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5-5「”病めるときも”(3)」




「…………その『恋人』や『想い人』が

 『自分のものじゃなくなるかもしれない』

 『盗られてしまうかもしれない』と感じた時


 幼い子供のように駄々をこねたり怒りをぶつけるというのが……、俺にはわからない。


 どうしてそこまで感情を動かせるのか、疑問で仕方ない」



「そう思うじゃーん……?

 でもね、世の中そうでもないみたいなんだよねー?」

「────へえ……? どういうことだろう?」



 その。

 ミリアから漏れた一言は、冷めた思いを零していたエリックの思考を瞬時に切り替えた。



 『理解できないことに対する愚痴をこぼすエリック』ではなく『盟主に仕える使用人と偽って、相棒に成り得たスパイ』に。



 表情をくるりと一変させ

 エリックはミリアに煽るような笑顔を向けると、



わからないんだけど(・・・・・・・・・)

 教えてくれるのかな?」

「……なにを?」


「『幼い感情に振り回された末、嫉妬と愛に(まみ)れてしまった奴らの醜聞(しゅうぶん)』とか。『決して口外できない貴族の闇』とか?」

「…………聞いてどーするのそんなん……」




 冗談交じりの煽り文句に、返ってきたのはジト目でやる気のない声だ。


 隣で『はふ……』と息つく彼女に、ひとつ。

 彼は笑いを零しながらも、『真剣』を宿してミリアに述べる。 



「──ごめん。

 けれど、今はとにかく、何がヒントになるかわからないからな。それらしい情報があるなら聞いておきたいんだ」



「毛皮に関係あるようなことでしょ?

 あったらとっくに話してます~。

 思い出しても話してます~。

 残念ながらないのです~。」


 

 言いながら口を尖らせる彼女は、心底うんざりとした顔つき態度でエリックに目配せ。

 そしてその両手で頬を支え、(くう)を眺め溢すのだ。




「……それに、

 あんな不満まみれの呪詛なんて聞いても面白くないよ?

 毛皮の値段との関係もなさそーだし。」


「…………君の苦労に労いを送るよ」

「それはどーもありがとうざんす~」




 ウエストエッジ・郊外。

 オリオンの屋敷の敷地内。


 青く澄み渡る夏の空の下、さわやかな風が吹き抜ける中。


 

 言葉を軽く流しながら、手のひらのカードの様子を確認するように視線を送る、ミリアの隣。



 エリックの脳内に回るのは

 今しがたの『彼女の考えや言葉たち』であった。






 『制度が要らないと思う』

 『もめごとなんて起こるぐらいなら』

 『でも、子どもの健やかな成長という観点から見るなら~』

 と述べる彼女に




 ふと、湧き出た『気がかり』を、彼は、躊躇うことなく”問い、かける”。





「…………君の理想は?」

「ん?」


「────君の理想だよ。

 職業柄、いろいろ見聞きしていると思うけど

 『結婚』というものを、どう考えているんだ?」




 それは、『ただの興味』。

 『調査』として聞いたわけでもなく。

 『流れ出た世話ばなし』。 



 他国で育ち、接客を通して色々見ているであろう彼女の、意見を聞きたかった。



 エリックの質問(それ)の裏に、何もないと感じ取ったのだろうか。ミリアは特に警戒を滲ませることもなく、自然と口を開き小首をかしげ、





「────”どう”、って────……、

 うーん、わかんないな〜」

「”わからない”?」

「ん、わかんない」




 頷き彼女は(そら)を仰いだ。



 ハニーブラウンの瞳に映るその空は 

 昼下がりの青を抱き

 青芝を撫でる風が髪を揺らす中




 彼女は語る。

 軽く髪を横に流し、手櫛を通しながら、ぽそぽそと。




「……なるようになるんだろうけど、想像できないっていうか。

 結婚できると思ってないからかな? 


 困ってないし。仕事楽しいし。

 自分の時間やお金を費やしてまで一緒にいたいと思える人が現れるのか、疑問というか……想像できない。っていうか居ない気がする」

「────『居ない気がする』?」



「うん、そう。いない気がする。

 居ないと思う。

 それに、特に不便してない。

 常に人と一緒にいたいっていうタイプでもないし~」

「…………ああ、わかるな。

 俺と同じだ」

「お、マジですか」




 『同調』は、あっさりと。

 今まで述べたことのない本音を、彼の口から落とすきっかけになった。






「……一人の方が楽」

「わかる!」


「……移動するのにも気を使わなくていいし?」

「それね!」


「……誰かと一緒じゃないと行動できないわけでもない」

「わぁかぁるぅ!」


「むしろ、自由だと、解放的だと感じることすらある」

「超わかる!!」



 ──フフ……っ



 笑うエリックが思わず溢したのは、笑みと──ほのかな喜び。



 婚姻の話や価値観で、ここまで同意を得たのは初めてだ。

 



 今まで、

 それらの話に対して少しでも懸念を見せれば

 『しかし、オリオンを絶やすわけにはいきません』と言われるのが常だった。



 『好意』や『愛情』を持てない──いや、持ってはいけないと考えている自分を、否定するかのような返事が普通だった。




 しかし、彼女は違う。



 


 

 ──自分が

 スパイとして

 貴族として

 散々使ってきた『同意』だが



 こうして”返ってきた時”。

 意識せず、おしゃべりになってしまうことに、彼は気づけない。



 そして彼は溢すのだ。

 言葉に、声に

 『困ってる』と『わかってくれる?』を乗せながら。




「────……そう思うと……さ。

 責務だということはわかっているけど、気が乗らないというか。


 婚姻を結ぶということは

 『一緒にいなくちゃいけない』ってことだろ?


 ”病めるときも、健やかなるときも”?


 …………気構えとしてはわかるけれど

 実際、気持ちがないとキツいよな、って」

「わーかーるー。それねー」



「仮に気持ちが芽生えたとして?

 それが続くかどうかも疑問だし。

 相手の気持ちと、こちらの気持ちが同等だとも限らない」

「それ。ほんとそれ。

 ほんとそれね」


「……こちらとしては割り切ったほうが楽だけど?

 あちらが『そのままで居られる』とも限らないし?」

「うんうん、わかる。わかるよ~……」



 『────はあ…………』




 二人そろって息をついた。

 流れる空気は『どんより』である。

 互いに年頃の男女二人、抱え悩むことは同じ。



 未だ光らぬ魔法のカードを前に、完全に『酒場の隅で結婚に対してぐだぐだ言ってる男女』の雰囲気を放つ二人の間を、オリオン草原の風が遠慮がちに吹き抜けていき────




 そんな空気を、換えたのは。


 


 エリックがこぼした 静かな声だった。





「────けれど、もし」




 ────静かに。ゆっくりと。




 漏れ、溢すのは 心の奥底





「…………『俺』を求め、望んでくれる相手がいたとしたら……」




 ────叶わぬであろう、願望





「……『大切にする』。命を懸けてでも、護るよ」





 祈るように溢した。






 その 限りなく黒く青い瞳に 諦めを宿して









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