ナイフの使い方
「お姉ちゃん! 無事だったんだね! よかったぁ……」
心底安心した様子の妹に思わず笑みが浮かぶ。しかし、それと同時に私の胸に寂寥感が私の胸へと広がった。これからのことを考え、思わず後ろ手に持っていたナイフを握りしめた。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「ううん、どうもしないよ」
「そう? でもお姉ちゃん、よくここが分かったね。私もなんでかここに来ちゃってたんだ」
妹ちゃんの言葉に答えず、辺りを見回す。あぁ、やっぱりここが私と妹の最初の場所だ。
「えっと、こういう部屋ってなんていうんだっけ?」
「分娩室だね。ここが私達の最初の場所であってるよ」
「え? それってどういう……」
私は大きく一つ深呼吸する。……これで“お別れ”の準備は整った。
「ある日、一つの病院で双子が一組生まれた」
私の並々ならぬ様子を感じたのか、妹ちゃんは静かに話を聞いてくれている。本当によくできた妹だ。
「その双子は新生児室につれていかれたのだけれど、そこで一つ手違いがあった。姉と妹のネームプレートを付け間違えたのだ」
とても些細な事、けれどそれがなければこんなことにはなっていなかった。
「それは確かに問題だけれど、別の家と子供を取り替えたわけでもなく、ただ姉と妹を間違えただけだ。大問題というほどではなかった。けれどその日の夜、その病院に殺人鬼が侵入して赤子を殺して回った。双子のうち、姉の方がその餌食となった」
妹ちゃんが息を小さく飲む音が聞こえた。構わず話し続ける。
「ところで、何かと何かの境界というのは不思議なことが起こりやすいと言われてる。だから姉と間違えられたままのこの赤子は、小さい頃からお化けや妖怪などの不思議なものとよく遭遇した」
きっともう気付いたのだろう。妹はまさかという顔をしている。
「そんな少女が、昼と夜の間の夕方、十四歳から十五歳になる誕生日に、陸と川の間の河川敷で、頭を打って生と死の狭間をさまよう。狙ってやったのって言いたくなるくらいだよ」
妹はついに呆然としてしまった。けれどまだ声は聞こえているようなので、このまま話を続けさせてもらおう。
「だからこの場所を作り上げているのは最初の事件に関わりが深かったもの、つまり姉を殺した殺人鬼と取り違えたナース、そして最も重要な姉と妹だね。だからこの場所から抜け出すためにどうすればいいか、もうわかるよね」
「私かお姉ちゃん、どちらかが死ねばいい」
「そういうこと。多分ここを作ったのはあのナースだと思うからそっちをどうにかすれば何とかなるかもしれないけど、まぁどうすればいいかわからないしね」
私は後ろ手に持っていたナイフを妹へと突きつける。
「きっと私達のうちどちらかだけがここから出られると思うんだ。だからごめんね」
「謝らなくてもいいよ。お姉ちゃんがいなければもっと早く死んじゃっていたと思うから。けど、一つ聞かせて。昔から私のことを守ってくれていたのってお姉ちゃん?」
「そんなこともあったね。いっつも自分から危ない方に向かっていくから結構大変だったんだよ」
「そっか。昔から私はお姉ちゃんに守られてたんだね」
そう言うと妹はゆっくり目を閉じた。
私はナイフを持つ手に力を籠める。
「バイバイ、これでお別れだね」
私は力強くナイフを突き刺した。
「え?」
私の大切な妹は、間抜けな声を上げた。まさか私が本当に差すと思っていたのかな。大切な妹にそんなことできるわけがないじゃない。ワタシが刺すのはワタシよ。
「お姉ちゃん! しっかり」
うろたえている妹が目に浮かぶ。残念ながらすでに消えかけている私にはその姿を確認するすべはないけど。
「どうして!」
どうしてってそんなの妹を守るのが姉の役目だからに決まってるじゃない。
「いかないで!」
うーん、それは無理な相談ね。一応この私が死んでも本体さえ残っていれば戻ってこれるんだけど、ここが消えると共に私の本体も消えちゃうと思うし。
「お姉ちゃん!」
じゃあね、短い間だったけど楽しかったよ。
カランカランと、ナイフが落ちる音が響いた。
「お姉ちゃん!」
