第百三十二話:王と女王
随分と長くなってしまいました。
グレーズ国王がミラの村を訪れたのは、マヤがエリーとアリエルに意図せず暇人と告げた次の日のことだった。
国内で非常に支持率の高い現国王アーツはしばしば地方に視察に赴くことがある。
それはどんな小さな所でも関係なく、地方に優しい王として、中央以外からも大きな支持を稼いでいる。
今回のミラの村訪問は、そんな中でも非常に遅いタイミングでの訪問だった。
危機に陥っている町村には即座に出向き、迅速な対応をする。
国内に広まっている王の話を鑑みる限り、事件から一ヶ月も経っての訪問は、異例と呼べる遅さだ。
しかし、それに関して住民達は不満に思うことは無かった。
既に英雄の子が二名、現役の英雄が二名復興の手助けをしてくれている。
それは本来なら国の人間が来るべきだという考えを押し退ける程度には、豪華な面々。
そして、国王は敢えて遅れてやって来たのだということを、村人達はしっかりと理解していた。
「おっと、すまんなアーツ。敵国のボスがこんな所に潜り込んでいて」
遅れて来た理由であるだろう敵国のボス、アリエル・エリーゼはひらひらと手を振りながら、村人達のど真ん中でそんなことを言う。
今やアリエルやエリーの正体を知っている面々は、そんな一見ふざけたアリエルの言葉を別段気にと留めず、各々国王に向かって頭を下げた。
「畏まらなくて良い。復興が進んでいるようで何よりだ、と言いたい所だったが……。アリエルさん、なんでまだ居るんですか。しかも敵国とか堂々と言って。というかそんなことを言うということは皆あなた達の正体を知ってるってことですよね……」
睨む国王に、しかし敵国の女王は笑顔を絶やさず。
「良いじゃないか。ここは何処からも離れているがブロンセンからは比較的近い。真実を知ることは、将来的には役に立つはずだぞ」
「……どこまで話したんですか?」
「妾が話して良いと思ったところまでだ」
申し訳なさを微塵も感じさせない態度で言うアリエルに、アーツは「はぁ……」と深く溜息を吐く。
言いたいことは、それだけでは無かった。
「予定では滞在期間は二週間、一昨日には既に発ったから早めに行ってやれと連絡が来たと思うのですが……」
「ああ、滞在期間はつい長引いちゃったけど、既に発ったというのは嘘だ」
「なんでそんな嘘吐いたんですか……」
「そりゃ、居ると分かってたらお前は来られないだろう?」
アリエルとアーツの話が本格化するに連れて、村人達は気を利かせて散って行く。
少し離れたところにエリーがいるのを確認して、護衛代わりに連れてきた王妃エリスを後ろに控えさせると、アーツは大きなため息を吐く。
「……まあ、そうですが」
本来ならばバレることもないアリエルの正体も、極力隠すに越したことはない。
会うならどちらかの王城で秘密裏に。
それが本来なのだから、嘘を吐いてまで残られれば不満もあるというもの。
仮にもアリエル・エリーゼが【国境なき英雄】の一人であったとしても、グレーズの国民達は基本的にアルカナウィンドは敵だと思っているのだから。
そんな含みを持たせたとしても、アリエルには大した効果は与えられなかったらしく、苦笑いで返される。
「怒るな怒るな。こちらも予定外だったんだ。正体も明かしたと言うより、明かされたと言う方が正しいしな」
「明かされた?」
本来ならば、アリエルの正体はバレることなどあり得ない。
近くにエリーさえ居れば、精神介入で意識を逸らしてしまうだけで、例えグレーズの王都すら自由に出歩けるはず。
もちろんそんなリスクは負わないにしても、エリーの精神介入はクラウスにすら届く絶対の守りの一因。
それが覆されたとなれば、驚くのも当然のことだった。
「ああ、先の時間、被害者の中にとんでもない力を持った者がいてな」
「どんな力なんです?」
「無条件に、真実を導き出す様な力だな」
アリエルの言葉に、絶句するアーツ。
それも当然だ。
二十年以上探してきても、そんな力を持つ勇者は見つからなかった。
協力者の中には、勇者の能力を把握する勇者というものも存在する。
しかし彼らとて万能ではなく、自身や周囲が認めている力を知ることしか出来ない。
つまり、本人も含めて誰も力を知らない勇者を見つけることは、英雄達にも出来なかった。
「今回クラウスとサラが救った中にマヤと言う冒険者がおってな。その娘が、自分すら自覚していないらしいが、そんな力を持っている」
それから、アリエルはマヤについて話し始めた。
それは非常に不安定な力で、本人すら真実を妄想の一つだと思い込んでいるということ。
エリーがいるからこそ確かめることが出来たものの、本人は妄想が事実だと知れば耐えられるかすら分からない脆弱な精神力の持ち主だということ。
更には、その妄想のおかげでレインを英雄だと思っていること。
