2-1「上客の依頼」
どんなものにも、表と裏はあるだろう。
日の当たる部分、影の射す部分。
商工会ギルドとて、その例外ではない。
商工会総合ギルドとして『市場の調節や人間関係の調和を担う』表の顔と。『裏家業の受付窓口』としての裏の顔。
表の商工会ギルド。
裏の極秘調査機関・ラジアル。
共に協力し合い、表裏一体の組織で街の平穏を保つ。
それがこの街の仕組みであった。
裏に持ち込まれる仕事は時によって変わるが、大抵は同盟諸侯の調査及び監視。
商いに絡んでくる貴族の不正や、税収調査が主である。
彼、エリック・マーティンは、裏に持ち込まれる調査を請け負う『調査機関ラジアル』のボスであり、諜報員の一人であった。
「……『親愛なる エリック・マーティンさんへ』
”御指名”ですよ、”ボス”」
「………………ボスじゃない。
俺は、お前の上に立っているわけではない」
「おや、”ボス”で間違いないのでは?
あなたはそういう立場のお方でしょう」
「…………」
嗤いながらの声掛けに、エリックの表情が険しく強張る。
確かに、『そういう身分』ではある。
しかし理由はそこだけではなかった。
スネークの言い方もさることながら、怪訝の原因は『封筒』だ。
そこに捺されている『新緑の蝋印』に、エリックは眉をひそめずにはいられなかった。
『新緑の蝋印』。
(────嫌な予感しかしない)
”上客は上客”で間違い無い。
むしろ、これ以上の客はいない。
────だが。
どっかりと腰を下ろしていた皮張りのソファーから立ち上がり、怪訝な気持ちを短いため息で隠して 顔色ひとつ変えず。
(……今度は一体なんだ)
と胸の内で呟きながら、封を開け、羊皮紙を引き抜く。
指の先
上質な羊皮紙に記された、その文面
────親愛なるエルヴィスさんへ
エルヴィスクンやっほー。
今日も元気カナ!?
オレは毛皮が高くて悲しいヨ。
調べてね、よろぴく!
りちゃーど。
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
「”お客様”は、なんと?」
呑 言葉
殺 表情
じっ……と
文面に目を落とし
ぐっ……っと
眉間に皺をよせ、そして。
「…………………………………、
毛皮が高いから、調査しろとのことだ」
「────ほぉう? 毛皮、ですか」
「……………………」
濃縮還元で絞り出した。
その一言に、関心の声をあげたのはスネークだ。全てを理解したかのような顔つきで、コツコツと踵を鳴らし、資料の山へ。
涼しい顔のスネークを視界の隅に。
エリックの胸の内────リチャード・フォン・フィリップ・隣国『アルツェン・ビルド公国』の王子への文句が吹き荒れる。
彼の筆跡をとても険しい顔で睨みながら、陶器の仮面の下で──文句が吹き荒れる。
(────別に。
頼んでくるのは構わないけど。
文面に問題があるだろ。もう少し何とかならなかったのか? なんだこの文章。検閲はどうなってる。……あいつ、また自分で投函したな? そもそもそんな性格じゃないだろう、身分は同等だが……友人関係じゃないんだぞ?)
しかし。
それを。
ぐっ…………っと飲み込み、エリックはスネークに目を向け、口をこじ開け
「………………実態は? どうなってる」
なるべく、厳格なトーンを出した。
大変なのである。
この文面への文句を我慢するのが。
彼は『ボス』だ。
威厳、尊厳は保たなければならない。
手紙に愚痴るわけにもいかない。
仕事の内容は大したことじゃない。
彼が構えて居たのは、この文面だった。
しかし、エリックの葛藤など知る由もなく。
問われたスネークは、資料を片手に澄ました表情で口を開くと、
「…………先月の価格調査報告書によると
確かに……”跳ね上がってます、ね。
売価の方ですが」
「仕入れのほうは」
「仕入れに変動はありません。
大きな変化は”売価”です」
自然とテーブルに集まる男二人。
棚から引き出した資料を片手に述べるスネークに、エリックは手を伸ばして資料を寄越すよう促した。
ドンと置かれる紙の山を横目に、提出された資料に目を落とし────目が捉えたのは毛皮の売価。
読み取る情報。
ここ一か月の『毛皮』の動き。
──……確かに、スネークの言う通りだ。
「………………内需が伸びていて、生産が追いつかないのか……?」
「その辺りのことは、流石にわかりません」
「そもそも、なんで今『毛皮』なんだ。夏だぞ?」
そう。季節は7月中旬。
北東にそびえる霊峰ニルヘイムより吹き下りる冷風も和らぎ、徐々に暑さを感じる時期である。
シルクメイル地方の夏は、南に比べてそれほど暑くない。人によっては長袖のまま過ごす人間もいるぐらいであるが、それでもこの先、ここの土地なりに暑くなる。
こんな季節に『毛皮の内需が伸びる』のは首を捻ってしまうが、しかし、情報は正直だ。
不可思議な数字に、喉の奥で唸るエリックの隣で、スネークは黙って首を横に振ると、糸のような目をわずかに開けてボスに述べる。
「………隣国の王子サマも随分と先物買いですねぇ。
こんな季節に毛皮、ですか」
「…………あいつはさておき、問題は値段の跳ね上がり方と時期だろう? もっと詳細な報告書は?」
「こちらで開示を求めているのは大まかなもの過ぎません。ここから先は縫製組合の管轄になります」
「────縫製……、」
聞いてエリックは渋い顔で唸っていた。
一瞬目を逸らし顔を上げると、スネークに向かって口を開く。
「……報告をあげるよう、指示できないのか」
「あちらは職人組合・こちらは商人組合。
ボスもご存知でしょう?
我々の……仲の悪さは」
「…………ああ。うんざりするほど、な」
言われ
エリックは苦く、舌を巻いた。
(────……よりにもよって…………)