お姉ちゃんが、お姉ちゃんが……消えちゃった。落ちたナイフを拾うけど、お姉ちゃんの血すら残っていない。
私はナイフを持っていない方の手をやみくもに振り回す。そうしたらお姉ちゃんが見つけられる気がして。けれどそんなことはなく、その手はただ空を切るだけだった。
「ひっく、ひっく」
もうお姉ちゃんはいないんだ。私は涙を拭いながら立ち上がった。ここにいたらいつまでも泣いてしまう。
そうして歩き出そうとした時、私はあることに気づいた。
「床が、消えて行ってる?」
ちょうどさっきまでお姉ちゃんがいた位置の床がない。そしてその先にはドアの外にあったのと同じ真っ暗闇が続いている。きっと、お姉ちゃんがいなくなってこの場所が消えて行っているんだ。
私はそれがお姉ちゃんはもういないって改めて突き付けている気がして、それが嫌ですぐにその部屋を出た。
そうしてとりあえず真っ暗闇から離れようとした、その時……
「オギャァアア!!」
「これは、赤ちゃんの声?」
私はフラフラとそちらに引き寄せられるように向かっていった。そしてたどり着いた場所は……新生児室。扉を開け、鳴き声の元へと引き寄せられていく。
そこにいたのは、血まみれの赤ちゃんだった。
怖い、怖いけど、どうしてか目を離せない。一歩、一歩とちかづいていく。と、目の端に映る真っ暗闇。
「もうここまできているの!?」
逃げなきゃ! そんな思いとは裏腹に、私の手は赤子を抱き上げていた。そして真っ暗闇から逃げるように走り始める。
「あっ!」
けれどすぐさま立ち止まる。前にあのナース服の怪物が現れたのだ。前面の怪物、後門の虚無。絶対絶命だ。けど、
「お姉ちゃんがまもってくれたんだから、絶対に生きて帰る!」
真っ直ぐ骨の怪物に向けて走る。
「イレカエルゥ!」
「いや! 私は絶対に帰る!」
手を伸ばしてくる骸骨。
「これでもくらえ!」
赤子を片手で持ち、手に持っていたナイフを適当にぶん投げた。それは弧を描いてくるくると回りながら飛んでいき、偶々骸骨の頭へと命中した。
「今のうちに!」
急いで横を抜け、骸骨の方に振り向く。さっきはいつの間にか近づいてきていたから、今回はちゃんと見る! 躱せる気はしないけど、それでもやるしかない!
しかしそんな予想とは裏腹に、骸骨は真っ暗闇よりゆっくりとこちらへ歩いて行く。
「なんでかわからないけどそのままこっちに来ないで!」
そんな願いが通じたのか真っ暗闇が骸骨に追いつく。それでも骸骨は動きを速めず、ついに私と骸骨の距離が手を伸ばせば届きそうな距離になる。
お願い! 元の場所に帰らせて!
赤子を腕に抱いたままそう願った、その時……
いったい何が…………
私に骨の腕が触れたか触れないか、それくらいの距離で私の意識は急速に薄れゆくのだった。
「あれ? ここは?」
目に入るのは白い天井。確か私は病院で倒れて――病院!? それじゃあまだあの化け物たちがいる!?
体を起こすと、横についた腕が沈む。私はベッドに寝かされていたみたいだ。これってどっち? でも不気味だったり肌寒かったりしないし何より明るい。窓の外は真っ暗だけど真っ黒じゃない。星が輝いているのが見える。ということは、帰ってきたの?
私が首をかしげると同時、病室のドアがガラガラと開いた。思わず身構えてしまう。けどそのさきにあったのは骸骨でも何でもない、良く見知った自分の親の顔だった。
「あ! 起きたのね! あなたが頭を打って倒れてたって聞いて、とても心配したのよ!」
「ごめんなさい」
親から聞いた話によると、その時河原で遊んでいた子供達が倒れたところを見つけてくれたのだとか。きっと私が着いたときにいた子たちだ。今度見たらお礼を言わなくちゃ。
「それで、本当に大丈夫なの? あなたって小さい頃からお化けとかよく見るって言ってたじゃない」
「危なかったけど、でも大丈夫だったよ!」
「あら、どうして?」
私は満面の笑みを浮かべて言った。
「とっても頼りになるお姉ちゃんが守ってくれたから!」
夜で、その上窓が開いていないというのに、病室内をどこか温かな風が抜けていった。
ここまで見てくださってありがとうございます。この後も閑話が二話ほど続きますので、良ければそちらもお楽しみください。




