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ワタシの物語  作者: 匿名
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とある女の物語

 私は、期待の新人と言われていた看護婦だった。そう言われていたのは、一度こうすればいいと思ってしまうと、思い直すことなくそのことに邁進してしまうという“悪い癖”のおかげだった。この癖のおかげで看護婦になれたといっても過言ではない。

 ただ、私は忘れて、いや、思い込んでいたのだ。この癖のおかげでいいことばかりが起こると。しっかりと思い返してみれば、その良いことに比べるべくもないほどの悪いことが起こっていたというのに。


 それは、とある夏の日のことだった。一度見ておいた方がいい、人を癒すこと、守ることににもっとやりがいを感じるようになるから、と女の子の双子の出産に立ち会ったのだ。


 それを私に言ってくれたのは、私ととても仲の良い先輩だった。私より二、三歳上で、私と同じように二十歳で病院にやってきたそうだ。本当は彼女が立ち会う予定だったのだが、彼女が上司に掛け合って今まで一度も立ち会ったことのない私に譲ってくれたのだ。


 それは本当に素晴らしいもので、こうやって生まれた命を守るためにいるんだと思うと心の底からこの仕事につけて良かったと思えた。


 生まれたばかりの赤子にはネームバンドをつける。赤ちゃんの取り違えを防ぐためだ。その時私は、そこのネームタグを取ってと頼まれた。けれどそこで私は些細なミスを犯してしまった。先に生まれたこと後に生まれた子、つまり姉と妹につけるネームバンドを取り違えてしまったのだ。


 多分ネームバンドを取ってと頼んだその人はどちらがどの名前なのか知っていて、きっと常時なら私の間違いに気づいてくれただろう。けれど双子の出産は体にかかる負担も大きかったのか、母親となったその女性の容体がその時突然悪化してしまったのだ。

 結果的に母親は無事回復したのだが、その時付けたネームバンドはそのままつけられてしまい、姉と妹が逆転してしまった。


 そのことに私が気付いたのは、その日家でゆっくりとくつろいでいるときだった。一時はどうしようどうしようと慌てふためいたのだが、よくよく考えてみれば今の今まで何も言われていないということはまだばれていないのだと思い至ったのだ。


 だから私は明日バレずに付け替えてしまえば何の問題もないと思い込んで、その日は眠りについた。普通に考えてみれば入れ替えるのなんて不可能に近いのだけれど、この時の私はそんなこと考えもしなかった。


 そして翌日、結構早く起きて準備していた私は、家を出るまでの時間テレビを見ようと電源を入れた。とは言えいつもと全く違う時間帯なので同じ番組がやっているはずもなく、適当にニュース番組を付けた。すると一つのニュースが画面に映し出される。


 その内容は、思わず耳を疑ってしまうものだった。そこで流されていたのは、昨晩私の働く病院に殺人鬼が侵入し、逮捕されたものの大量の死者が出たと、そんなものだった。

 急いで携帯を確認してみると大量の安否確認のメール。

 とりあえずその中で病院に関係あるものを見ていった。まず病院からの一斉送信メール。


 内容としては、自身の状況をこのメールに記載して返信するようにということと、しばらくの間病院を閉めるということだった。すでにほとんどの患者は別の病院に移されており、残っているのは生まれたばかりの赤子たちと動くことのできない患者。その人たちも昼過ぎには別の病院へ移されるのだとか。


 とりあえず返信するのは後にして次のメールを確認する。それは私に立会いを譲ってくれた先輩からのメッセージだ。彼女は私にとっては優しくて頼れる先輩だ。今ではさらに仲良くなって、親友ではなく心友と言えるほど仲良くなっている。きっと彼女には一度落ち込むと悩み続けて周りが見えなくなるという、私と似た


 そんな先輩からのメールを見て、私は携帯を取り落とした。


 そこに記載されていたのは、まず私が無事なことを信じてるといったもの、次に昨日の赤子、その片方が殺人鬼の手にかけられてしまって役目を譲らなければよかったということだった。


 それを見て、そして昨日ネームバンドを付け替えれば問題ないと思い込んでしまっていたこともあって、どうしてか私は警察にもバレないようにそのバンドを付け替えなければ、などとばかげたことを考えてしまった。

 確かに取り違えは問題だが、別の家の子と取り違えたわけでもなし、さらに言えば一卵性双生児なので容姿も同じ、言ってしまうのならば、黙っていればバレることのない本当に些細な問題だ。


