第五十四話:よろしく、魔女様
魔女ナディアはウアカリの歴史上に於いて、最もその特異な力の影響を強く受けた人物だ。
ウアカリにだけ起こる特異な現象として、そこで生まれる者は全員大柄の健康的な美女で、『男の強さを測る』という力を持つ。
その影響はそのまま男好きへと繋がり、国を挙げて男性冒険者の来訪を歓迎している。
もちろん、全員が強力な戦士である為にそれに託けて悪さでもしようものなら袋叩きに合うのだが、概ね男にとっては楽園だ。
ナディアはそんな中で、現在の国の中では圧倒的に男を測るその力が強い。
その影響は、彼女を少しだけ、浮き立たせていた。
同年代の皆が男に興味を持ち始める頃、彼女もまたその力の影響で強く男というものに惹かれる様になった。
しかし力の弱い者ならば、ただ男であるだけで誰であってもそれなりに魅力的に映るのに対して、ナディアの強過ぎる力は、逆に男を見る度に失望に追いやることとなる。
「自分よりも弱い人を相手に興奮してる人達っておかしいんじゃないですか?」
思春期のある日、彼女は同年代で互いにしのぎを削っていたクーリアに、そんなことを尋ねた。
すると、友人でもあるクーリアはこう答える。
「男はウアカリには存在しないからな。未知に興味を持つのは人間としては当たり前だろう」
ナディアの力の強さをなんとなく知っているクーリアは、そんな風に答える。
クーリアの持つウアカリの力はほぼ平均的だ。デーモンを倒せる、一流と言える勇者であれば十二分に魅力的に見えてしまう。
しかし、強ければ強いほどに魅力が増すのもまた事実だった。後に最弱の英雄に強く惹かれるのは、彼女自身の強さと、その能力が特別強くないことが上手く組み合わさった結果。
基本的には強ければ強いほどに良いということは十分に理解していた。
「未知ですか、6桁位で数値化出来ちゃう私にとっては既知な気がしますけど」
「そうだな、お前にとって未知ってのは、少なくとも自分よりは強くないとな……。そんな者が何人いるか……」
強い者は、それなりに強い理由を持っている。わざわざ女ばかりのウアカリにまで観光に来る中でそんな者に出会える可能性は極めて低い。
「ええ、でも、まだ見ぬドラゴンを殺す様な男性には会ってみたいなぁ」
「いつかそんな者も生まれるかもしれないな。ま、その時はアタシと競争だけどな」
そんな夢物語を話しながら、ナディアは思春期を悩み続けた。
……ある日、どうしても男は弱くて萎えてしまうのに思春期の妄想だけが捗ってしまうナディアを見てクーリアが玩具を与えるまで。
そしてクーリアが首長になった頃、ナディアは国で一番の宿の受付嬢となった。
男に対する興味は失せず、しかし実際の男を見るとその弱さに愕然としてしまう。
のんびりと仕事をしながら冷静に見定めて、自分を落とす英雄の様な男でも見つければ良い。
そんな風に思って働き始めて数年、それはやってきた。
「部屋はあるか?」
濃いブルーグレーの短髪に、藍色の瞳。一目見て瞬時に理解する。
その見たこともない程の強さを。
ドラゴンなど軽く凌駕し、自分などきっと指一本で相手をされても1秒と持たない。
運命の人だ。
隣に、女さえ居なければそう思っただろう。
隣にいる女は、力など作用しなくとも分かる。
ナディア自身、百戦錬磨の戦士なのだ。
その女は、自分よりも遥かに強い。その洩れ出る殺気は今まで見たどんな魔物よりも恐ろしく、冷や汗が噴き出てくる。
しかしそれでも、その女から寝取ってでも良い、魔王の様な強さだろう目の前の男に、全てを捧げなくてはいけない。
そんな衝動を抑えることは出来なかった。
感動と戦慄、その二つを同時に覚えたナディアは、その晩それを確かめることにした。
そして案の定、最大限の警戒をしながら部屋に忍び込もうとしたにも関わらず、部屋の扉に手をかけた途端に蔦に縛られ動くことすら出来なくなる。
それがナディアには、どうしても悔しかった。
