六話
聖女と王太子と取り巻きのよくあるあれ。
神託の書かれた紙を前に難しい顔をしているカインと側近たちに、レオナは明るく振る舞った。
レオナには難しい話はわからないし、興味もない。だがカインの気がシルヴィアに向くのが嫌だった。
「カイン様、心配しないでください。何があっても私がついてます!」
これはどういう意味なのかを考えていたカインたちは、レオナの言葉にぽかんとなった。
「わたくしの精霊魔法を使えば……。あっ、その前に、大地の精霊にお願いしてみしょうか。酷いことはしないでって!」
名案、とばかりにぱんと手を叩いたレオナに、彼らは聖女の力を思い出した。
聖女の祝福は精霊への祈りによって怪我や病気を癒したり、荒れた土地に緑を蘇らせたりできる。いわば万能だ。普通の人間は魔力の大きさによって使える魔法が限られている。その魔力の大きさも血統でほとんど決まってしまうが、聖女は精霊の力を使うため魔力が枯渇することがない。唯一にして至高の存在、それが聖女なのだ。
「そうか。レオナなら神託を覆せるのかもしれない!」
カインが叫んだ。
精霊は神のしもべなのだから神の決定に逆らうことはないのだが、そんなことを思いつきもしないのがレオナである。自分が祈ればあらゆる精霊は言うことを聞くと思っている。
「何事もないのが一番です」
「そうですね。被害が出るとわかってみすみす待つ必要はありません」
むしろそのためにシルヴィアは頑張っている。とんでもない方向へ突き進もうとしていることに、カインは気づかなかった。
感激したカインは立ち上がるとレオナを抱きしめた。
「ありがとう! レオナ!」
「きゃっ」
座ったままだったレオナは突然のことにちいさく悲鳴をあげた。真っ赤になったレオナに慌ててカインが離れる。
「あっ、……すまない」
「い、いいえ」
どうせならひざまずき、騎士がするように手の甲にキスをしてくれれば良かったのに。レオナも年頃の少女である。そうしたシチュエーションに憧れていた。
レオナはシルヴィアとは正反対だ。あけっぴろげに笑い怒り泣き、カインを振り回している。元々平民であったせいか贅沢が好きで、カインの贈り物に大げさなほど喜んだ。カインにしてみればはした金でもレオナには大金で買い求めたそれに、うっとりと感動して身に着けてくれた。
金で済むレオナに比べ、真心を求めるシルヴィアはやりにくいのだ。
レオナの両親もわかりやすい人だった。成金にありがちなごてごてしたドレスや調度品を好み、聖女の親であることを笠に着て社交界でやりたい放題である。貴族は彼らを歓迎した。あまりにもあからさまなため、わざわざ排除する必要はないと判断されたのである。腹の探り合いが標準装備の貴族にとって、レオナなど可愛いお嬢ちゃんだ。おだてておけばいいのだから扱いやすい。
そんなレオナを王太子妃にと望む一派もいる。その筆頭がカインの側近たち、未来の重臣となる貴族子息だった。彼らにはレオナは純真無垢に見えている。貴族として生まれた箱入りならではの青さだ。
甘い雰囲気になったカインとレオナに遠慮して、彼らは執務室を後にした。
「なぜ、レオナ様が愛し子ではないのだ」
「愛し子は神託、聖女は祝福。逆ではないのか?」
「愛し子であればカイン様の妃にできる。我らもレオナ様にお仕えできるのに」
彼らの不満はそこである。愛し子と聖女が逆であれば良いのにという思いは日に日に高まっていった。
シルヴィアに不満はない。いや、不満の抱きようがないのが不満といったところか。人柄、容姿、能力、どれをとっても文句のつけようがなかった。
だがシルヴィアは魔法を使えない。神の言葉が聞けるだけで精霊魔法を使えないのだ。
若者たちは目に見える成果を喜んだ。シルヴィアを我が物にしようとカインを狙う他国の暗殺者を退け、負傷してもすぐさま癒し、毒を盛られてもレオナが無効化してくれる。これほど頼もしく、心強い女性は他にいないだろう。
だからこそ、愛し子の称号をレオナに与えたいのだ。シルヴィアではなくレオナが王妃になれば精霊魔法で国を守れる。どこの国も戦争を仕掛けてこられない。聖女ほど強力な抑止力はない。
