三話
結いもせぬ黒髪を揺らしながらシルヴィアは王太子を探していた。後ろには護衛の騎士が続く。隣には親友のグレイス・バーネット伯爵令嬢が彼女と手を繋いでいた。
「王太子様、どこにいったのかしら」
グレイスがぼやいた。てっきり執務室にいると思ったのに、聖女と側近と共に息抜きに行ってしまったらしい。
聖女が来てからというもの仕事をさぼりがちな王太子に、文官たちも困り顔だった。
「息抜きと言っていたからお散歩でもしているのかもしれないわね。良いお天気ですもの」
パパは王太子が嫌いらしく、居場所を教えることはない。娘の彼氏に反感を抱くのは神であろうとも父親共通の感情のようだ。
「本当に良いお天気。ちょっと回り道して行く?」
「いいわね。居ないのはカイン様のほうなんですものね」
くすくすと笑う少女たちに、護衛の騎士は苦笑ぎみだ。
本当はわかっている。王太子は聖女といるのだ。どうせこんな天気の良い日に執務室に引きこもっているのはもったいないと強請られたのだろう。仕事中だと跳ね除ければいいのにそれをしないのは、カイン自身もやってられるかと思っているからである。
シルヴィアがカインを探しているのは王に神託を伝えてもらうためである。愛し子といえど王とすぐに会えるわけではないのだ。メイドから王宮の侍女に、侍女から伝令に、伝令から王の側近にといくつもの取り次ぎが続く。しかもそれで会えるかというとそうではなく、きちんとした手順が必要になった。ようするに、とてつもなく面倒なのである。
だったらカインから王に伝えて貰ったほうが早い。カインは王太子であり、王への直言が許されている数少ない臣下である。跡継ぎとして意見を求められることを考えると、カインが行くほうが良いのだ。
広い王宮内をグレイスと眺めながら歩くうちに、カインを発見した。グレイスが名残惜しげに手を放し、一礼して下がる。騎士も同じく控えた。
カインたちは聖女を中心にのんびりお茶を楽しんでいるところだった。澄まし顔で控えていたメイドがシルヴィアを見てほっとした笑みを浮かべる。予想通り、聖女の我儘でお茶会になったようだ。
「カイン様」
「シルヴィア、どうした」
シルヴィアが声をかけると聖女がさっきまでの笑みをすっと消した。わかりやすいなぁと思いながら用件を告げる。
『シルヴィアを呼び捨てにするな! 早くも旦那気取りかこの色男め!』
パパは黙ってて。
シルヴィアは真面目な表情を作った。
「神託が降りました」
王太子に向けて淑女の礼をとってシルヴィアは、今度は婚約者に縋るような目を向けた。
神託。カインは一瞬聖女と目線を交わすと姿勢を正した。聖女と側近たちも背筋を伸ばす。
「聞こう」
「はい。――近く、我が国を中心に大陸が大きく揺れるであろう。以上です」
もちろんこれは翻訳である。タートや神官たちとも話し合ってそういうことだろうと見当をつけた。
「揺れる……地震か?」
「おそらくは。ですがわが国にはブシート山があります。噴火の可能性もあるかと思います」
数万人規模のどかんとでかいこと。となれば大災害だろう。もっとも可能性が高いのが地震と噴火だった。歴史上水不足に陥ったことはあるが、水では限定的過ぎて当てはまらない。他国への影響も含めて考えた結果だった。
「わかった。王に伝えよう」
「ありがとうございます」
「教会には伝えたのか」
「はい。タート神官長が来てくださいました」
神託が降ったとなれば何を置いても駆けつけるのが教会である。神の言葉ほど尊いものはなく、愛し子が呼べば迷いもせずにやってくる。王よりよほど愛し子を大切にしていた。
「そうか、ご苦労だったな。シルヴィア、下がって良いぞ」
「はい。対策はいかがいたしましょう」
「それは私たちが考えることだ。いつまでも君に頼ってばかりはいられないからね」
皮肉か。これまではシルヴィアとカインが神託の対策を考えてきた。たしかにいつまでも頼られるのも億劫だが、神託を受けた本人を下がらせるのは良策とはいえなかった。
『かーっ。今までシルヴィア任せだったくせに、言ったなコノヤロー!』
パパは落ち着け。目の前にいたら地団太踏んでいる姿が見えただろう。神よ、もうちょっとそれらしくしてください。
原因であろう聖女に目を向ける。カインに神罰が降りやしないかヒヤヒヤものである。
「レオナ、カイン様によく仕えているようですね」
「はい」
聖女レオナが深々と頭を下げた。ここで気にしていないアピールをしないと後が怖い。
「しっかりやっているようで安心したわ。カイン様はこれからお忙しくなるでしょうし、わたくしとお茶しませんこと? グレイスも一緒に」
「い、いいえ。わたくしはカイン様をお守りします」
「そう……。でも、あまり無理はいけませんよ」
「はい、ありがとうございます」
シルヴィアがカインに一礼し、下がるまでレオナは頭を下げ続けていた。パパがため息を吐いている。
『聖女は失敗した……』
聖女は本来愛し子を守るものなのだ。良き友人、理解者となり愛し子を支える。だがどういうわけか、歴代の愛し子と聖女の仲はあまり良くない。レオナも例に倣ってシルヴィアを疎ましく思っているようだ。
まあ、男が絡んでるからね。無理もない。シルヴィアは割り切っていた。別に文句はない、というよりせっかくのグレイスとの一時をレオナに邪魔されなくて良かったとすら思っている。男ならいくらでもいるが、真に心を通わせた親友は一人だけだ。
一応フォローはした。足が弾みそうになるのをなんとか堪えてグレイスの元へ行く。そっけない対応に怒りを堪えていたらしい彼女は、さっとシルヴィアの手を取った。
グレイスはその美貌もさることながら、強大すぎる魔力で家族から疎外されてきた。後継ぎとなる兄よりも魔力が大きいのだ。彼女が怒れば城が吹き飛ぶとまで囁かれている。そのせいで誰もがグレイスとは距離をとった。
人々から敬われて気づかわれる愛し子と、人々から恐れられていたグレイスが親しくなるのに時間はかからなかった。寂しさを共感し、互いの心を打ち明け、好きなもの、嫌いなもの、なんでも相談した。愛し子はあらゆる魔法の干渉を受けない。グレイスの魔力が暴走してもシルヴィアを傷つけることはないのだ。唯一の例外は聖女の精霊魔法だが、精霊は愛し子を守る存在でもある。無用の心配だった。
グレイスとの友情もあってシルヴィアには聖女はあまり必要ではなかった。パパが気を使って用意してくれたが一目見て気が合わなそうなのでさっさとカインに押し付けてしまったほどである。先程の様子では予想以上に上手くやっているようだし、放っておいてもいいだろう。
『グレイスちゃんとお茶会か。いいなぁ。シルヴィアや、こっちに来る時はグレイスちゃんも一緒に来ていいからね』
家に遊びに誘う感覚で天の国に招かないでいただきたい。グレイスの意志やら人権をもっと尊重してパパ。
黙ったままのシルヴィアを聖女が不快にさせたのかと心配したグレイスが握った手に力を込めてきた。そうではないと笑うとほっとしたようにグレイスも笑う。
「昨日摘んだ苺でジャムを作ったの。一緒に食べましょう」
「いいわね! そうだ、わたくしたちもお外でお茶にしましょう」
笑いさざめきながら二人は愛し子の住まいである城へと足早に向かって行った。