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1-8「エリック・マーティン(3)」









「──あぁ! ロべールさん!

 ようこそお越しくださいました〜!」




 シワがれた、細く穏やかな声と共に、杖をつきながら現れた────ロベールと呼ばれた初老の女性を目にして、縫製店のミリアは勢いよく立ち上がる。

 



 それを黙って見守るのはくせ毛の青年『エリック・マーティン』だ。




 完全に声のトーンが変わった彼女を目の当たりにするエリックの前を素早く抜けて、ミリアは店舗入り口まで躍り出ると



 よろよろと杖を突く ロベールと呼ばれた老婆に目線を合わせて微笑んだ。




「今日はどうされました?」

「…………こちらのお方は、おきゃくさん?」

「ええ、はい。

 はじめてお越しくださいましたので、当店のご説明をさせていただいたところです」

(…………まるで別人だな)




 完全に「営業スマイル」「接客応対・上品モード」に切り替わった彼女に、胸の中で呟いた。




 先ほどまでの

 『500メイル頂戴しまーす♡』

 というちゃっかりした笑顔とか


 『それはボタン代ですねぇ~』

 という『甘い甘い』と言わんばかりの顔とか


 『最後まで助けろ!』と叫んだあの顔だとか




(……………一体、どこに消えたんだよ)

 と、こっそり呟きたくなるほどの変貌ぶりに言葉がでない。

  

 

 今日、この僅かな時間で、どれだけ彼女の『声色』を聞いたことだろう。




 そんな、様変わりした彼女の様子に

 彼は────瞳をそらして、呟く




(…………まあ)




 ”人なんて、誰しもこんなものだろう”


 ”素顔を隠し 自身も偽り

  騙し・騙され

  虚像に塗れ 生きている”




「…………」



 ただ、黙って目を伏せるエリックを目にして、ロベールは重そうな瞼をうっすら開けると、ミリアに向かって問いかけるのだ。



「……あらぁ。おじゃまだったかしら?」

「いえいえ! ちょうど、良い頃合いでしたよ♪」





 上質なケープに身を包んだロベールに、にっこりと上品に微笑むミリアは、そのまま。



 初老の貴婦人にゆっくりと首を振り、エリックに向き直り背筋を正して腰を落とすと





「………………それでは。

 ──エリック様、本日は有難うございました。

 またのご用命をお待ちしております」

 


 スカートの前を少しつまみ上げ、ゆったりと送る『見送りの挨拶』。

 『また』という名の『さようなら』。



 そして、彼女は身を翻し、ロベールの元へと歩み出した。








 ────それは、夏も近づく晴れたある日の午後。





「……で、ロベール奥様?

 今日はどのようなご用件でしょうか?」

「今日はねぇ、ミリアちゃんにいいものを持ってきたのよ~」

 


 

 ロベールと彼女────ミリアと呼ばれた女性の会話を聞きながら、エリックと書き記した青年は、店を後にした。



 ぎっ。と軋む扉の音を後ろに、燦々(さんさん)と降り注ぐ光に暖められた石畳を踏みしめ、歩く。





 

 彼はまだ、知らない。

 この出来事が、この店が。

 そして、彼女が。


 彼の未来に、大きく関わってくることを。




 






  












 吹き抜ける風も心地よく。


 天高く広がる空が、どこまでも青く

 鮮やかだったのは、その日の午前まで。



 どんよりと重めの雲が頭上を覆う中、ここ。


 ウエストエッジの商工会議所・受付では──

 『糸目の男』が、その責務を全うしている最中(さなか)であった。




「……いけませんねえ〜、先月も未払いですよ?」

「………スネークさん、なんとかなりませんか?」

「……なりません。

 商工会会費は、必ず納めてもらわないと。

 こちらも、規則ですから」



 エリックと記した青年と

 ミリアと呼ばれた女性が出会いを果たしてから、数日が過ぎた、ある日。



 困り顔でへこへこと頭を下げる『小売店の店主』に、糸目の男・スネークと呼ばれたその人は首を振る。


 


 ────シルクメイル地方・オリオン領の西の端

 ウエストエッジ・商工会議所。



 今日は『会費未払い』の最終受付の日だ。


 本来の期日までに支払いを済ませられなかった組合員──つまり、店の店主やその関係者が、受付にずらりと列をなしている。




 それを、慣れた様子で捌いているのが、糸目のスネークである。



 ため息と同時に指を組み、口元を隠しながら。

 簡素な机に肘をつき、困った声色で物申すスネークだが、『営業スマイル』だけは崩さない。




「スネークさぁん、それは!

