表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

彼女の真実

 それから数日、彼女の消失と共に、生きる目的も一緒に失った俺は、抜け殻のように惰性の日々を送っていた。彼女を追い出すこと以外目もくれなかった俺に、飯を作りに来てくれるような女人もいない。ならば自分で作るほかないのだが、それをする気にすらなれなかった。


 師匠が俺を訪ねてきたのは、そんな折りのことだった。


「穢れに遭って出仕を控えていると聞いていたが、この荒れようはどうした?」

「荒れてなどおりません。ただ、目的を果たした今、何をする気にもなれないのです」

「目的を果たした……?」


 俺の言葉に、師匠は訝しげな顔を浮かべる。そして、屋敷を見回すと、真顔で問いかけた。


「お主、この屋敷におった鬼はどうした?」

「……魔滅(まめ)で祓いました」

「なんだと!?」


 今まで見たこともない師匠の剣幕に、ゆるりと首を傾げる。すると、師匠は俺の頭をぽかりと叩いて言った。


「この戯け者! 何度も言っただろう、仇を見誤るなと! 仇を取るといって、仇を取り違えてどうするんだ!」

「何を言ってるんですか。あの鬼が俺の仇です。俺が仇の顔を見間違えることなんてありません」

「あの鬼はな……」


 そこまで言ったところで、師匠の言葉が途切れる。それと同時に感じたのは、全身の肌を逆なでるほどの妖気。ぶるりと身を震わせる中、師匠は破魔札を懐から取り出し、外を見つめる。それに倣い、俺もそちらを振り返れば、そこには彼女がいた。


「な、んで……」

「久しいのぅ。お前、あのとき喰いそこねた童か」

「何を言って……」


 久しいも何も、彼女を祓ったのはつい数日前だ。加えて、まるでしばらく会っていなかったかのような口ぶりに、頭が混乱する。そんな俺に師匠が言った。


「落ち着いて聞け。お前の仇は、今ここにいるあの鬼だ」

「……え?」

「お前が今まで一緒にいた鬼は、仇などではなかったんだ」


 師匠が信じられない言葉を吐いた。仇ではなかった。誰が? 彼女が? でも、目の前にいる彼女は仇だと言う。意味がわからない。だが、その答えは、図らずも彼女自身が答えをくれた。


「忌々しい姉の結界が邪魔で手を出せなかったが、それが消えた今、ようやく食べ損ねたごちそうが喰えるというもの。邪魔立てしてくれるなよ、そこな陰陽師」


 彼女の言葉にますます混乱を極める中、彼女の左胸に刻まれているはずの蝶の刺青がないことに気付く。なるほど、刺青の入った方が姉で、ない方が妹。そして、妹の方は胸がやや小ぶりなんだなと、現実逃避した頭で思う。


 そんな俺を庇うように立ち、師匠が言った。


「お主のそれは聞けない相談だ。こんな戯け者でも、私の大事な弟子なんでな」

「ならば貴様から喰ろうてやる!」


 俺を置き去りにして、師匠と彼女……いや、彼女と同じ顔をした鬼が対峙する。というか、姉が張った結界ってなんだ。それは何のための結界で、どうして消えた。


 思考がぐちゃぐちゃでまともに動けない中、師匠の術で目の前の鬼が絶叫をあげる。そして、これでもかという程に呆気なく灰と化し風に散っていった。


 そういえば、祓われた物の怪は灰になって消えるんだったな、と記憶の中の知識を引っ張り出す。引っ張り出して、その瞬間はたと気付いた。


 柏手を打って場の浄化をした師匠に近付き、その袖を引っ張って言った。


「師匠!」

「なんだ?」

「灰にならなかったんです! 透明になって消えて!」

「落ち着け」


 主語もなく喋る俺の肩に手を置いて、師匠は静かに問いかけた。


「お前が祓ったときは灰にならなかった、ということでいいんだな?」

「はい」

「ならば、それは祓ったのではなく、彼女が自ら姿をくらましたのだろうな」


 何故、なんて思わない。初めて会ったときから、俺はずっと彼女に呪いの言葉を吐き続けてきたのだから。出て行けと、追い出してやると。


「師匠。彼女は、俺の仇ではなかったんですか……?」

「先ほど祓った鬼が言ったとおりだ」

「何故、師匠はそんなことを知っているんですか?」


 俺が師匠の元に行ったのは、両親が殺されて数年が経ったあとだ。当時のことなど知るはずもないのに、何故知っているのか検討がつかなかった。そんな俺に、師匠は静かに語った。


