第八十話:重大なことを決心しようとする時に、躊躇したり頑張ろうって考えたり、色々するじゃない?
女戦士国家のウアカリの東の外れ、山間に向かう高台に現首長イリスはいた。
何かを考える様に顎に手をやったり、目を閉じて耳を澄まそうとしたり、落ち着かない様子で動きを変えている。
そんなイリスを見つけた彼女の姉、クーリアは少しそれを見守った後、声をかける。
「イリス、どうした?」
「あ、お姉ちゃん。ちょっと嫌な感覚がね……」
振り返りながら、イリスは言う。
「ほら、私の力って少しだけだけど、マナの流れが分かるじゃない。それで実は、今まで感じてた聖……サニィさんのマナの感じがおかしいの」
「サニィのマナが?」
「うん。今まで世界を見守ってたような、そんな感覚だったんだけど、近頃の様子は少し変。言葉には出来ないんだけど……」
そわそわと落ち着かない様子のままに続ける。
「何か、何ていうのかな……、重大なことを決心しようとする時に、躊躇したり頑張ろうって考えたり、色々するじゃない? ……あ」
言ってみたものの、目の前に居る人物のことを思い返す。
姉であるクーリアは典型的なウアカリ人だ。毎日良い男を捕まえて、勇敢に戦えればそれで良い。
今はマルスという特定の相手がいるのが例外といえば例外だが、基本的に悩むことなどない。
そう思って、チラリと顔色を伺うと、そんな姉は少しばかりショックを受けたような、呆れたような顔で言った。
「いや、イリス、アタシだってな、本当に悩んだこと位あるぞ? それもついこないだだ。マルスと別れれば強くなれるのかとか、色々考えた。結局、本能が別れたところで強くなんかなれないって言って意味無かったが」
「……」
つまりはついこの間までは悩んだことなどなくて、更にはその悩みすら殆ど無意味で終わっているということか、と納得する。
まあ、落ち込んでいたことは本当なので良しとして、話を続ける。
「ともかくね、そんな感じなの。苦渋の決断をしようとしてるって言うか、もうしたのかもしれないけど、それを実行するのは躊躇っちゃうとか、そんな空気を感じる」
余りにも曖昧なその言葉に、流石にクーリアも首をかしげるが、それがどういうことなのかを考えようとしたところで、後方から大きな声が聞こえてきた。
最近ではもう聞きなれた一人の男、七英雄がマルスの聞きなれない叫び声だ。
「おーい! クーリア、イリス君! 緊急事態だ!」
その様子に、並々ならぬものを感じる。
マルスは基本的に致命傷を食らっても呻き声の一つも上げない。
腕がもげようが少し苦悶の表情をするだけで、瞳に宿る意志は強く保ったまま。
そんなマルスが、明らかに動揺した様子を見せている。
これは緊急事態などではなく、異常事態ではないか。
ウアカリの姉妹は即座にそう判断して気を引き締めた。
「どうしたんだ、マルス」
未だ魔王討伐軍のトップの一人であるクーリアが、イリスに代わって答える。
緊急事態、それがウアカリにとって重要なことならばイリスを先に呼ぶ筈だ。
しかし先にクーリアを呼んだということはつまり、それを超えた問題、もしくはプライベート。
そして今回は明らかに前者の話だろう。
「狛の村が恐らくだが全滅。直ぐに『漣』で緊急会議が開かれる。特にイリス君は今回最重要だそうだ。直ぐに出発準備をしてくれ。これは最重要機密として扱う。今回は一先ず『魔王討伐隊』が集まることになる様だ」
ごく端的にそれだけを伝えて、乱していた息を整え始める。
不死の肉体は直ぐに酸素を体に巡らせその肉体を再生していく。
ほんの数瞬後には、焦りも消えていつもの凛々しい英雄が姿を現す。
七英雄で最も少ない犠牲者で魔王を倒した偉人。
鬼神レインをして、本当に強いと言わしめた最弱の英雄の姿。
「分かった」「了解です」
全滅の情報は、有り得るかもしれないと覚悟していた。
それが史上最強の民族である狛の村であるとは正直驚いたが、もしも100mを超えるドラゴンでも現れたのならおかしくはない。
魔物との戦いは命のやりとり、100%など有りはしない。
戦士であるウアカリの二人は、幼少より聞いていた七英雄『ヴィクトリアとフィリオナの伝説』を聞いて育ってきた。
人は死ぬ。それが例えどんな英雄であってもあっけなく。
目の前の例外だけは除いて、聖女と鬼神すらも、あっけなく死んだのだ。
だからこそ、次のマルスの発言に、二人は驚きを隠せなかった。
「追加で、ライラ君からの伝言だ。狛の村の住人と戦うことになるかもしれない。覚悟しておいて下さい、とのこと」
「なっ……」
目を見開くクーリアと、胸を押さえるイリス。
マルスの言葉は、イリスの胸に刺の様に突き刺さっていた。
かつて一度言った決意、しかし、現実とは違った為に後悔し、胸の奥に押し殺していた言葉を思い出す。
――うん、じゃあ、私だけは、レインさんのこと、好きにならない。
あんな、躊躇なく人を殺せる人。
イリスは自分が放ったそんな一言を、今になって思い出していた。