第百三十九話:人であること
「おお、その通りだよクラウス君!」
クラウスの答えに、満足気にイリスは言う。
魔物と勇者の違いは、人であるか否か。
それが本当ならば、報われるかもしれない人々が出てくることを、クラウスは知っていた。
それは今は最早全滅したとされている、陰のマナを宿した人々だ。
そんなクラウスの心境を言霊の英雄は悟ったのだろう、マナについての話を始める。
「陰陽のマナというものは人間の男女と似ている、なんて感想を、私は抱いてる。性別が違っても、出来ることと出来ないことがあっても、どちらも同じ人間だからね。
ちなみに昔は陰のマナが男性で陽のマナが女性だと思ってたんだけど、どうやらそれは逆みたい」
そんなイリスの言葉に、一つだけ引っかかることがあった。
「男女で出来ることに差が?」
周囲の人々に支えられながらも、女手一つで育てられて来たクラウスには、その意味がいまいち分からなかった。
母はなんでも出来る。それが今までクラウスにとっては常識だったのだから。
ところが返って来た言葉は、唯一男性に惹かれる呪いを受けていないイリスにしてはウアカリらしい言葉だった。
「もちろんあるよ。子どもは女性しか産めない。
代わりに一度に作れる子どもの数は、男性なら限りがないじゃない? だからかも知れないけれど、勇者の割合は実は男性の方が多いみたい。たくさん死んでも、女性よりは繁殖に影響が少ないから。
現にウアカリの人口維持はそれで成り立ってるからね。
更にはそれを証明する様に、今は勇者が戦うけれど、かつて戦争をしていた時代には、主に男性が戦っていた、なんて文献もあるらしいんだよ」
「な、なるほど……」
余りに生々しい答えにクラウスはつい口ごもってしまう。
確かにそれを基に考えるなら、ウアカリの強い男を求める力は、理に適っているのかもしれない。
勇者の力は遺伝しないとはいうものの、それでも現に、サラには魔法の才能があって、クラウスには剣の才能がある。そして勇者ではなかったタラリアであっても、一般人レベルとしては凄まじく洗練されたものを持っている。
そんな風に納得していると、イリスは苦笑いをしていた。
思えば本題は、そこではない。
「それはともかくとして、勇者と魔物の違いは、人間であるか否か。もっといってしまえば、人間であろうとするか否かだと、私達英雄は結論付けた」
力強い声でイリスは断言する。
それは、はっきりと彼らが魔物ではなく、勇者だったと宣言したに等しい。
「陽のマナは分かりやすく超常現象を引き起こすけれど、実はそれって陰のマナも変わらない。ただのエネルギーであるはずのマナが生き物としての意思を持ち、実態を持った姿。それが魔物なんだから、存在すること自体が超常現象だよね」
魔物は特別な身体能力の高さは持っているが、勇者の様な特殊な能力も持っていなければ、陽のマナを用いなければ魔法を使えない。
マナが物質化している魔物だからこそ、魔法を使ってもマナ同士が混ざり合わないという話はよく聞く話だ。
ただ、陽のマナを用いて魔法を使う理由が分からなかった。それが魔物の存在そのものが魔法の様なものだからだと言われれば、確かに納得出来るものだった。
勇者は一つの身体能力を除けば、一つの特殊能力しか持ち合わせない。
つまり、魔物もそれと同じなのだから。
ただ実態を維持するという特殊能力を持った膂力の高い生き物が魔物だと言うのならば、確かに勇者と魔物との差は人であるか否かだ。
生のマナをそのまま操れてしまう魔法使いと勇者よりも、勇者と魔物は近い存在だと言えるのかもしれない。
「まあ魔法を使える魔物がなんで魔法を使えるのかは分かってないんだけどね」
そんなイリスの言葉は、目の前にいる英雄で何となく理解が出来た。
マナに語りかければ魔法事象を起こせるのだから、マナそのものな魔物がマナを利用することは、人が魔法を使うよりも簡単なことなのだろう。
一人納得するクラウスに、イリスは再び苦笑いしながら続けた。
どうやら再び話が逸れ初めていた様だ。
そしてそれは、クラウスにとっては救いの言葉だった。
「つまりは、英雄達の解釈では、魔物と化してしまった狛の村の人達も、英雄レインも、そして――」
英雄レインは、英雄達にとってはやはり勇者なのだ。
その出身地である狛の村の、陰のマナを体内に宿した半魔の人々も、英雄達の基準では勇者だったのだ。
最後は村内で全滅し、残った一人すら英雄達に殺されてしまった彼等も、人であり勇者だった。
それが聞けただけでも、ここに来た価値はあった。
クラウスが感動を受けていると、その話は更に予想外の所まで飛躍する。
「最後の数年間だけは、妖狐たまきすらも、勇者だったんだよ」
藍の魔王の眷属、現存していた最古の魔物の一人、いくつもの国を滅ぼし、魔王の隣で英雄達と戦った妖狐たまき。
それが、勇者だったとイリスは言う。
英雄レインの話をいつもしてくれた母も、たまきの話はあまりしなかった。
だからただ文献に載っている、藍の魔王の眷属で、魔王が死んだことで戦いをやめ、母を治療した後に死んだことはクラウスも知っていたけれど……。
疑問を悟ったのだろう、イリスはそれまでの苦笑ではなく、優しげに微笑んで教えてくれた。
「それまで犯した罪を、魔物だったから仕方ない。と洗い流せる人にとっては、かもしれないけれどね。
でも、少なくともたまきは、レインさんに初めて出会った日から、ただの一人も人を殺めていない。
それどころか、魔王となってしまったレインさんの進行を抑え、ナディアさんの命を繋ぎ、私達が極力死なない様にと立ち回っていたことが、今は分かっている。
ただ間違いなく言えるのは、たまきが居なかったら私達は、エリーちゃんとオリヴィアさんさえいれば勝てたのかも知れないけれど、ほぼ全滅に近い形になってたはずなんだ」
その言葉の真の意味は隠したままに、イリスは懐かしげに言った。
魔王戦で何があったのかを、英雄達は一様に語りたがらない。
それはきっと、彼女達にとっての英雄がレインだったからなのだろう。
だからなのか、それを誤魔化す様に、イリスは語る。
「勇者ってかつては異人って呼ばれてたでしょ?
人とは異なる者。それを、最初の魔王の討伐に命を懸けて立ち向かっていった勇姿を認められて、勇者と呼ばれる様になった。
でもさ、実際は魔物によく似ていて、体内にマナを宿しているんだから、現代では魔物や魔法の様に魔人と呼ぶのが正しいんだよね。
もしくは陽のマナをどうしても聖なるものにしたいのなら、魔法ではなく奇跡と呼ぶとか。
でも、奇跡という言葉は聖女サニィの為にあるのだから、魔法としか言えないし、魔法を奇跡と呼んだら魔物が使う魔法も奇跡と呼ばないといけないのか……。
なんか、人の感情ってほんと、面倒くさいよね。あはは」
そう少し悲しげに笑うイリスは確かに言霊の英雄で、英雄達が背負っている何かを、代弁しているかの様で。
「だからね、何があっても、人であることを忘れてはいけないんだよ」
そんなイリスの言葉は、クラウスの心にとても自然に浸透いった。
次回はサラ達。




