第百二十八話:最も英雄らしくない英雄
「ライラですか。あれは最後まで、夢見る乙女でしたね」
朝食の席でサラが英雄ライラについてのことをナディアに尋ねると、こんな返事が返ってきた。
視線はサラにもクラウスにも合わせることなく、皿に乗ったパンを眺めたまま。
クラウスから見ればその態度は余りライラについての話をして欲しくない様に見えたものだったけれど、サラは構わずに続ける。
「夢見る乙女ですか」
そういう押しの強さだけは、流石悪夢と呼ばれる母の血を引いているらしい。
サラの言葉に一瞬何かを考えた後、ナディアは語り始めた。
「……ええ。本当に、馬鹿な女でしたよ。幸せなあの人を見てるだけで私は幸せ。なんて格好付けて言っちゃう様な、そんな女でした。男は自分が捕まえなければ意味がないのに。……本当に、馬鹿な女でしたよ。私と同じくらいに」
最後の一言は、クラウスとサラには聞こえなかった。何事か呟いた様には分かるけれど、流石にそれを問い詰めることはサラもしないらしい。
「……私もナディアさんとは意見が近いかな」と呟くと、パンに齧り付く。
すると、それを見てナディアは顔を上げて再び語り始めた。
「でも、まあ、そうですね。世間で言われてるのとは違いますが、あれがアリエルに影響を与えたのは事実ですよ。あれのことも鑑みて、アリエルは何百年と続く伝統に終止符を打とうと考えていますから」
「伝統に終止符、ですか?」
ナディアの言葉が気になってクラウスは思わず尋ねてしまう。
しかしナディアは「それは、自分の目で確かめてみてください」と口に人差し指を当てて返した。
その表情は柔らかく、つい先程までの険しい表情とは真逆の雰囲気を纏っていた。
結局その後もナディアの表情は曇ること無く、ナディアとサラが和気藹々と話し始めたのを見て、クラウスは女心の難しさを改めて悟った。
何故か隣で一言も話さなかったサンダルを見てもその答えは得られぬまま朝食を終えたところだった。
「クラウス君、この後外で子ども達と一緒に鍛錬をしないか?」
「なら、サラは私が借りても良いですか?」
サンダルが提案した所で、ナディアも同じく提案する。
当然それに反対の声など挙がるわけもなく、「はい、お願いします」「お片付け手伝いますよー」と二人はそれぞれの英雄へと付いて朝の時間を過ごすことになった。
――。
クラウスが部屋で準備を終え庭へと出ると、サンダルは既に準備を終え、タラリアとマナの鍛錬を微笑ましそうに眺めていた。
クラウスが来たのを確認すると、手をちょいちょいと招いて隣へ来る様に促すのでそれに従うと、英雄はおもむろに言う。
「クラウス君、リアは世界一可愛いな」
その表情はどこまでも真剣で、しかしそんな言葉が来るとは予想していなかったクラウスは「え、あ、はい」と曖昧な言葉を返してしまう。
すると、真剣だった表情には険しさが増し、その威圧感は今までクラウスが感じた中では最も高いものへと変化する。
「君はやっぱりリアを狙っているのかね」
「……いえ」
親バカだ。そう思ったものの、クラウスも真剣な顔で英雄に答える。
クラウスにとっては何を言っているのか分からない言葉でも、隣の英雄にとっては何処までも真剣だということは、流石に体で感じる圧力で理解出来る。
「……そうか。なら良い」
そう言うと同時、圧力は徐々に収まっていく。
その圧力が完全に収まるまでの30秒程の間、クラウスは英雄に失礼が無い様に無心でマナの鍛錬を眺めることにした。
マナは、相変わらず木剣すら重そうに振るっている。
その見た目もまた、出会った頃から一切の変化が無い。
サウザンソーサリスの服飾屋の店員に言われた未来の一つ、まるで変わらない体格。
栄養は十分。人間であれば成長期なはずで、大きく身長が伸びてもおかしくない年頃に見えるにも関わらず、出会ってから一年になるのに一切の変化を感じない。
その理由は、マナが人間では無いという確信以上は、クラウスには全く見当がつかなかった。
そんなことを考えていると、サンダルは小さな声で話し始めた。
それは朝食時、クラウスが気になっていたことで、サンダルが話さなかった理由だった。
「分かってはいると思うが、ナディアさんはライラさんが嫌いという訳ではない」
魔女ナディアと怪物ライラの関係性は有名だ。
魔王戦以前から、目を合わせれば殴り合いの喧嘩をしていたというライバル。
その理由に一人の男がいたという話も有名ではあるけれど、今は語られない真実。
そして両方が、魔王戦での被害者だ。
ナディアは魔王に意識を奪われ、半身不随。
ライラは魔王から主君を守りながらも心臓を貫かれ帰らぬ人となってしまった。
その魔王こそが件の男だという事実も、今は語ってはならない真実の一つ。
だからこそ、生き残ったナディアは献身的に救ってくれた英雄サンダルによって奇跡的に意識を取り戻し、英雄の子を授かったという美談が語られている。
そしてそんな奇跡の英雄ナディアは、毎年ライラの墓に花を添えているというニュースが世界中を駆け回る。
流石にそのくらいは、クラウスも知っている。
サンダルは続ける。
「ナディアさんが目を覚ました後、ライラさんが亡くなったのを知った時のことなんだが……、ナディアさんは本当に悔しそうに泣いた。それはもう、私が声をかけてはいけないと思うくらいに……」
それを聞いて、クラウスはナディアの言葉と表情の意味を理解した。
あれはライラのことを話したくない訳ではなく、ただ単に辛かっただけなのだと。
そしてライラをあれと呼ぶのは、今でも彼女がライバルだと認めているからなのだと。
ライラが影響を与えた女王アリエルの話で表情が柔らかくなったのは、ライバルがアリエルの心の中にもまだ生きているのだと、そんな安心感を覚えていたからなのだと。
「あの魔女様の魅力は、やっぱり何よりも素直な所かな。表現が下手くそところもポイントだ」
「ははは、そうかもしれませんね」
笑いながら言うサンダルに、クラウスも思わず同意してしまう。
もちろんそれでも毒を盛られるのは流石に勘弁だと思いながらも、ナディアという英雄がある意味で最も英雄らしくない英雄であることに、怯えられる自分と重ねてしまって少しの親近感を覚えつつ。
クラウスの言葉に納得したのか、最も英雄らしい英雄は、最後に一言だけ呟いて子ども達の鍛錬に混ざって行った。
「私と結婚してくれた理由には少なからずライバルの死が関係していると思うと、複雑な気持ちはあるのだけれどね」