納得は出来る。強い者ほど偉いのがウアカリのルールだ。
その女が男を独占したいと言うのであれば、逆らって良いわけもない。
それでもナディアには悔しかった。
自分が勝てない者等クーリア位だと思っていたし、そのクーリアにも、苦戦くらいはさせられる。
しかしその女には、手も足も出ないどころか、姿すら見えずにやられてしまう。
ただ、悔しいのはその強さでは無かった。
その女の顔が、自分と瓜二つだったことだ。
スタイルは確実に勝っている。
肌の色と髪の毛の色が違う為に印象は違うものの、男も自分に悪い印象を抱いていないことはすぐに分かった。
それでも何の因果か、自分が生きてきて唯一感動を覚えた相手が連れていた女が自分と全く同じ顔していることが、何故か途轍もなく悔しかったのだ。
それからのナディアは、とにかく命を懸けて男にアタックを仕掛けた。
もしかしたら時折魔物の様な殺気を放つ女には殺されてしまうかもしれない。
それでも、初めて見た時の何ものにも代え難い感動は忘れられなかった。
しかし。
男は、気付いたら居なくなっていた。
最期の時がいつになるかは聞いていた。
それならばせめて最後に一言くらいは言いたかった。
そう思っていたのに、聖女と呼ばれるその女に、心を弄られている間に、居なくなっていた。
今は鬼神と呼ばれるその男のことになると、力が暴走して歯止めが効かなくなる。
それが悪いのは分かっているけれど……。
確かに、そうでもされなければ自分も連れて行けと泣き喚いていただろうけれど……。
一体どこまでがあの魔女の様な女の計算だったのだろうか。イリスの治療で我を取り戻してから一月も泣き喚くと、驚く程に強くなっていた。
決して叶わぬ恋でウアカリの戦士は強くなる。
そんな隠された力がそこにはあるのだと、初めて知った。
そして同時に思う。
それならば聖女を超える程に強くなって、彼に「私を選んでおけば良かったのに」と言ってやることで、けじめとしよう。
死者を冒涜する様で気は引けるけれど、あの魔女は流石に酷いからそれでおあいこだ。
もちろん、同じく彼を狙うあの怪力馬鹿にも勝ってやる。
そう考えて、血の滲む努力を始めたのだった。
――。
「私もオリヴィアみたいに一歩引けたなら良かったのかなぁ」
そんな答えの出ない自問自答をしながら、ナディアは南の大陸をひた走る。
ちょうど目線の先には、魔物の群れ。
一人で相手にするには少し骨の折れる量と質だろうけれど、あの魔女ならば簡単に倒すだろう。
「っふう、よし、行くよ、『しらたま』『みたらし』」
背に納めた二本の猛毒を塗った剣を抜きながら、ナディアはその群れに突撃した。
……。
どーんという爆発音と共に、一瞬にしてその群れの四分の一程が吹き飛ぶ。
ナディアがまだ攻撃を開始する前のことだった。
これからどう料理してやろうかと考えていた所に不意に起こった爆発音と突風。
その中に、流石は世界第三位、ナディアは人影を捉えた。
自分の獲物を取られたことによる腹立たしさと共に、その人物が誰なのかすぐに思い当たる。
二人で素早くその群れを倒すと、そのまま走り去ろうとするその影に声をかけた。
「待ちなさい。私の獲物を取っておいて挨拶もなしは酷いんじゃないですか?」
「これはすまない、随分と強いみたッ……?」
「なんですか? 変なイケメンさん」
「聖女さ、……いや、君は……?」
「私はウアカリのナディアです。あの魔女と一緒は心外ですよ、レインさんの五分の一さん」
そこまで話して、相手も理解したらしい。
声をあげて楽しげに笑い始める。
「ははは、なるほど、レインの五分の一か、私もまだまだだな」
「ええ、まだまだです。こっそり隠れて修行してた根暗さん」
「言いたい放題だな、まあ良いだろう」
そしてその人物は手に持った武器を置いて手を差し出す。
「自己紹介が遅れて申し訳ない。七英雄ヘルメスが子孫、レインの友サンダルだ。よろしく、魔女様」