第三節『二人目』⑦ ・戦う意味・
「……たす、けて……助けて、シェイム……!」
掠れ、喉を裂くような声だった。
視界に入ったイギルの身体は、記憶の中の姿と大きく違っていた。
紫と黒が入り混じった痣、裂けた皮膚、乾ききった血の跡。
地下牢に連れ去られてからの時間を、俺は知らない。
だが、どれほどの苦痛が与えられたかだけは、見ればわかる。
「お父さんと……お母さんが……」
震える唇からこぼれ落ちた言葉に、胸の奥が焼けついた。
イギルの視線の先。
大斧を携えたヴァルバロが、倒れ伏す男女を無造作に踏みつけている。
骨が軋む音が、湿った床に響いた。
連れ去られたというイギルの両親。
目の前の光景と記憶が一瞬で結び付く。
――見せしめだ。
子どもの目の前で、命を奪うための。
理解した瞬間、怒りが理性を引き裂いた。
「……なんで、こんなことができる」
剣を握る指が、痛むほどに力を込める。
こいつには、人の心が欠片もない。
「……誰だ。邪魔しやがったのは」
振り向いたヴァルバロの額に、血管が浮き上がる。
「こんなに人をいたぶって、何が楽しいんだ!」
「……あ?」
「自分が何をしてるかわかってんのか!!」
返事の代わりに、戦斧が持ち上げられた。
鈍く重い両刃が、地下の灯りを歪ませる。
「その生意気な目……思い出したぞ。地上で俺に楯突いた雑魚か。何の用だ」
「イギルと、罪のない人たちを助けに来た」
嘲笑。
ヴァルバロの口元が歪む。
「助ける?どうやってだ」
「――ここで、お前を倒す」
剣を構える。
これ以上、犠牲は出させない。
【身体強化】を発動し、床を蹴った瞬間。
――視界から、ヴァルバロが消えた。
「っ!?」
空気が裂ける。
次の瞬間、眼前に迫る巨体。
咄嗟に剣を合わせた、刹那。
振り下ろされた戦斧が、山の崩落のような圧で叩きつけられる。
咄嗟に剣を合わせたが――
ヴァルバロの一撃は、俺の防御などもろともしなかった。
「ぐっ……!」
戦斧が肩を裂き、内臓を叩き潰す程の衝撃が足先まで駆け抜けた。
肉が裂け、熱い血が噴き出す感覚。
後方へ跳び退き、必死に距離を取る。
肩が言うことをきかない。
ヴァルバロは、楽しそうに口角を吊り上げた。
「その程度で――」
斧の刃先が、床を削り火花を散らす。
「――どうやって俺を倒すつもりだ?」
――違う。
こいつは、斬っているのではない。
壊しているのだ。
人を、思想を、自由を。
ヴァルバロの前では何もかもが無力、そんな考えたくもない結論が自然と脳裏を過ぎる。
一撃だが、それほどまでに圧倒的だった。
――それでも、ここで折れたら終わりだ。
神経を直接撫でられるような痛みを堪えながら、再び剣先をヴァルバロに向ける。
【身体強化】によって体の感覚を研ぎ澄ませる。
「……確かに俺は弱い。だけどな、諦める理由には絶対にならない」
イギルと両親の位置を確認する。
(俺がヴァルバロの注意を引いてる間に――いや、無理か)
3人ともすぐに自力で動けるような状態ではない。
せめて――
せめて、フィリイが来るまで、俺が立っていなければならない。
「お前こそ、俺を一撃で仕留められないなんて、噂ほどの実力はないらしいな」
「安い挑発だな。安心しろ、すぐに喋れなくなる」
戦斧が再び刃を光らせる。
以外にも冷静に戦闘をするタイプらしい。
……厄介なやつだ。
致命傷を避けていれば――
そんな甘い考えに、今は縋るしかなかった。
剣を握り直し、踏み込む。
【身体強化】で引き上げた感覚を、限界まで研ぎ澄ます。
視界の端で、戦斧がわずかに傾いた。
――今だ。
