5-7「”健やかなるときも”(2)」
「なんせ、ノースブルクは『自由恋愛の国』!
結婚率下がってるんでしょ? 顔の良さ発揮しなくてどーするの」
「…………いや、顔で結婚する? そ……」
言いかけて、エリックは言葉を飲んだ。
弾みで反論しかけたが、ありとあらゆる『ハイスペックで申し分ない貴族たち』を堂々と、『筋肉が足りないわ。却下ね』と言い放つキャロライン皇女が実際にいるのだ。
(…………筋肉が第一条件のやつもいるんだ。顔が決め手でも、おかしくない)
人も、動物も千差万別。
好みも愛称もそれぞれ違う中で、「自分だけの頭で判断するのは愚かしいことなのかもしれない」と、うんざりと反省を混ぜ合わせるエリックの視線の先で────ミリアと言えば、若草色の芝の上、しっかりと立ち、清々しい青空を背負っていた。
──流れゆく雲。青く広がる空。
頬を撫でる8月の風。
──ああ、不思議な感じだ。
(──深刻に考えるのが阿保らしくなってきたな。というか、……俺は痴態を見せたのではないか? 調子が狂いっぱなしなのは自覚があるが、ミリアの前でヤサグレてスレた自分を見せてどうする? ああくそ、何やって)
「────ねえ、あのさあ」
流れるように、内省へと移りゆくエリックの思考を引き裂くように、タイミングを測っていたようなミリアの声は唐突に飛び込んできた。
その、はっきりとした、しかし責めているわけでもなく────『素朴だが力のある声』に、エリックが顔をあげた時。
彼女は、石の上に座るエリックに目線を合わせて──言う。
「…………全体的に同意だし気持ちわかるんだけど、さっきのあれは反対だな?」
「……うん? あれって?」
(……どれだ?)
唐突な言葉に首を捻る。
《あれ》と言われても、エリックはすぐにピンとくるものがなかった。
『さっき』と『反対』と言われても、ミリアとの話は濃厚だ。ここ、オリオン平原に来てからでさえ、常に会話をしていたようなものだった。そんな状態で『あれ』と言われても、絞り込めるはずもなく────
脳内を探し黙るエリックのそばから、『答え』ははっきりとした声で放たれた。
「────さっきの、『命を賭ける』ってやつ。それには反対」
「……?」
言われたことが。
またも、ピンとこなかった。
────確かに『命をかけて護る』とは言ったが、それは『そんな相手が現れたら』の話である。父も母も乳母も鬼籍に入っている彼にとって、そこまでを捧げる相手などいないし、この先現れる気もしない。
あくまでも《だったらそうする》の話で、そこまで真面目に反対されることでもない。
──そう、戸惑いを口の中に。
エリックが一瞬、(──いや、架空の話で)と訂正を入れようとした瞬間。
ミリアは、顔に真剣を宿して淡々と述べた。
「……その覚悟は立派だと思う。でも、エリックさんが『死んでも守りたい』って思うほどの相手ができたとしたら、その人にとっても、おにーさんは『すごく大切な人』になってると思うから。『命を賭ける』のは違うと思う。そこ、生存できる方法探すべき」
「…………」
「あのね? おにーさんと話してて、想像力あるなと思った。視野広いなあって、いつも思ってる。感心している。亡くなった人の家族関係とか、見知らぬ人の家庭の事情のこと考えられる。これって結構すごいことだと思うのね? ──のに、自分が命をかけた後どうなるか、わからないんだ?」
「…………」
すぐに返事は出なかった。
彼女の瞳に見射られて思わず目を反らす。
言わんとしていることは解る。しかし、《命の価値》を自らに当てはめた時──。
「────…………それは」
(……『重々、わかっている』)
────『政治的価値』としては。
ミリアの眼差しから逃げた頭が並べ立てるのは、『自分が亡き者になったあと』の政治的状況だ。
ノースブルク諸侯同盟円卓会議は白熱するだろう。
次に誰が領主となるのか議論が起こり、下手をすれば血が流れる。
オリオンの家は? 資産は? 誰が魔具取り引きを引き継ぐ? 使用人は? 皆の働き口は──と高速で・流れるそれを、差し止めるようにミリアの眼差しが語るのだ。
『──そこじゃないよ』。
「………………」
言葉にしていないのに、貫かれたような感覚に陥り顔を反らした。
盟主として産まれた時点で、命などあってないようなもの。
『命も・結婚も・恋愛も、全て家のために捧げるもので、そこに自身の価値などないようなものだ』という根元に問いかけてくるようで──顔が見れない。
「──死んだら泣くよ?」
「…………、まあ」
「死んだら泣くよ?」
「…………」
「怪我しても心配するよね?」
「…………もとより、この命は」
「貴族のことよくわからないけど、オリオンさんも絶対悲しむと思う」
「…………」
────最後の一言に、黙るしか、できなかった。
エルヴィスは自分だとか、その辺りの気持ちも渦巻くが、それ以上に。
さんざん言われてきた言葉と一緒なのに、彼女の言葉は『痛い』。
どうして今までのように、『条件付きだろ』と吐き捨てられないのか。
ずっと腹で嗤ってきたのに。
『盟主であるから』・『当主であるから』。
『────それは、死なれたら困るだろうな?』と。
しかし今それができない。
ミリアの言葉が痛く奥に刺さる。
『無意識のうちに閉じ込めてきた本来』が 顔を出しそうになる。
しかし、わかっていながら背負ってきた呪いが、素直の邪魔をするのだ。
「…………」
”解ってる”。この命が、自分の物でないことは。
”わかってる”。泣く人間が居るだろうことも。
”わかっている”。その中には、本気で泣くものも、いるかもしれないということぐらい。
”わかっている わかっている”
しかし、────しかし!
「………………っ」
────喉が詰まって言葉が出ない。
ここで、彼女にどうするのが正解なのかわからない。
自分でどうでもいいと思っているものを、大事にしろと言われても、すぐに変えられるわけなど無い。
──しかし、そんな醜いさまを、ミリアに見せられるわけがない。
迷い、揺れ、苦しさを孕む心の中。
それでも言葉を探すエリックに、ミリアはひとつ、
ミリアは”パッ”っと両手を胸の前で広げると、気が付いたようにパタパタと手を振りフォローするように眉を下げ、
「────あ。『一生かけて大事にする』って意味で言ってたらごめん。でも~、なんか~あの~、まるで『危ない時は身代わりになる』『その人を守るためなら死ねる』って感じで聞こえたから、つい」
「…………まあ……………………その、」
「……あながちハズレじゃなかった系? キミ真面目だもんね。そこは解ってるつもり。でも、命はひとつ。仕事は一杯あるけど」
「……………………」
「とにかく~。大事にしてよ。死んだら悲しいの」
「…………」
「その人、大泣き。わたしも、泣くよ? オリオンさんもだよ。いのちは、大事に」
「…………」
迷い、黙るエリックの青く暗い瞳をミリアのハニーブラウンの瞳がまっすぐに射抜いて────