「まあ、そういうことだ」
「……早く教えて下さいよ」
今更そんな力を持った勇者が現れたところで真実に関しては大抵分かってしまっているが、アーツはそれでも不満を漏らさずにはいられなかった。
それに対して、アリエルは真剣な顔を作って言った。
「悪かったとは思っておるが、強大な力はそれなりのリスクを持っている」
かつて自分の力に振り回され、今でも後悔を引きずっている女王が、アーツの目の前にはいた。
「はあ、あなたに言われたら、反論出来ませんね」
何も持たない無能力な自分には、その負荷を理解することは出来ないと、アーツはすんなりと引く。そして、目線で続きを促した。
「まあ、お陰で、分かったこともある。やはりクラウスは始まりの剣で、マナと言ったな。それはその片割れで間違いがない。しかし、重大な問題が発覚した」
「問題?」
「ああ、クラウスはただ生きているだけで、周囲の陽のマナを喰らい無限に成長を続けていく。それは周知の通りだが……、我々は一つ勘違いをしていたらしい」
クラウス本人のことに関しては、アリエルの力は何も示さない。
それはマナのことも同じで、だから英雄達の結論は、クラウスと共にマナにも世界を回らせよ、ということになっていた。
だから、勘違いしていた。
「それは始まりの剣の機能ではなく、クラウスの持つ役割の様だった」
クラウスは体内に始まりの剣を宿している。
クラウスの力は全て始まりの剣によるもので、クラウス自身の肉体もそれに合わせて変化しているに過ぎない。
誰しもが、そう思っていた。
しかしそれこそが、大きな勘違いだった。
「と言うと?」
アーツもそれまでの不満げな態度を改め、真剣な顔で尋ねる。
次にアリエルの口から出てきた言葉は、かなりの絶望感を孕んだ言葉だった。
「マナにその力は存在しない」
つまりマナは、生きているだけで周囲のマナを救出することはない。
「マナが取り込むマナは、実際に口にしたものだけだ。つまり、クラウス達を旅させた所で、クラウスは成長するがマナは何の役にも立ちはしない」
マナの役割は、英雄達の想定では、クラウスの逆だった。
生きているだけで陽のマナを吸収し、無限に強くなるクラウスは、ただ生きているだけで勇者の出生率を著しく落としていく化物。
対して片割れであるマナは、生きているだけで魔素を吸収し、魔物の出現率を下げる救世主。
誰しもがクラウスのデータから、クラウスが胎内でオリヴィアのマナを喰らい尽くし、成長過程で想定を遥かに超える速度で強くなったクラウスのデータから、マナも同じだと考えていた。
「もっと言えば、単純にマナを連れてクラウスが旅をするという行為は、勇者の出生率を下げ魔物の脅威をより増やすという行為だったというわけだ」
続けるアリエルに、アーツは目を見開いたまま答えない。
それに構わず、アリエルは更に続けた。
「そんな訳で、悩んでおる。どうすれば、クラウスに怪しまれずにマナに魔物を食わせられるのか……。何か良い案はないか?」
「……」
「どうしたんだアーツ、黙りこくって」
何も言わないグレーズ王に、アリエルが首を傾げて近づいた時だった。
「そういう大事なことは、もっと早く言わんか!!」
「ッ!!?」
周囲にも響く大声で、アーツは叫ぶ。
幸いにも村の至る所に生えてしまっているサラの樹が吸音材の役割を果たしているが、近くで作業していた村人達は一瞬びくりと体を硬直させ、ゆっくりと王達の方を振り向く。
それには流石に国王もすまないと頭を下げる。
本来王は堂々とすべきもの。
しかしそれでも、野蛮な男達によって傷を付けられた村人達の心に悪いと思ってしまった以上、アーツは一人の男として、そう反省することにした。
ところが、実際に凄んでみせたかった目の前の敵国女王は全く意に介した様子もなく。
「おお、凄んでもあんまり怖くないな……」
と茶化して見せる。
反省さえしてなければ殴りかかりたい位にイラっとしたその発言だが、それが村人達を安心させる為だとは分かっている。
同じ王としてまだアリエルには敵わないと、そんな感想を抱いたのも束の間、アリエルは再び真面目な顔をして語り出す。
「とまあ、冗談はさておき、今頃サラにはその情報が行っているはずだ。正直、悩んだ所であの子に任せるしかないんだ。妾の力ではクラウス本人について分かることは少なすぎるが、少なくともマナとの関係性をクラウスが自覚すれば、覚醒のタイミングを計れんとある。つまりは、妾達に出来ることはもう何もない。流石にクラウスを軟禁する訳にもいかんしな」
凡ゆる手段を利用してシミュレーションした結果、旅の長さをコントロールすることが唯一英雄達に出来ることだった。
サラが協力してくれたおかげで、現在はそのコントロールが大幅にやり易くなっている。
簡単に言えば、クラウスが寂しいと思えば勇者を喰う本能が疼き出す。
