第四十九話:サラの転機
諸事情により三部の展開は緩やかです。お付き合いください。
「大丈夫なんだろうか、あれ」
「さら、なんかおかしいね」
エレナの魔法で姿が見えなくなっているという言葉を受けて、クラウスとマナは幼馴染の修行を見学に来ていた。
魔法使いではないではないクラウスとマナは、霊峰に入った時には流石に付いていくことは出来ないが麓の村にある魔法研究所での修行の時には見ることが出来る。
今日は、そのグラウンドでエレナを相手に修行をしていた。
そんなサラの様子は、一目見れば完全に危ない奴だ。
死んだ目のまま広角をピクピクさせたかと思えば「えへ、えへへ」と笑い声を上げてみたり、かと思えば突然膝を抱えて蹲ってみせたり、落ち込んだのかと思えば高笑いし始める。
共通しているのは常に瞳に光が無いことだろう。
エレナの修行とはどんなものなのか、見ている側からすれば全く分からないという状況が、またサラの異常さに拍車をかけている。
研究所の子どもや職員は、そんなサラの様子を見て青ざめていた。
もしかしたら一部はエレナの攻撃を受けたことがあって、その恐怖を知っているのかもしれない。
特に職員の一部はエレナに対して本気の恐れをなしている様で、その様子は勇者や動物に怖がられるクラウスよりも更に上のものの様に見えて仕方が無い。
そしてそんな視線を周囲から受けても平然と微笑んでいるエレナの姿が、もしかしたらサラよりも異常なのかもしれない。
そんな感想を抱きつつ、クラウスはサラの修行を見学していた。
ルークの解説があれば、どんな修行をしているのかを理解できたのかもしれないが、頼れるルークは現在ベラトゥーラとグレーズの国境付近に出現したグリフォンの群れを討伐しに向かっているらしい。
クラウスが通った時には影も形も無かったグリフォンだったが、はやりきちんと存在していた様で、その不可解さがマナの存在をより不明瞭なものにしていく。
とは言え、母からの伝言で何があっても守り抜けと言われた以上、これまでの旅で随分と可愛くなってしまっている娘に疑問は持ち得ても、それに妙な疑いを持つことは止めてしまっていた。
守り抜く上でマナが何者なのか分かるなら、例えそれが魔王でも可愛がろうと決めていたし、逆にサニィの様な聖女でも構わない。
母が守り抜けと言った以上、進んで愛情をかけても問題無いだろうというのがクラウスの判断だった。
さて、グリフォンは何百居ようがルークの敵ではない。
そんなことよりも、サラの様子である。
「ふへへへ、あっちの岸でクラウスが待ってるぅー」
光を失った目のまま、幸せそうににんまりと笑いながら、前に手を伸ばしてふらふらと歩いている。
どう見ても心が壊れているか、精神に支障をきたす植物の粉を吸っているか、どちらかの人間にしか見えない。
よくもまあ自分の娘にあんなことをするなと妙な感心を覚えながら、それでもエレナのことだ。
娘を再起不能にするようなことにはしないだろう。
なんだかんだで、ルークはエレナに弱みを握られて結婚したわけではなく相思相愛。
もしもエレナ自身にそこまでの問題があるのならルークはとっくに切っているだろうし、サラはとっくに再起不能になっていたはずだ。
うへうへと妙な笑みを浮かべながら虚空を見つめる幼馴染に、僕が居るのはここだぞと念を送りながら、随分と大変そうなサラをひっそりと応援し続けた。
「くらうす、まな、まほーつかいはやだな」
一日修行を見守っていたマナが発したこの一言に、その日の出来事は集約していたと言っても良いのかもしれない。
それでもサラの奮闘は無事と言っていいのか分からないが届いていた様で、「さらがんばってほしいね」とクラウスを見つめて真剣に言うマナに、「そうだね」と返すしかないのだった。
――。
その日の夜、今日一日の修行で醜態を晒し続けていたことを思い出したサラは宿の部屋で一人顔を両手で覆って蹲っていた。
ルークから教わっていた魔法の基礎やトレーニングが、まるで意味を成さない相手というものに、サラは初めて出会ったのだ。
胎内にいる頃から出会ってはいるのだからその表現は少しおかしいのかもしれないがともかく、常識の通じない魔法というものを初めて目の当たりにして、サラは母エレナが戦ってはいけない魔法使いと呼ばれている理由を嫌というほどに理解した。
クラウスの旅立ちの時、「悩みのない私は幸せなんだなー」と思わず呟いたことを思い出す。
悩みとは言えない悩み、クラウスに対して好意を抱いているが素直に言えない。
たったそれだけだけの些細なこと。
一分にも満たないそれだけのことから、エレナは的確にその心の弱点を抉りながら押し広げて、心の隙間を広げさせると、そこに甘い誘惑を入れ込んでくる。
ほぼ理屈ではない部分の精神的な弱みにつけ込まれると、魔法使いはあそこまで何も出来なくなるのだと思い知った。
死が間近に迫った状況ではそれ程動じなかったのに、クラウスが子連れだということを聞いただけで、勝ちの目がゼロになる。
それはサラにとって致命的な弱点なのだということを、今回は思い知らされた。
「うーん、開き直っちゃえば良いのかな。ママは英雄レインに話して修行を付けてもらったって言うけど、流石にそこまで図太くは無いもんな、私」
そんなことを口に出してみると、噂をすればというものなのか、トントンとドアをノックする音が聞こえる。
「はーい、開いてるよ」
「ちゃんと鍵かけないと夜這いに来られても知らないよ?」
「誰が来るのさ」
相変わらず妙なことを言いながら入ってくる母に呆れた顔をしながら尋ねると、母は「そりゃ、クラウス君とか」等と顎に手を当てながら言うので、思わず赤面する。
「クラウスが来るわけないじゃない!」
「分からないよ? 突然サラの魅力にメロメロになって襲いに行こうってなるかもしれないし」
「ありえないから! どんな状況!?」
年中お母さんお母さん言ってる様な幼馴染が、突然そんなことになる様子がサラには想像出来なかった。
まあ、その大部分が一般人の身であっても魔物と戦う母の身を案じてのことと、母が英雄であるという憧れの面であることは分かっている。
あのマザコンが拾った子どもを連れて旅をしていること自体も、その性格を考えれば別に不思議なことではない。
それでも、突然幼馴染の魅力に気づいて夜這いを仕掛けるのは隣の部屋でも有り得ない。
しかし母は、こともなげに言う。
「例えば私が魔法使えば一発だよ?」
「変なことしなくて良いから!」
なんなら洗脳した上に転移させて襲わせても良いよ、等と悪びれた様子もなく言うこちらの母はあちらの母と比べるとハズレなのかな、と思わず本気で思ってしまう。
まあ、頼れる父と自由な母という組み合わせも、両親揃ってこそなのだと思えば幸せな面なのだからと納得することにして、「それで、用事は何?」と問えば、エレナも少しだけ真面目な顔をする。
「さて、冗談はここまでにして、サラ」
その後の質問は、今のサラにとっては降って湧いた好機だった。
「クラウス君が見に来る様だけど、今年の大会出る気ある?」