第三節『二人目』① ・作戦・
【城塞都市メルバイン】。
都市内部に存在する巨大な牢獄。
そして、その牢獄の最下層にある処刑場。
これまで幾度となく囚人たちが人生の幕を降ろしたこの場所に、一人の少女と一匹の魔物が対峙していた。
獲物を狙うパララウスは姿勢を低くして唸る。
対して、イギルは緊張した面持ちで構えていた。
「これを使わせてやる」
イギルが声の方を見上げると、明かりに照らされ影になった細長いものが2つ降ってきていた。
ドサッドサッと重たい音が続く。
どうやら鉄製の鞘と短剣のようだ。
上を見れば、ヴァルバロが1つ上層から処刑場を見下ろしていた。
上層には処刑場をぐるりと取り囲むように柵が設置されていて、下を覗けるようになっている。
「醜く足掻け。その方が面白いからな」
投げられた際に空中で剣が出てしまったのだろう。
イギルは剣を素早く拾った。
剣は錆びていて刃こぼれもしている。
しかし、今はこの心許ない小さな武器だけが頼りだ。
記憶の中のゴウを思い出す。
彼女は何度か、ゴウがパララウスを狩る様子を見たことがあった。
危ないから下の森には着いてくるなと念を押されたが、興味を抑えきれず後を着けたのだ。
あの時の勇猛果敢な姿は脳裏に焼き付けられていて、鮮明に思い返すことができる。
真似なんてできっこない、なんせ自分にはゴウのような技術もセンスも力もない。
それでも、勝つためにはやらなくてはならない。
必ず生きて、お父さんとお母さんにもう一度会うんだ。
イギルが剣を構えると、足元の砂が音を鳴らした。
「始めろ」
ヴァルバロが合図をした次の瞬間、パララウスは低い姿勢から勢いよくイギルに飛びついた。
鋭い牙が、少女がいた空間を切り取る。
しかし、そこに少女の姿はなく、圧倒的な咬合力で顎を噛み合せる音だけが響き渡った。
イギルは、パララウスの一撃を躱していた。
少女を見たヴァルバロは小さく鼻を鳴らす。
彼女はその小さな体に【身体強化】を施していたのだ。
パララウスの体がズームされ、周りの景色が遠のいていく。
牢屋から聞こえる声も足音も聞こえなくなり、全ての感覚がパララウスの一挙一動を捉える。
一瞬時が止まったかと錯覚するような感覚。
静寂がその場を支配する。
三ヶ月前、両親が連れ去られたあの日から。
イギルはゴウにも知られることなく【魔力】の特訓をしていた。
自分も強くなりたい、心からそう思っていた。
強く生きてと母が望んだように。
強く憧れたゴウの背中のように。
魔物はその巨体を大きく躍動させる。
イギルはその場から飛び出し、壁伝いに駆け出した。
真っ直ぐに向かってきたパララウスは進路を変更し、イギルの後を追いかける。
少女と魔物の距離が瞬く間に縮まっていく。
後ろを覗いて【魔力】の塊をぶつけるが、全く効果はない。
背中にパララウスの息遣いを感じた次の瞬間、その鋭い爪が彼女を捉える。
振り向きざまに剣を盾にして攻撃を防いだ。
剣が大きく弾かれるが、離さないように力を込める。
剣先を下に向けたまま壁を蹴り上がり、落下しながらパララウスの背後を斬りつける。
しかし、パララウスはイギルを後ろ足で蹴り飛ばした。
痛みを堪えて体勢を立て直すも、魔物は目の前まで迫っていた。
パララウスが前足を振り上げる。
回避は間に合わない。
イギルは剣を構えた。
しかし、鋭い爪が少女の肩を切り裂く。
「ぐっ……!」
少女は痛みを堪えきれずに声を漏らした。
それでも、ここまで接近できるチャンスは多くない。
ここぞとばかりに振り抜いた剣がパララウスに命中した。
一瞬の喜びも束の間、頭上に鋭利な爪が振り上げられる。
少女はその場から飛び退いて回避した。
先程剣で斬りつけた場所を見る。
そこには微かに体毛が乱れた形跡が残っていただけだった。
イギルの腕力と技術、そしてこの錆びた剣ではパララウスの分厚い毛皮を斬ることはできない。
それを理解した途端に身体は重くなる。
自分が、この大きな魔物に勝つ道筋が見えない。
頼みの綱の剣が効かず、どう勝てというのか。
恐怖と絶望の前に、足がすくむ。
「諦めるな……!」
イギルは声に出して自分自身を鼓舞する。
思い出せ、自分がなぜ戦っているのかを。
思い出せ、自分が憧れた背中を。
イメージするんだ、自分の力のその先を。
少女はその瞳に再び闘志を宿す。
自分の「力」は強力ではない。
しかし、使い方によっては武器になる。
少女はそれを明確に理解していた。
極限状態の中、頭はいつもより冴えていた。
視界の端がキラリと輝く。
その時、イギルの頭にある作戦が思い浮かんだ。
作戦に必要な道筋を立てていく。
「……よし」
覚悟を決めろ、やるしかないんだ。
イギルはパララウスに向かって駆け出した。
上段に構えた剣を振り下ろすが、パララウスはその巨体を一瞬でずらし回避した。
今度は反対にパララウスの爪がイギルを襲う。
その攻撃を剣で防ぎ、地面を転がって衝撃を受け流す。
素早く立ち上がり、再び魔物に斬り掛かった。
またしても攻撃は当たらず、地面を転がって距離を取る。
しかし、パララウスは距離を詰めていた。
大口を開けてイギルに迫る。
少女の右腕が噛みちぎられる寸前、彼女はパララウスの口内に【魔力】の球を放出する。
一瞬、パララウスが怯んだ。
その隙に右腕を口から出して、左手に握る剣をパララウスの喉に突き刺した。
剣先が僅かに沈み込んだが、毛皮に阻まれて終わる。
パララウスは鬱陶しそうに頭を振った。
少女は再び地面を転がり、地面に手をついて立ち上がる。
(あともう少し……!)
