第百二十話:家族の力
「では改めて、私は先の魔王戦で殿の役目を果たした英雄、【魔女ナディア】です」
広いリビングに通され、これまた巨大なソファへと案内されると、エプロンを脱ぎながらその対面に車椅子で移動したナディアは姿勢を正し、そう挨拶した。
その様子は何処か気品に溢れていて、この豪邸に住むのに相応しい淑女に見える。
しかしそれも、一瞬のことだった。
「というのが一応外用の挨拶でして。でもあなた達は身内も同然。堅苦しいのは抜きにしましょう」
脱いだエプロンを再び着けながら、ナディアの雰囲気は途端に柔らかくなる。
それもまた聞いていた【魔女】のイメージとは随分と違っている気もするけれど、何処か心地良い態度にクラウスも緊張がほぐれていくのを感じる。
「僕は英雄オリヴィアの息子クラウスです。隣の子がマナ。ほら、挨拶は?」
クラウスとサラの間に座ったマナは逆に少し緊張している様で、諭されてクラウスを凝視した後、恐る恐るナディアを見ると言う。
「まな。さらのこ」
その言葉に、サラはぶっと吹き出した。
「あっはっは。ナディアさん。この子が私の娘のマナなんですよ。もうパパは嫌いって年になっちゃったみたいで」
自分の膝をべしべしと叩きながらサラは興奮気味に言うと、マナは「くらうすはくらうすだから」とサラの袖を引っ張り始める。
そのやり取りを見てか、ナディアもまたくすりと笑う。
「ふふ、良い関係みたいですねサラ。さて、今日はまだしばらくサンダルは帰って来ないと思うんですが、うちにももう一人いるので紹介しましょう」
クラウスがマナにパパと呼ばれなかったことにショックを受けていることなど気にも留めず、ナディアは広い廊下に向かって「タラリア」と短く呼んだ。
最初から気付いてはいたものの、こそこそと隠れている様子と、ナディアがそれを気にしていない様子からそうだとは思っていたものの聞かなかった人影が、ひょっこりと顔を出す。
その人影は、黒髪色白の美少女だった。
「……あ、あの、サンダルと、ナディアの娘の、タラ……リアです」
未だに壁から顔半分だけを覗かせたままの状態で、少女はそう名乗る。
それは世界一の美少女、と言われてイメージしていた様子とは随分と違う様子だ。
美しい女性は基本的に自信を持っている。
それがクラウスの持論だった。
それは母を見ても明らかだったし、少なくともウアカリのクーリア、イリス姉妹は二人とも英雄らしく振舞っている。
それは平均を考えれば上の方にいるエレナとサラ親子もそう。
エリー叔母さんだけは今一思い出せないが、アリエルちゃんも自信有り気に胸を張っているのが印象的。
そんな中で、顔半分しか見えないにも関わらず母オリーブに並ぶレベルの造形に見える少女は、自信なさげに隠れてしまっていた。
その視線は曖昧にクラウスに向いていて、どうやら男に抵抗があるのか、もしくは人見知りなのか。
どちらにせよ、隠れてしまっているのがもったいなく感じる様な美少女だった。
ナディアは微笑みながら娘を見守ることに決めた様で、名前を呼んで以降は何も言わない。
クラウスもまた、引いた場所から見ている美少女に声をかける術など、当然の様に持ってはいなかった。
そんな時に活躍するのが、最も図太い英雄の娘だ。
「リアちゃん、クラウスは見た目こんなだけどそんなに怖くないからおいでー」
タラリアとサラは何度か会っていて、声をかけるのもお手のもの。
そんな風に気軽に手招きをすれば、顔を半分しか出していなかったタラリアは一瞬考える様にした後、とととっと小走りに母ナディアの後ろへと回った。
「ほらクラウス、タラリアちゃんは照れ屋さんだから、怖がらせちゃだめだよ」
途端にそうお姉さんぶるサラに、「いや……僕もちょうど困ってたんだ……」と返せば流石にサラも苦笑いを隠せない。
「うちのマナも人見知りだから、リアちゃんとは仲良くなれるかもね」
タラリアに注目が行ってからはずっと黙っていたマナを抱えながらサラが言うと、タラリアの視線はゆっくりとマナの方へと動いていく。
その表情がクラウスを見ていた時の固まった表情から柔らかく崩れるまで、それほど時間はかからなかった。
マナも同様に、表情を崩しながらも母の背後から動かないタラリアを見て、ゆっくりと警戒を解いていっている様子。
世界一の美少女と言われるタラリアと、人形の様な愛らしさのマナの出会いはそんな風に、とにかく無言のまま終わりを告げた。
ただ、その無言は互いにそれほど悪い心地では無かったらしく、距離感さえ掴めばすぐに仲良くなれそうな、そんな予感を感じさせるものだった。
その後少しの会話を挟んだ後、クラウス達は部屋へと案内された。
もうカップルなんだから一部屋で良いだろうと言われ緊張しながら部屋に入ると、そこは30畳程の大部屋で、ある意味良かったと思ったり、マナがいるにも関わらず残念な感じがしたのはここでは置いておくとしよう。
……。
「ねえお母さん、悪鬼クラウスって、お母さん達が言ってた感じと全然違うね」
「ああ、惚れましたか」
「ちょっ、ちがうもん! 確かになんか顔は好みだったけど、ちがうもん!」
「ふふ、別に良いじゃないですか。私はあの子の父が好きで、サンダルはあの子の母が好きだったんだから、子どものあなたがあの子を好きになるのだって全然おかしくないですよ」
「だからちがうって!」
三人が部屋に行った後、母娘はこんな会話をしていたのも、また置いておくとして。
「あの人がほんとに世界を滅ぼす可能性があるの?」
「ええ、あの子は正真正銘、始まりの剣。私の力で見たところ、今の強さは既に90mのドラゴンに匹敵します。私やサンダルよりも、大分上ですよ」
「……大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。今ならまだ私だけでも一週間程度なら足止めは出来ますし、もっと後になったとしても、きっと……」
ナディアは確信を持っていた。
この世界で誰よりもそれに気付くのが早かった人物だから。
かつてナディアが抱いた感覚を元に考えられたルールは、きっといつか来るその時の為のもの。
ナディアは誰よりも、そう確信している。
「家族の力って、凄く強いんですよ。タラリア」
そんな母の言葉は、一般人として生まれたタラリアに、深く染み渡っていた。
他人に陰口を言われた過去があったとしても、母がウアカリを出たのは自分の為だと、今でもしっかりと分かっているから。
それはウアカリの呪いだけが理由では無いと、今なら分かるのだから。