「人の中には稀に、物の怪の妖力を増す血肉を持つものがいる。それがお主の家系だ、という話は以前したな?」

「はい。だから身を守るための術を教えてくれたのですよね?」

「そうだ」


 それは俺の両親が鬼に狙われた理由であり、才能がからっきしな俺に師匠が術を授けてくれた一番の理由だ。忘れるはずもない。


「お前と一緒に居た鬼はな。お前の両親が喰われるその少し前、私のところに助けを求めに来たんだ。自分の力だけでは止められないから、双子の妹を止めてほしい、とな」


 師匠が告げた言葉に、思わず絶句する。それではまるで……。


「それを受けて私が到着したとき、鬼は正にお前を襲おうとしていたところだった」

「じゃあ、あのとき助けてくれたのは師匠だったんですか?」

「いいや。私ではなく、お前と共にいた鬼の娘が、身を挺してお主を庇ったんだ。衝撃でお主は気を失ってしまったから、覚えていなくとも無理はない」


 彼女が仇ではないばかりか、恩人だという風に聞こえる。なんと都合のいい、甘美で……そして、残酷な幻聴だろう。半ば放心状態の俺に対し、師匠は淡々と続けて語った。


「その後、私はかの鬼を寸でのところで逃がしてしまってな。妹が必ずお主を狙いに来るはずだ、どうにか止めたいから結界を張って欲しいと彼女に乞われ、私は彼女を核として結界を張った」

「結界……」

「そうだ。彼女の妖力が途切れない限り消えることのない結界。それを恐らく、お主の魔滅が途切れさせてしまった……いや、辛うじてまだ途切れてはいないが、それと感じられないほどに弱まってしまったんだろうな」


――私がお前を守るのはここまでだが、達者で暮らせよ。


 師匠の言葉に続くように、彼女が消える前に告げた言葉が過る。あのときは何を言っているのかさっぱりわからなかった。でも、師匠の話が全て真実だとすれば、ずっと彼女が俺を守っていたんだ。本当の仇である、彼女の妹からずっと。


「あんな言葉でわかるか、馬鹿……」


 思わず、ここにいない彼女へ小さな悪態がこぼれ落ちる。


 でも、こんな場所で俯いてる暇はない。師匠は言った。辛うじて彼女の妖力が途切れていないと。つまり、彼女は弱っているかもしれないが、今はまだ無事だということだ。


 痛ましげな顔を浮かべる師匠を真っ直ぐ見上げて、俺は問いかけた。


「師匠、彼女の居場所を知りませんか?」

「知ってどうする」

「会いに行きます。俺は彼女をずっと仇だと思っていた。恩人をずっと呪い続け、仇で返してきました。それを償いに行くんです」


 俺はずっと彼女を仇だと思い込んできた。思い込もうとしてきた。

 出て行けと、邪険にする子供を揶揄いはしても、いつだって見守ってくれていた彼女を。それに絆されてはいけないと、ずっと彼女にも自分自身にも呪をかけてきた。


 でも、それは間違いだった。俺がかけてきた言葉の数々は的外れな上、彼女にとってはとばっちりもいいところだ。


 そんな俺に、師匠は気難しげな顔を浮かべて口を開いた。

 

「向こうにその気があるとは思わないが、それでも行くのか?」

「教えてもらえないのならば、自力で探しに行くまでです」


 意志を曲げる気がないというのが伝わったのか。師匠は小さく息をつくと、この京の都から北に位置する鞍馬山にいると教えてくれた。


 師匠から聞いた山道を登る。最初こそ、まだ人の道があったものの、途中からは獣道になり、ついには道すらなくなった。草をかきわけ、時折、木々の間から見える太陽で方向を確認しながら進んでいく。


 そうしてどのくらい経っただろう。唐突にぽっかりと拓けた場所へと辿り着く。そこには一本の見事な柏の大木があった。そして、横に広がった太い柏の枝の根元に寄りかかり、一人眠る彼女を見つけたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