 それはわかるんですけど……! 

 この季節はうちも売り上げが減る時期で……!」

「えぇ、えぇー。

 それはわかっていますよ?

 ですから先月は”つけ”にさせていただきましたが……


 ……今月もそうとなると、ねえ?」


「……そこ! なんとかなりませんか!?

 毎年、来月にはまとめてお返しできてるじゃないですか! 組合長の力で、なにとぞ!」

「………………ハァ…………」


 

 目の前、『ぱぁん!』と音を立てながら頼み込まれ、スネークは鼻の下、組んだ両手の中でこぼれた息を包みこんだ。



 スネークは、この組織のトップであった。




 商工会ギルドというのは、平たく言えば労働組合である。

 農協・漁協・縫製・飲食・住宅──

 街で暮らしを営む彼らを束ねる機関・それが『商工会ギルド』だ。



 ここの(おさ)を務めてから早8年。

 ────このポストも楽なようで楽ではないと、スネークはひっそりとした愚痴を、ため息に混ぜこぼしていた。



 下の方でせかせか働くよりは大分楽ではあるが、この役職は役職で、大変なものがある。



 会費の未払い、経費のちょろまかし。

 露天商の営業許可、取り扱い物品の精査まで。

 直接関係はないが、組合員の人間関係まで降りかかってくることがある。



 それを、不快に思われぬよう

 かつ、舐められぬよう



 言葉で、表情で

 組合(ギルド)全体のバランスをとる。



 ──それが、彼『スネーク・ケラー』の役割であった。



 正直面倒な役回りではあるのだが、彼もまた雇われの身。

 そして、このような「未払いトラブル」も、8年も勤めればもう”通例行事”のようなもの。



 決して なあなあにしない雰囲気を醸し出すスネークの前、小売店の店主は顔を上げ、

 す────────っ……と

 スネークに距離を詰め、こそこそーっと。




「…………スネークさんの”お気に入り”、今年も用意しますんで……!」

「………………」



 言う店主に、目を細めて返す。



「……そういうことはここで言うものじゃありませんよ」


 

 耳打ちされて苦言を呈した。



 ──まあ。

 苦言はするが、それ自体は悪いものだと思っていない。



 別に禁止されていることでもないし、それらも任されて(・・・・)のこの役職である。



 スネークは、むしろ。

 これを言わせるために渋ったといっても過言ではなかった。



 スネークに(たし)められたと感じ、ぐっと表情を固める店主に、一瞥。

 営業スマイルをそのまま、左手でつけペンをとり、それを紙に押し当てると



「────来月ですよ? 

 来月以降は待ちませんからね」

「────はいっ! 来月必ず!」

 

 

 一気に輝いた店主の表情を横目に、スネークはさらさらと、手元の台帳に「未払い・来月」と記入して────…………



「…………次の方、どうぞ?」

「………………………………」



 店主と入れ替わり。

 視界の隅、こつんと現れた小さな革靴。


 カカト部分にあしらわれた小さな花の模様にスネークの手が止まり、その目をあげるのとほぼ同時。


 目の前に現れた少年は、とても小さな声で、こう告げた。



「──────…………

 『”ウエストエッジはいい街ですね……”』」

(──────ほう?)



 緊張した面持ち。

 居心地の悪そうな表情。

 しかし、スネークは胸の内で関心の声を漏らした。




 ”それ”は、扉の向こうを指す言葉。




 スネークは返した。

 通常通りの口調で、一言。


「────『”ええ、本当に”』」













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