第百六十八話:極西の妖狐
極西の島国、その森の中、1匹の狐が、その重症を負った体を癒していた。
元は九本あった尾は三本に減り、その力はかつて従えていた鬼よりも落ちている。
そのお陰であの魔法使いの探知に引っかからないのは都合が良いが、どうにも力が弱過ぎる。
今は魅了すらまともに使えず、他の魔物を仲間にすることも叶わない。
人の姿を保つことも出来ず、かつての様に人間の男に取り入ることも、今は出来ない。
「レイン様……。世界はあの方を殺したがっている。実際に出会ってよく理解出来た。凄くすごく、殺したかった。でも、妾は、あの方を、助けたい」
それは、狐の本気の願いだった。
かつて支配した男共と、あの方はまるで違う。
「あの魔法使い、どう足掻いても、勝てる方法が浮かばない。レイン様も、あの魔法使いを好いているのが分かった、それでも……」
魔物は、基本的には世界の意思、魔王がその様に呼んだものに基づいて人を殺す。
その方法は様々。
ただ殺す者いれば、食べる者もいる。魔物として同化させる者もいれば、自爆と言う手段を選ぶ者も、いるにはいる。
この狐の場合は、上級の魔法と、最上級の魅了の力によって国に取り入り、それを内側から壊すことがその方法にして、本質。
その中で、魔王にもならず、永い時を生きてきたこの狐は、あるタイミングで明確な意思を持つまでに至っていた。
魔王になってしまえば、世界の意思に抗えず、世界を滅ぼす選択をする。
魔物はもっと規模が小さい。目の前の人を殺したいし、種族が興味を持つことを優先したい。ドラゴンであれば、放っておいても人間は死ぬので、散歩がてら都市を踏み歩くことすらあるが、別に世界を滅ぼそうとはしない。レインとサニィを執拗に狙う魔物達は、言ってみればそんな世界の意思に逆らえなくなった者達。
そんな中、極々極々稀に、この狐の様な存在が現れる。
言ってみれば、狛の村の住人が、ほぼ魔物の肉体を持っているのに、人として生きられるような、そんな理由によって。
だから、そんなファンタジーが生まれる。
死にかけのグリフォンを助けてみたところ、恩を返しにきた、だとか、そんな話が残っている。
そんな創作物は性善説を唱える一般人には愛されているが、本質的に魔物を嫌ってしまう勇者には、好かれるはずもない。
そして、狐が自分の意思を自覚したのが、レインに初めて出会った時だった。
狐は元々人間とは長く接してきた魔物だ。だから、人間のことをよく知っている。
勇者と魔法使い、そして一般人と言う分類が居て、殺人衝動も大幅に違うということを知っている。
だからこそ、やろうと思えば狐は、その衝動を我慢して人間と共に居る決断もすることが出来る。
「あの衝撃、もう、忘れられない。本当はあの町を滅ぼすつもりだったけれど……、レイン様が認めてくれるなら…………」
この狐は、この時点で常識的に考えて、魔物の領域を超えていた。
だから、狐は考える。
どうすれば、いったいどうすればあの方の側に居られるのだろうか。
力を取り戻してしまえば、今度こそ有無を言わさずあの魔法使いに殺されてしまうだろう。
それなら魅了だけ強化する方向で行けばいいだろうか、魔法をもっと上手く扱える様になればいいだろうか、それとも……。
幸いにも、流れ込んでくる世界の意思によって、二人の位置は把握できている。
この殺人衝動にさえ抗えれれば、いずれ道は開けるかもしれない。
狐は、明確な意思を持つに至った原因を持つレインを、時間をかけてでも求めることを決断した。
ただ、狐は知らない。
レインもサニィも、あとたったの二年足らずで、死んでしまうことを。
ようやく芽生えた微かな想いは、その二年では決して叶うことがないことを。
どれだけ頑張ったところで、サニィに勝てる未来などないことを。
そんな努力の全てを、レインは受け止めることがないことを。
そして、どこまで行こうと、所詮魔物は魔物でしかないことを、狐は知らない。
取り敢えず、傷を癒すのに、あと一年。
それまでは、ゆっくり体を休めながら、考えよう。
世界は悪意に満ちている。
今日も、誰かがそんなことを呟いた。
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