クラウスの寂しさを埋める為、始まりの剣は勇者を喰らい血肉にしようとしてしまう。
オリヴィアは完璧に仕事をこなした。
敢えて英雄達がそう言うのは、もしもの場合は母がいる漣で永遠に軟禁してしまえば、一先ず暴走は有り得ないからだ。
「……いくら世界の危機だからと言って、それを赦す姉上やエリーさんなら英雄にはなれなかったでしょうね」
軟禁という言葉に、アーツはそう答えた。
「そういうことだ。力無き妾達は、家族の力を信じる以外にあるまい。これはある意味では、世界を巻き込んだお家騒動みたいなものだからな」
「世界を救った聖女様と、史上最強の英雄にして史上最弱の魔王、師匠殺しの英雄に、全ての源か……。考え方によっては、私達人間は彼ら家族に頼りきりだったわけですからね。だからこそ、次の世界では我々が上手くやることに、しましょうか」
勇者が生まれたのは始まりの剣が作られたから。
勇者がいなくなるのは、始まりの剣が終わらせようとしているから。
そのきっかけとなった人物は、おそらくもう一本の奇跡である不壊の剣の所持者。
今も英雄達の中にある、永遠の所持者だ。
「そうだな。アルカナウィンドも妾の代で終わりだ。皆、少しずつ準備を進めておる」
アリエルがひと月も国を離れていられるのは、それが理由だった。
アルカナウィンドは、今は終わりに向かって準備を進めている。
国民達が自分達で生きていけるよう、かなり前から準備を進めていた。
「今思えば、あの時には魔王擁護こそが英断だったわけですか。国の為を思ってした行動でしたが、やはり若かったですね」
アリエルの意思を聞いたアーツはそう項垂れる。
本来ならば国の為に死力を尽くした若過ぎる王と、最悪の我儘で国をめちゃくちゃにした最悪の愚王。
しかし今相対している様子は、世間の評価とは随分と違っていた。
アリエルは微笑む。
「いいや、王制も決して悪い所だけではない。おかげでアルカナウィンドは今や弱小国家だ」
対して、アーツも微笑む。
「世界最高の戦力を持っておいて、よく言いますよ。ストームハートがいる以上、周辺諸国は何処もアルカナウィンドに攻め込めない。なんて言われてる癖に」
更にはしっかりと袂を分かった国々を誘導して、決して戦争を起こさない様に走り回ってる癖に、とは言わず。
「ははは、まあ、お前ならこのまましっかりと舵を取ってくれると確信しておる。何せお前は、あの心優しいオリヴィア姫の弟なんだからな」
高いアーツの肩をぼすぼすと叩きながらアリエルが笑うと、また同じく、アーツも笑った。
「ははははは、頑張りますよ。昔は勇者でも魔法使いでもない自分にコンプレックスを持っていましたが、今はそれが救いです。おかげで勇者のエリスを、守っていけるのですから」
姉に似た、芸術品の様なキリッと引き締めて言えば、何が面白いのかアリエルは遂には吹き出した。
何か面白いことでも言っただろうかと真剣な顔のまま首を傾げるアーツと、その後ろの王妃エリスを見て、言い放つ。
「ふっははは、随分と格好良いことが言えるようになったなアーツ。どうだエリス、惚れ直したか?」
「ふふふ、この人は結構、二人だとこういうこと言ってくれるんですよ」
後ろに控えていたエリスは上品な態度で、少しだけ頰を染めて言う。
当然、茶化そうと思っていたアリエルは目論見が外れて撃ち抜かれた様に仰け反ると、あからさまに不機嫌な振りをして叫ぶ。
「っかー、妾に対して惚気で対抗するとは、お前も成長したものだな。良いよーだ。妾はどうせ配偶者なぞ居らぬ処女王だ。エリーで我慢するって決めたもん。おーいエリー! アーツとエリスが虐めるから慰めてー!」
そこからは、和やかなものだった。
エリスは少し前、新たに師匠となったエリーに緊張していたものの、それ以外は何も問題はなく。
不貞腐れる振りをしてエリーにしがみつきサボり始めたアリエルの代わりに、アーツが村人達の指揮を執り、ミラの村の復興は再びその歩みを進める。
そんな中、件の勇者マヤが能天気に放った「エリス様、クラウス様はサラ様よりどのくらい強かったですか!?」という質問で場が一瞬荒れかけたものの、それだけで。
そんな平和が始まったミラの村を見ながら、アリエルはぼそりと呟いた。
「それにしても皮肉だな……。
勇者の始まりである陽の剣が世界を滅ぼすかもしれない大敵で、魔物の始まりである隠の剣が世界を救う救世主とは、な」
サラッとアリエルが留まってる理由が出てきましたが、そういうことです。
最初の英雄を慕うアルカナウィンドは、最悪の愚王アリエルの代で王制を終わらせます。
その為にアリエルは子孫を残さないという覚悟を決め、エリーもまたそんなアリエルに付き添っています。
かつての最後の英雄ヴィクトリアとフィリオナの様に。
尤も、エリーが伴侶を作らないのはもっと別の理由がありますが。




