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物語の終わりを君と  作者: お芋のタルト
第四章『炎舞』

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第三節『二人目』⑨ ・伸ばした先に・

俺は、イギルの方へ走った。


迷いはなかった。

考える余地もなかった。


あの背中を――

震える声を――


もう、これ以上失わせるわけにはいかない。


床を蹴る。

脚が悲鳴を上げる。

それでも、走る。


視界の端で、ヴァルバロが動いた。

同じ方向へ踏み込んでいる。


しかも――速い。


「……っ!」


【身体強化】を、限界まで引き上げる。


肺が焼ける。

視界が白く滲む。


それでも、ヴァルバロの影は瞬く間に迫ってくる。


ヴァルバロは、俺を見ていなかった。

ただ、標的だけを見据えている。


最初から理解していたかのように。

俺が何を選ぶかを。


「お前は守りたいものを選んだ」


低い声が、聞こえてくる。


「だが、お前は、何も成し遂げない」


その言葉と同時に、

巨大な背中が、俺の視界を横切った。

追い越された。


――追いつけない。


「待て――!!」


イギルが、俺を見ていた。

涙に濡れた目が、俺のすぐ横に移った。


その視線の意味を、俺は理解した。


「――お父さん!!」


叫び声が地下に響く。

イギルが父親の方に体を向けた、その瞬間。


ヴァルバロの戦斧がためらいなく振り下ろされた。


刃が、人の身体を断つ音がした。

重く、鈍い音。

骨が砕け、肉が裂ける感触が空気を通して伝わってくる。


父親の身体が前のめりに崩れ落ちた。

続けて、振り抜かれることのないもう一撃。

刃の腹が、母親の胸元を叩き潰す。

短い、息の詰まる音。


そして――


崩れる。


「……あ……」


イギルの声が、音にならず消えた。


俺は転がるように駆け寄り、二人の前に膝をついた。


血が、広がっていく。

止まらない。

見ただけで、わかる。


――致命傷だ。


「……嘘だ……」


声が、震える。


俺は選んだ。

間違いなく選んだ。

それなのに。


「これが現実だ」


背後から、ヴァルバロの声。


「力こそが全て。力ある者が、全てを支配する」


戦斧が、床に落とされる。

その音が、終わりを告げる鐘のように響いた。


俺の視界の端で、イギルがその場に崩れ落ちた。

泣き声は無かった。

ただ、両親の名を呼ぶ唇だけが、何度も、何度も動いていた。


俺は、何も言えなかった。

守ると決めて、走って、それでも――

間に合わなかった。





血の匂いが濃くなった。

床に広がる赤が、時間と一緒に広がっていく。


俺は、動けなかった。

動かなければならないのに。


少し離れた場所でゴウが立ち尽くしていた。

肩が僅かに震えている。


「……俺が……」


ゴウの声は、掠れていた。


「俺が、もっと早く来ていれば……」


言葉は最後まで続かなかった。


ゴウは一度だけ目を閉じた。

深く息を吸い、吐く。


そして、再びヴァルバロに視線を向ける。


切り替えられていない。

それは、見ていてわかる。


それでも――


「……今、俺にできることは……」


呟きのような声。

自分の行動を悔いている。

自分の無力さに打ちひしがれている。

だが、考えることだけはやめていなかった。


両親の横で、イギルが動かない。

いや、動けないのだ。


両親を見下ろす視線が焦点を結ばない。

唇が震え、何かを言おうとして、言葉にならない。


次の瞬間。

感情が、溢れた。


「……なんで……」


声が、震えている。


「なんで……来たの……」


その言葉が、俺の胸に突き刺さる。


「助けるって……言ったじゃない……」


涙が頬を伝う。

怒り、絶望、無力感。

全部が混ざり合って、行き場を失っている。


「……なんで……」


視線が俺に向けられた。


責める目、縋る目、壊れかけた目。

どれでもあり、どれでもない。


俺は何も言えなかった。

どんな言葉を掛ければ良いか、分からなかった。


その沈黙をヴァルバロが破った。


「……いい目だ」


戦斧を肩に担ぎゆっくりとイギルに近づいていく。

もう振り回してはいない、興奮もない。


嵐が過ぎたあとの、嫌に澄んだ空気。


「ようやく仲間が助けに来た。そこに希望を見いだした。だが、結果は期待外れに終わった」


視線がイギルへ向けられる。

はっきりと、狙いを定めるように。


「親を目の前で殺されたやつは、果たして何を選ぶんだろうな」


戦斧の切っ先が僅かに持ち上がる。


「絶望に打ちひしがれるか。それとも――」


口元が、歪んだ。


「誰かを恨むか」


その瞬間。

背筋が、凍りついた。


「あの男を見ろ。助けると言った、守ると言った。だが、結果はどうだ。あいつはお前にちっぽけな希望を抱かせ、期待させただけだ。なにもできず、お前の両親は目の前で殺された――」


