1-8「エリック・マーティン(2)」
「…………店はいつもこんな様子なのか?
さっきから、人が全然来ないけど」
いいながら、二人そろって目を向けるのは、窓の外。
外にひろがる、穏やかな初夏の午後。
窓の外、テントの影も色濃く石畳の上に映えている。
行き交う人もまばらな通りを窓ガラスの外に、次に見るのは壁掛け時計だ。
この店と同じように年季の入った掛け時計の針は、彼がここを訪れてから、ゆうに小一時間以上経っていることを示していた。
顔の表層に、微細な心配を浮かべるエリックに、しかし彼女はけらけらと笑うと、
「まーねーっ。
…………モーテル通りにいくつも新しい工房ができたでしょ? 若い人はそっちに流れちゃうよね~。ウチみたいに、旧街道に建つ店なんか大体こんなもんだよ~」
「……大丈夫なのか?」
「それはご心配なく〜。
愛され続けて50年。ビスティーは、お客様の満足にお答えします♡」
答えながら右で作るブイサイン。
閑散としている店など全く気にもしていない様子に、エリックが(呑気なもんだな)と、わずかに笑みを浮かべそうになった──その時。
「────と、言うわけで」
「ん?」
「──500メイル。頂戴しまーす♡」
「はっ?」
声も高らかに。
ぺろっと出した手の指を、ちょいちょい動かしながら言い放つ彼女に、間の抜けた声を上げた。
一瞬。
彼の中でめぐるのは『お礼』の一言である。
それらを瞬時に顔面の表層にのせ、エリックは戸惑いの目を向けると、
「…………え。金をとるのか……!?」
「当たり前でしょ、ただでやるわけないじゃん」
「いや……待って。
君、さっき「お礼」って言ってなかった?」
「それはボタン代ですねぇ~。
糸代と技術代は別料金です」
「…………ちゃっかりしてるな…………」
勝手にやっておいてこの言い分。
『当然でしょ』とにじみ出るその態度に、こうべを垂れつつ舌を巻く。
別に、金を払いたくないわけではないが、なんとなく『してやられた感』が否めない。
内心(ああ、さっきから調子が狂いっぱなしだ)と苦々しく呟く彼の前、ミリアは左の方から大きめの台帳をひっぱりながら口を開けると、
「言っておくけど、これでも大特価!
あ、お金ないならツケておくよ? お名前は?」
「…………いや、金ぐらいあるよ」
台帳にガラスのつけペンの先をぐっと押し当てるミリアに、静かに首を振る。
その表情は今も『やられた』感が否めないが、仮にもサービスを受けている。
これを踏み倒すほど金に困っちゃいないし、踏み倒すなんてエリックのプライドが許さなかった。
────それに。
(この女にこれ以上、つべこべ言うのも面倒だ)
この女、ああいえばこう言うし、言葉の切り返しだけはとても素早い。下手に言い返して話が長くなるよりも、ちゃっちゃと払って早く引き揚げたかった。
────気分は乗らないが。
(────……払えば終わる)
そう、自身に言い聞かせ、小さく息を吐きながら、財布から紙幣を引き抜く。
「はぁい、どうも♡」
ぺらりと渡された紙幣を受け取った彼女はご満悦だ。
……彼はいまだに、悪徳商法にでも引っかかったような気分なのだが。
「…………」
ひらりひらりと紙幣を下に仕舞い込む彼女に、息をついた。
なんとも居心地が悪かった。
声を張り上げた自分もそうだし、勘違いをした自分もそうだし。
(…………ああ、こんなはずじゃなかったのに)
と、エリックがくるりと身を翻そうとした、その時。
「で、お名前は?」
「…………いや、今払っただろ?」
彼女の声かけに、思わず振り向き言い返した。
『ツケ』ではないのなら、名前の記入など必要ないはずだ。
これ以上彼女に用はないし、名を名乗る義理もない。
しかし縫製店のミリアは、先ほど開いた台帳を指でトントンと指しながら、ハチミツ色の瞳を向けて言うのである。
「お直しリストに書かなきゃなの。
ほら、ここ。書いて?」
「…………ああ。はいはい。
…………なら、先に言ってくれないか?
いきなり言われても混乱するんだけど」
「”お直しリストに記載が必要ですので、お客様のお名前をお書きください”」
眉をひそめ愚痴りながらペンを手にするエリックに、丁寧な文言を並べるミリア。その言い方にはきちんとトゲが混ざっている。
彼女の返し方に湧いて出た、僅かな苛立ちをぐぐっとペンの先に込め、つっけんどんをそのままに、エリックは口をあけ、
「…………………………住所は」
「ツケじゃないから必要ないよ〜」
今までの記載を目視で確認し、念のための質問を頭で受けながら、よそよそしい返しも溜息で流して、彼は台帳にペンを走らせて──
「…………『エリック・マーティン』さん」
「………………、なに?
そんなにじっと見て」
「…………いや? 別に何も?」
台帳をじっ……と見つめ呟く彼女に
エリックは眉間にシワを寄せて問いかけてみるが──彼女は静かに首を振っただけ。
(スペルでも間違えたか……?)とエリックが不思議そうに確認しようとした、その時。
──ぎっ……、ぎいぃぃい……っ
『──?』
彼の背後。
しばらく沈黙していた入り口の扉が、ぎぃっと軋んだ音を立て
『彼女』は、よたよたと姿を現した。
「……こんにちわぁ」
「──あぁ! ロべールさん!」




