第百三十八話:勇者と魔物
勇者と魔物の違い、その質問に対してクラウスは明確な答えを持っていなかった。
世間一般では、勇者と魔物、そして魔法使いには明確な定義付けがされている。
しかし魔法使いを、イリスは含めていなかった。
その理由は何故か、クラウスは現代における勇者と魔法使いと魔物の知識を思い出す。
確か、教科書の様なものにはこう記してある。
聖なるマナを体内に宿す、祝福されし者達が勇者だ。彼らは皆何かしらの特殊な力を持っていて、その膂力はしばしば通常の人々を遥かに凌駕する。
その力の強さは体内のマナの量に比例しており、特殊な力、もしくは膂力のどちらかが優れているというパターンが多い。
勇者は数多く存在するが、力と膂力どちらにも優れている者は、極めて稀である。
しかし勇者は強い力と引き換えに、生まれた瞬間から魔物と戦う宿命を背負っている、戦いに生きる者達でもある。
それと並んで、聖なるマナを操り超常現象を起こす人々が魔法使いと呼ばれている。
彼らはマナを体内のどこかに貯蔵し、それを放出する際にイメージと混ぜ合わせることで超常現象を引き起こす。
勇者と違い、体内にマナが宿っているわけでは無いために、膂力は魔法で強化しない限りは通常の人々と変わらない。
魔法の力は知識と発想が共に重視され、一流の魔法使いは勇者すら超える力を持つことがある。
魔物は、邪なる魔素が具現化した怪物達のことである。
種類は確認されているだけでも千を超え、人間の子ども程の強さのものから、世界に影響を与える程のものまで様々だ。
彼らは悉く人間に敵意を持ち、常に人々を滅ぼそうと狙っている。
特に魔王の力は強大で、もしも出現すれば討伐には数万人の勇者が犠牲になってしまうことも少なくない。
魔物は人々にとって、絶対的な敵である。
現代では、それぞれこのように解釈されている。
勇者と魔物の違いという質問自体がそもそも意味を成さない様な、そんな明確な区分がされている定義付けだ。
人間の味方が勇者で、人間の敵が魔物。
そんな答えならば、きっとこんな質問をイリスはしないだろう。
クラウスは、ふと思う。
現代の定義付けには、どうしても気に入らないものがある。
「一つ思ったことがあるんですけど、質問をしても良いですか?」
「ええ、もちろん」
「なんで聖女の魔法書には【陰陽のマナ】という表記があるのに、聖女サニィは神格化されるほどに敬われているのに、【聖なるマナ】と【邪なる魔素】なんて呼び方に、人々は変えたのでしょうか」
それを変えたのは、英雄達ではない。
サラの父で聖女の弟子であるルークを始めとして名称の変更に対して抗議したものの、各国の首脳達を止められなかったと聞いている。
理由も聞いていたけれど、未だに納得出来ないでいた。
陰陽のマナは、混ざりきれば消滅するらしい。
普段は自然の中で混ざり切ることはないが、死んだ勇者と魔物の体から流れ出たマナは徐々に混ざり合い消えて行っているのだとか。
そんな事実を聖女サニィが確認したとされているにも関わらず、わざわざ陰陽のマナを別のものをする意味が、クラウスには理解し難かった。
「うん、納得出来ないのも分かるよ。でも、やっぱりみんな怖いんだろうね。両方とマナとすることが。
陰のマナを体内に宿していた狛の村の人達は、悉く壊れてしまった。レインさんは、魔王になってしまった。
その裏切りをサニィお姉ちゃんは知らない、って思ってるんだよ。
でも、私達英雄は知ってる」
クラウスは、民衆達の感じていた恐怖を全く知らない。
昔から母が話してくれた英雄レインが好きだったから、あっさりと受け入れていた。
何故自分達に危機はまるでないはずなのに、英雄レインと言っただけであそこまで拒否反応を示されたのか。
それは確かに、今の世界では聖女サニィを殺した人物がレインだと信じられているからだ。
次の言葉は、確かに聖女を神格化してしまった人々には、都合が悪すぎる真実だったのかもしれない。
「聖女サニィこそが、英雄レインこそが、魔王レインが産まれた時に、私達が倒せる様に仕組んでくれた張本人達なんだ、ってね。
流石にそれを話してしまえば、信仰対象にまでしてしまった聖女が、実は魔王を作り出した黒幕かもしれないなんて矛盾を生み出すことになる。
それを人々は、どうしても認めたくなかったみたい」
なるほど、と思う。
聖女と魔王の真実よりも己の信仰を取れば、確かに聖女の魔法書を無視してまでマナの名称を変えるのだろう。
聖女を敬っていると思い込んでいるからこそ、聖女の言葉を無視し始めたのだろう。
「そう考えると、殉狂者エイミーのそれはある意味で真の信仰なのかもしれませんね」
聖女が死ねと言えば死ぬんだ。という言葉は、彼女が残した迷言として有名だ。
「あはは、あれは極端だよ。
クラウス君はお母さんから何度も聞いてると思うけど、聖女サニィって人は、英雄レインに振り回されながらも人並みの幸せを望んでいて、何か人の役に立つことが出来ないかな、なんて素朴な願いを持っていて、それで、以外と嫉妬深い、力が無ければそんなただの、一勇者だった人なんだから」
懐かしげに語るイリスの言葉に、母が熱心に語っていたサニィの姿を思い描く。
二人の意見は確かに一致していて、それはまた、イリスと母も聖女と同じく、英雄でなければサニィと同じような、普通の勇者だったのかもしれない。そんな風に言っている様に聞こえた。
「それで、答えは分かった?」
気づけば、イリスが頬杖をついてクラウスを眺めている。
度々漣に来ていたと言っても、エリー叔母さんやサラの家族ほど頻繁に来ていたわけではないイリスにそう見つめられると、クラウスも流石に少し照れるものがあった。
「えーと、イリスさんの言葉に酔ってましたよ」
思わずそんな風に答えてしまえば、イリスもふっと微笑む。
「いくら私が言霊の英雄だと言っても、自分の子ども位の子を口説く為に力を使ったりはしないかな。
ほら、冗談言ってると今度は私がサラちゃんと戦わないといけなくなるから考えて」
そう言われて、再び思考を戻す。
勇者と魔物の違いとは。
今の常識に当てはめれば、それは同じ箇所など一つもない、ということになる。
しかしそんな質問を実際にされたということは、そもそもその二つは同じ部分の方が多いということ。
同じ部分が多いということは、【マナと魔素】ではなく、【陰陽のマナ】で考えるべきだということ。
それはつまり。
「人であるか否か、ということですか?」
陰陽のマナが同じもの、つまり磁石のS極N極と似た様なものであるのなら、あっさりと答えはそこに絞られた。