「……いや、本当は逆なんじゃないかな」
沈んだ顔の男たちの中で、そう言ったのは次期神官長と目されている男だった。
「どういうことだ?」
「上の事情だ。聖女には精霊がついていて手が出せない。だったら魔法を使えないが神託を聞ける娘を懐柔したほうが楽だと思わないか」
教会も王家も、操りやすい娘が愛し子のほうが都合が良い。力では敵わない娘よりは丸め込めそうな娘のほうを妃にしたほうがやりやすいからだ。
「なるほどな。ありそうな話だ」
「愛し子については不明な点が多すぎる。文献には『神に愛されし娘』『愛し子を大切にした国は繁栄する』『人々に神託を伝える者』くらいしか書かれていない。ああそうだ『愛し子が現れし時聖女が生まれる』もあったな」
歴代愛し子の偉業は残っていても、終わりはいずれも不明だった。どこの国でもたいてい王妃にと望まれているが、本当に王妃になったのか、子を何人生んだのか、いつ亡くなったのかの記述がどこにもなかった。
「いつの間にか消えてしまう愛し子より、聖女を王妃にするべきだ」
「聖女については何と書かれているんだ?」
「平和なもんだ。誰それと結婚して子を産み、どこそこに埋葬されたときちんと残されている。墓はその後教会になるのがほとんどだな」
「だったらなおさら!」
叫んだのは騎士団長の息子だった。カインの側近であり、護衛の筆頭騎士である。
「王太子妃にはレオナ様のほうがいい。国母となる方がある日忽然と消えるなど、あってはならない!」
激情家の彼らしい意見だった。
男たちはちらちらと目線を交わす。
彼の言葉はこの場の全員一致の意見であった。ここにはいないがカインも常々口にしているのだ。仕える主の意を汲みたい忠義心を含めても、レオナのほうがカインもみんなも幸せだ。
しかしカインとシルヴィアの婚約は国王が定めたものである。王太子の臣下にすぎず、家督を継いでもいない彼らが王に直訴などできなかった。
「……一度、父に進言したことがある」
「宰相は、何と?」
「愛し子と聖女の意味をよく考えろ、とだけだ」
宰相である父に冷たく言われた彼は考えた。考えてみても聖女のほうに利があり、称号が逆だとしか思えなかった。
父はそんな息子に失望したらしい。それでも後を継ぐ者として見捨てることはしなかった。会話は減ったが後継者教育の一環で仕事の手伝いをさせられている。聖女を認めようとしない父に反発して、彼はこうして王宮に逃げてきているのだ。
「宰相閣下がそれでは、王も重臣方もレオナを認めないだろうな」
ため息を吐いたのは誰だったか。騎士団長の息子は苛々と部屋を歩き回り、そうだ、と呟いた。
「シルヴィア様に訴えてみたらどうだ?」
「シルヴィア様に?」
「ああ。シルヴィア様がカイン様をお慕いしているのならともかく、愛し子としての義務だろう。それに、愛し子からの婚約破棄なら陛下もお認めになられるかもしれない」
むしろパパが大賛成するが、彼らはそれを知らない。
知らないというのは実に平和なものだ。シルヴィアがどれほど頑張って悪意をスルーしているのか、なぜレオナをカインにつけたのかも気づいていない。宰相もまさか息子がこんなに考え無しに育つとは夢にも思わなかっただろう。
平和に慣れ切った彼らはその手があったと口々に賛同した。シルヴィアとカインの婚約は完全に国の都合で本人たちの意志は無視である。シルヴィアとカインの仲は悪くない――それどころか良好だが、それだって幼い頃からの情があるからだろう。恋ではない。
レオナは野心もあるが、カインに恋をしているのは間違いない。カインの役に立ちたいと体を張れるだけの情熱があった。
「ふむ。愛し子本人の願いなら、あるいは」
「シルヴィア様ならカイン様のためと言えば身を引いてくれるだろう」
「なんなら教会に行ってもらったら良い。愛し子がいるとなれば箔がつく」
「そうだな。否と言って拒むようならそうしていただこう」
「カイン様とレオナ様を呼んできます。我らからよりお二人に説得してもらったほうがシルヴィア様も納得していただけるでしょう」
善は急げとばかりにカインとレオナの元へ向かう。彼らは自分たちの行いが正しいと信じて疑っていなかった。