 けれど一度思い込んでしまった私はすぐにその準備をして家を出た。後で見直して気付いたことだが、先輩からのメッセージの続きにはどんなことであっても私を頼ってくれていいと書いてあった。もしこの時このメールを見ていたのならば結末は変わっていたのかもしれないが、もう後の祭りだ。


 急いで病院へと向かった私、その姿はマスクにサングラスにフードにメガネ、カバンの中には手袋とビニール袋、といういかにも怪しげな格好をしていた。


 結果は言わなくてもわかると思う。もちろん警察に取り押さえられ、容疑者として捕まることとなった。そして取調べ、ここでも私は思い込みによってやらかしてしまった。どうしてあの場にいたのか、赤子のことは絶対にバレてはいけないと思い込んで理由の一切合切を黙秘したのだ。


 それにより殺人鬼の仲間ではないかと疑われた私は、念入りに取り調べを受けることになった。ほかの事件の時のほとんどでアリバイがあったことや今回以外では姿を確認されていないこともあって、最終的には釈放ということになった。


 とは言え、殺人鬼の協力者かもしれないと疑われていた私を雇おうとしてくれるところなんてありはしない。長時間労働低賃金のところなら雇ってくれることもあったのだが、そこでも私の効率の悪さによってすぐに解雇されてしまう。


 さらに悪いことに、仕事を探している最中に携帯を壊してしまったのだ。仕事を探すのに必要なので新たな中古の携帯を買ったものの、番号を憶えていないので知人に連絡を取ることすらできない。それにもし連絡を取れたとしても会うことはなかっただろう。どんな顔をすればいいのかわからない。


 そこまで来てようやく、親を頼ろうと決意した。しかしそれは遅すぎた。

 きっと周囲の目が厳しくなったのだろう、そこには全く知らない人が住んでいた。

 私の親は古めかしい人間で、私の知る限りでは両方とも携帯電話など持っていなかったから、連絡を取る方法はない。


 藁にも縋る気持ちで仲の良かった先輩の住んでいたところに行ってみたのだが、こちらも別の人が住んでいた。きっと仕事先が変わったとかそんな理由なのだろう。


 そんな風に今までのことをつらつらと考えていた私には、もう何かをする気力も体力も残っていなかった。今までの度重なる過酷な労働で体はボロボロだし、視力も落ちている。特に何もしなくてもぽっくりと言ってしまいそうなありさまだ。


 けど、少し訂正。何かをする気力はもうないといったけれど、どうやらそれは間違いだったみたいだ。ふと、人を守ることにやりがいを感じるようになるという言葉が浮かんできた。これは確か先輩が私に言ってくれた言葉のはずだ。


 前方に、横断歩道で左側に渡ろうとしている女性がいる。視力が落ちてしまったせいで顔は良く見えないが、大体私より二、三歳上くらいか。肩を落として落ち込んだ様子でうつむきながら歩いている。

 そしてその女性の右方、つまり私から見て正面から車が走ってきている。明らかに速度違反で、その後ろからパトカーが追ってきているのも見える。


 きっとあの車は警察から逃げようとしてそのままのスピードで横断歩道に突っ込むのだろう。女性が気付いて逃げればいいのだが、うつむいたまま横断歩道を渡ろうとしている。一体どれだけのことがあったのだろうかと思わず私は苦笑してしまう。


 けれどその時には私の体はすでに走り出していた。ボロボロの体に鞭打って、間に合えと精一杯走る。どんどんと女性との距離が縮まっていき、ついにたどり着く。

 もし私の体が万全だったら、もし目の前の女性がほんの少しでも車が来ていることに気づいていたら、きっと両方とも車を避けることができていたのだろう。

 けれどそういうわけにもいかないみたいだ。私は、目の前にある背中を思いっきり押した。弱り切った私の力ではよろめかせることしかできなかったけれど、それでも車の進路からはずらせた。それで十分だ。


 瞬間体に感じる感触。めきめきという音でこれは死んだなと確信できた。


 意識を失う直前、私が考えたこと。それは目の前の女性のことでも家族のことでもなく、あの時バレずに入れ替えていられればと思わず呆れて笑ってしまうようなそんなこと。


 その時、久しぶりに私の名前が呼ばれた気がして、けれどそこで私は意識を失った。


 

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