床を蹴り、斜めに切り込む。
狙うのは首。
防がれようと、避けられようと、牽制になればそれでいい。
刃が――当たった。
確かな手応え。
肉に触れた感触。
だが。
「……それが本気か?」
ヴァルバロの声が、頭上から落ちてきた。
切り裂いたはずの首筋に、血は滲んでいない。
皮膚に、浅い白線が残っただけだ。
「――っ!」
理解するより早く、視界が回転した。
横薙ぎ。
戦斧の柄が、腹部を叩き潰す。
息が、肺から押し出された。
内臓が裏返るような衝撃に、身体が宙を舞う。
壁に叩きつけられ、床を転がる。
咳と一緒に、赤いものが口からこぼれた。
「が……っ、は……!」
立ち上がろうとして、足がもつれる。
身体強化が、痛覚をごまかしきれていない。
ヴァルバロは歩いてきた。
急がない。
自分から逃げられる獲物などいない、とでも言うように。
「タイミングも、狙いも、悪くはない」
戦斧が、軽く持ち上がる。
「だが――遅い、弱い。覚悟も、足りない」
振り下ろされた一撃が、床を叩き割る。
破片が飛び、衝撃波が全身を打つ。
回避が、半歩遅れた。
左脚に、焼けるような痛み。
膝が、嫌な音を立てて歪む。
「っ、あああ……!」
転がり、必死に距離を取る。
脚が、震えている。
言うことをきかない。
「ここまで来ておいて、お前はまだ自分の命を投げ出す覚悟も――誰かの命を奪う覚悟もない。本気で助けるつもりはあるのか?本当に、助けになっていると思っているのか?」
低い声。
責めるでも、嘲るでもない。
事実を述べるだけの声。
「お前が来る前から、あのガキは苦しんでいた。来てからは、わずかに希望を持った」
戦斧の先が、イギルの方を向く。
「希望はな――折れるとき、一番痛む」
胸の奥が、凍りついた。
――違う。
――俺は、助けに来た。
反論しようとして、言葉が出ない。
現実が、視界にある。
イギルは傷つけられ、両親は踏みつけられ、俺は――立っているだけで精一杯だ。
「来なければよかった、とは思わないのか?」
その一言が、深く突き刺さった。
剣を持つ腕が、重い。
理由が、曖昧になる。
俺がここにいることで、無意味に時間だけが引き延ばされているのではないか。
その間に――
この男は、確実に命を奪う。
「……っ、黙れ……!」
自分に言い聞かせるように叫び、再び踏み込む。
今度は、捨て身だった。
守りも、回避も考えない。
当たればいい。
戦斧が、真上から振り下ろされた。
受け止められないと、理解した瞬間。
身体が、勝手に動いた。
剣を手放し、転がる。
直後、さっきまで俺がいた場所が、完全に砕け散った。
剣が、床に転がる音がする。
――拾えない。
「なん……でだ……」
指が、震えて動かない。
視界が、暗くなる。
ヴァルバロが、剣を踏みつけた。
「……くだらん。命を奪う価値もない」
その声を、遠くで聞いた。
立ち上がる理由が、見つからない。
俺は本当に守りたいのか、イギルたちの命を。
自分の命を投げ出す覚悟はあるのか。
いや。
――俺に、死ぬ覚悟なんて、ない。
その瞬間。
戦斧が、イギルたちの方へ向けられた。
イギルは両親の手を取り、身を寄せ合っていた。
持ち上げられた刃がギラリと光る。
「あ……」
ヴァルバロが、イギルたちの方へ跳んだ。
声にならない声が、喉で潰れる。
止められない。
間に合わない。
恐怖に染まったイギルの瞳が、はっきりと見えた。
面白いと感じた方はブックマークをお願いします!
評価やコメントなどもお待ちしています!
評価は広告下の☆☆☆☆☆から出来るのでお気軽に是非!




