウンターの上。両肘をつきながら彼を見る。
今も、小さく『……これが……、ボーン……、表面は滑らかだ……』と独り言を漏らすエリックに、音もたてずに息を逃がして
(……あんな安いところの肉に『どこの肉』とか……
お屋敷でいいもの食べてるみたいだけど、そうじゃないところはカツカツなのかも。
エルヴィスさん、きっちりしてそうだし、たぶんケチなんだろうな〜)
──────と想像する。
(……その服だって、貝ボタンでちょっとハイグレードなやつだけど、それもお屋敷の制服でしょ? みんな同じような服着てるけど、でもこの人いつも同じ服だし。見ればわかるし)
──と、妄想する。
(それなのに、ポロネーズのご飯『出すよ』とか言うし。
『ホイップクリーム食べよう』とか言うし。
腰抱いたり? 『そのままでいて』とか言ったり?
女の人慣れしてるのはわかるし、プライドあるんだろうとは思うけど……
どこにそんなお金があるというのか…………
…………はあ。まったくもぉ)
──はあ…………
落とす────憂いを帯びたため息。
そしてミリアは、おもむろに言い放った。
「……ねえ、頑張らなくていーからね?」
「……うん? なんの話?」
「わたしたち同じだし」
「……う、うん?」
「気、使うことないからね?」
「……ん? だから、なんの話?
全く見えないんだけど」
「『お気遣い無用ですよ』と申しているのです」
「…………はあ…………??」
ミリアにそう言われ、エリックはただただ困惑の表情でボーンから手をひいた。
ボーンの滑らかさに驚き、つまみ上げようとした瞬間言われたそれに理解が追いつかない。
目の前で、カウンターに両肘をつきながら
しゅーん……と眉を下げ、そこはかとなく澄ました顔付きで同情の視線を送る彼女に
(──なんだ?
どこの観点から言ってるんだ?
いまそんな流れあったか?)
と、必死に考えを巡らせる。
──が、しかし。
まさか、ミリアの中で、『ボーンに驚く自分』から『串焼きの話』まで飛躍し、その上『金銭面での心配からの同情』をされているなど、エリックにわかるはずもない。
しかし、そんな中でも彼は彼なりに答えを探すのだ。
自分の行動を思い返し、──そして。
(…………ここでの業務のことか? そんなに必死に見えたかな……)
と、仮説を立て、さっとミリアに顔を向けると
「……無理なんてしてないけど」
「そう? とりあえず、もっと気ぃ使わなくていいよ?」
「……まあ、そう言われてもな。慣れないことだから。それなりに気は使うよ」
「慣れない……? そうなの? むしろ慣れてると思った」
「?」
「?」
『?』
────互いに目を合わせ。
無言で視線を送りあいながら、黙る二人。
(…………何言ってるんだ? それほど綺麗な仕上がりだったってことか?)
(ん? あれ……? 話がかみ合ってない……?)
「…………」
「………………」
『………………………………………………』
主語を忘れたミリアと
仮説をもとに言葉を返したエリックの間を、また。
プリンの一連の時のような、妙な雰囲気が漂い始め────
「────まあ、とりあえずさておき。」
軽く、ぱちんと手を合わせ、場の空気を変えたのはミリアの方だった。
音に合わせて目を向けるエリックに、ミリアはカウンターの向こうで言う。
「わたしね、キミがそんなにボーンに驚くと思わなかったの。
でも、よく考えたらそれって結構ニッチな道具なんだよね。
だからここはひとつ、説明しようと思いまして」
真面目な顔で言う彼女は、再び半身をカウンターの内側に沈める。
そして、なにやらごそごそと探す音が店内に響き渡り、
「……よいしょっと」
掛け声とともに、『折りたたまれた白い布』が現れ、視線を持っていく。
彼女が出した『白い布』は、色こそ乳白色だが目が粗く、だいぶごわついているものだった。
素人のエリックから見ても、『どう考えてもこれは肌に触れたら痛そうだ』とわかる粗さの『それ』を
ぺしぺしと叩きながら言うのだ。
「あのね?
服の中ってね、芯が入ってるところがあるんだよね」
「────”芯”?」
「そう。一般的に『布芯』って呼ばれるんだけど、着た時に張りが出るように、よれっとしないように、仕込んでおくの」
「────”仕込む”?」
『これがその布芯』と言わんばかりに、
ごわついた布をツンツンと突く彼女は、繰り返すエリックにひとつ、頷くと
次に椅子から降りて、上半身が見える位置に立ち、
「例えば、ベストの前身ごろと、後ろ身ごろ。
スカートの、裾とかにも入ってるかな。
おにーさんのベストの中にも、バッチリ入ってると思うよ」
自らの『胸の下あたり』・『背中の中心』をぽんぽん、
くるんと体を横向きにし、彼に言う。
「……俺のベストにも?」
「そう、着た時に『くたらない』でしょ? それは、芯のおかげ。
『ナカに一枚挟み込むことで』、服がしっかりピシっとするの。
建築で言うなら土台っていうか。影の立役者って感じ」
「…………へえ」
聞いて、おのれの胸とベストの間に指を差し入れ、浮かせるエリック。
貴族の彼のために誂えられたそれは、縫い目も綺麗な一級品だ。
──が、そこまで気にしたことなどなかった。
エリックが地味に感心するその向こうで、ミリアは彼に向き直ると
「だけど、布芯はあくまでも
『体にフィットするぐらいの柔らかさと張りのある布』でね?
『ボーン』はそうじゃなくて~……」
言葉の語尾は、尻つぼみ。
そこまで言うと、彼女はぐるりと店内を見回し始めた。
(…………?)
そんな彼女に、首をかしげる彼。
言わぬ彼女の思惑を
すべて察することができるほど
彼はまだ、彼女のことを知らない
知ったとしても
それらをすべて把握など、出来るわけもない
「…………ミリア?」
突如静かになってしまった彼女に声をかける。
しかしミリアは、何かを探すように
『うーん……』と唸りながら
目を、首を動かして────
「…………────あ」
──── 一点。
ハニーブラウンの瞳が、エリックの暗く青い瞳と重なった。
「……?」
瞬間的に目が合って
視界に映るは、ミリアの気が付いたような笑顔。
柔らかく
ニコニコとして
『みーつけた』と言わんばかりの表情に
エリックが 思わず動きを止めた時。
彼女は
柔らかに手を伸ばす。
────エリックの、顔に向かって。
「──────ねえ?
ちょっと……、失礼?」
「え?」
まるで
優しく頬を包み込むような手つきに
いたずらを含んだ声色に
彼女の微笑みに
遅れたテンポ
走る動揺
それに 構いもせず
にっこり微笑み、乗り出す体
緩やかに近づいてくる手のひら
何をされる?
撫でられる?
ここは、退く?
”────いや”
迷い惑う心に反して
身動きが取れない
近づく指先が
すぅっ……と首元をカスり
ぴくんと震える
喉が、詰まる
すり、すりと 耳の近くで響く音
ミリアの探すような目線
指先は見えない
何をされるのかわからないのに
『動けない』
永遠にも感じる 緩やかな時間の中
”待つ”自分の前で
探すような
包むような
悪戯で
柔らかい光を帯びた
透き通った
はちみつ色の瞳が
(──────…………綺麗だ)