イギルは爪が食い込むほど拳を振るわせる。


「――あいつが、弱かったからだ」


「……やめろ」


声が、遅れて出る。


「さぁ、どうする。お前の両親は殺された。だが、あいつはまだ生きているぞ。自分の命を投げ出す勇気が無かったからだ」


「……」


「あいつが自分の命を投げ出していれば、お前の両親はまだ生きていたかもな。結局は自分が可愛いんだろう。守るなんて口では言っておきながら、本気で守るつもりなど無かったんだろうな」


俺は、それ以上なにも言い返せなかった。

ヴァルバロの言葉を、否定しきれない自分がいる。


「自分の両親は死んだのに、約束を果たさなかった、お前を裏切ったあいつだけが、飄々とまだ生きている」


ヴァルバロが腰に携えた短剣を抜き、イギルの目の前に放り投げた。


「さあ、どうする。お前には選ぶ権利がある」


空気が張り詰めた。


イギルは、短剣をじっと見つめている。

そして、ゆっくりと拾い上げた。


「イギル……!」


後ろからゴウの声が聞こえる。

だが、それ以上の言葉は無かった。


「私は――」


イギルの表情が強張る。

俺は、何も言わず、何もしなかった。


ここで彼女がどんな選択をしようと、俺はそれを受け入れるべきだと思った。

じっと、見守った。


「――私は、お父さんとお母さんを守ってほしかった。だけど、シェイムも、ゴウも、守ってくれなかった。……それは、弱かったからだ」


その言葉が、胸を締め付ける。

果てしない無力感と、自分に対する苛立ちが込み上げてくる。


「だけど――」


イギルは、短剣を強く握った。


「――だけど、それは、私も同じだ。」


イギルが短剣を手放す。

金属音が微かにその場に響いた。


「……そうか」


ヴァルバロは息を吐くと、戦斧を振り上げてイギルの頭上に構えた。


「お前も弱者のまま終わるんだな」


ヴァルバロが戦斧を握る手に力を込めた。


緊迫する状況の中、俺の頭はやけに冷静だった。

ここに来るまでのことが、頭の中に一気に押し寄せる。


地上で戦った兵士たち。

侵入を許すまいという決意に満ちた目。


剣を握り、相手と向き合い、次の一撃でどちらかが倒れると理解した瞬間。


――殺すか、殺されるか。


その単純で残酷な現実に、俺は躊躇っていた。

剣を振るえば、相手の命は終わる。

それを自分の意思で選ぶことがどうしても怖かった。


だが。

今、目の前にある光景が、その甘さを容赦なく叩き壊す。


選んだのに、走ったのに、守れなかった。


「……違う」


喉の奥から、掠れた声が漏れる。


違う。

俺は、間違えた。


――奪わなかったからだ。


命を奪うことを、恐れたからだ。

奪われないためには、奪うしかない。

守るためには、踏み越えるしかない。


その考えが、胸の奥に重く沈む。


――そうだ。


そうしなければ、何も守れない。


「……奪われないためには、奪うしかない」


「……ほう」


ヴァルバロの意識が、イギルから途切れた。

そして、こちらを見ていた。

まるで、心の中を覗き込んでいるかのように。


「お前も、そう思うか」


戦斧を、軽く回す。


「奪われぬために奪う。守るために殺す」


淡々と、噛み砕くように言う。


「それが、この国の理だ」


胸が、ざわつく。


「力ある者が支配する。それの何が悪い」


視線が鋭く突き刺さる。


「お前も今、同じ結論に至った」


息が詰まった。

否定したい。

否定しなければならない。


だが――


言葉が、出ない。

事実だからだ。


俺が今剣を振るおうとしている理由は、ヴァルバロと同じ構造をしている。


「……違う……」


絞り出すように、言う。


「俺は……お前みたいには……」


「何が違う」


即座に返される。


「理由か?……死んだ者からすれば、どちらも同じだ。俺は、自分の正義が奪われないために殺す。お前は、自分の守りたいものを奪われないために殺すんだろ?」


世界が静まり返る。

俺は剣を握り締めた。


「――何が違うんだ」


――違わないのかも、しれない。


それでも、立たなければならない。

俺が選ぼうとしている道が歪んでいるとしても。


ここで何も選ばないことだけは、許されない。

正しさはまだ見えない。

それでも。


「……それでも、俺は……」


声が、震える。

震えながらも前を向く。


「お前を、止める」


その宣言がどれほど矛盾しているか、自分でもわかっている。


それでも。

ここから先は、逃げない。

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