ここまでは作戦通り。
残るは数手、ミスは許されない。
イギルは加速してパララウスに肉薄する。
そして、そこからさらに加速して背後に回り込んだ。
この戦いで初めて見せる速度。
そして、これがイギルの最高速度。
無防備なパララウスの背後を、上段から斬りつけた。
刹那。
イギルの剣がパララウスに触れると同時に、パララウスは超速の反応を見せ、イギルの腹部に強烈な後ろ蹴りを炸裂させた。
「カハッ……!」
声にならない声が漏れる。
内蔵が押し潰される感覚。
息が、吸えない、吐けない。
イギルの体は宙を舞い、勢いそのまま壁に激突した。
砂煙が立ち込め、一瞬の静寂が訪れる。
剣を手放し【身体強化】も解けた状態で、イギルは小さく倒れていた。
引き裂かれた肩から血を流し、全身には無数の傷。
右腕の前腕は酷く腫れ、壁に強くぶつけ頭からは血を流している。
「終わりだな」
ヴァルバロは興醒めだと言わんばかりの視線をイギルに送った。
かろうじて、イギルは息をしていた。
蹴られた腹部が重い、あつい。
蹴られた直後は息ができず、声を出すことも無く苦しんでいた。
ようやく息を吸えるようになったイギルは、最後の力を振り絞り壁に寄りかかるように座る。
そして、近くに落ちていた剣を手に取った。
「今更お前に何ができる」
ヴァルバロはイギルを睨む。
「うる、さい……まだ、負けてない……」
イギルの眼は死んでいなかった。
その先にある、何かを見据えている。
「くだらん。もういい」
ヴァルバロはパチンと指を鳴らした。
瞬間、パララウスは待てを解かれた犬のように駆け出した。
三メートルを超える巨体がイギルへ一直線に迫る。
イギルは、パララウスの動きをじっと見ていた。
静かに、感覚を研ぎ澄ませながら。
目の前から迫る恐怖を遮るために1度目を閉じて、息を吐き切る。
集中、集中するんだ。
一気に空気を肺に取り込むと同時に【身体強化】を施す。
右手に剣を握り、体に付着する石を左手に集めた。
パララウスの牙が眼前に迫る。
その瞬間、イギルは【魔力】を発動した。
ドンッという凄まじい衝撃音と共に砂煙が舞い上がる。
イギルの姿は、パララウスの影に呑まれた。
「あいつの死体は街の下に投げ捨てておけ。そのまま喰わせても構わん」
ヴァルバロは踵を返して暗い闇の中に消えていく。
「ヴァ、ヴァルバロ様……!」
英雄の背中を、看守が呼び止めた。
面倒くさそうにヴァルバロが処刑場を覗きに戻ると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
「……どうなってる」
静止したパララウスと少女。
しかしよく見ると、パララウスの喉を剣が貫通していた。
屈強な魔物と、か弱い少女の対決。
しかし、息絶えていたのは魔物の方であった。
「……口の中から剣を刺しやがったのか。あの短い剣でそんな事ができるとは思えねぇがな」
ヴァルバロは状況を把握しようと目を凝らす。
そして、気がついた。
短い剣とその鞘。
そして、いくつもの石がひとつに繋がり、それが壁とパララウスの間につっかえている。
少女はパララウスの勢いと壁の支えを利用し、パワーを補って剣を突き刺したのだ。
ただ、剣と鞘、そして連なる石が絶妙なバランスを保っていることが、やけに奇妙だった。
「……どう、だ、俺の【魔力】はすげーだろ……」
「………このガキ、【覚醒魔力】を持ってやがったのか」
イギルの【魔力】、それは【物質掌握】。
彼女の【物質掌握】は触れた「もの」と「もの」を固定する能力。
八百屋から1人では到底抱えきれないほどの食料を盗むことができたのも、この力のおかげである。
何度もパララウスに迫ったのも、全てはこの作戦のため。
転がりながら適した大きさの石を体に付着させ、剣を伸ばすのに必要な材料を集める。
ヴァルバロが剣と共に投げ入れた鞘を回収する必要もあった。
さらに、イギルの力ではパララウスの体組織を貫通させるほどの威力は生み出せない。
そのため、パララウスが向かってくる勢いと壁の支えを上手く使わなければならなかった。
後ろ蹴りを受けたのは想定外だったが、壁際にパララウスを誘き寄せる手間を省くことができた。
イギルはその場に倒れた。
全てを出し切った。
体はもう動かない。
小さな体でぜぇぜぇと息をするイギルの後ろにある鉄柵が、古びた音を立てながら重々しく釣り上げられていく。
そのゲートから、ヴァルバロが姿を現した。
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