転生したとわかったのは、誕生日プレゼントのブローチを3歳下の妹のニコラが『欲しいの!』と言った時だった
目にとめてくださりありがとうございます。
ざまぁ要素とかは特にない転生ものです。そして前世の描写が多いです。
よろしくお願いいたします。
誤字報告等ありがとうございます!感謝です!
転生したとわかったのは、誕生日プレゼントのブローチを3歳下の妹のニコラが『欲しいの!』と言った時。
両親が『それはお姉ちゃまのなんだからダメに決まってるでしょ。あなたは誕生日まで我慢しなさい』と妹を叱った時には前世の自分の全てを思い出していた。
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前世の私、佐藤円は4歳離れた姉がいる妹で、何かと姉にくっついて歩いていた。
「いやーっ!!お姉ちゃんと一緒に行くのー!!」
「無理なの!!修学旅行なんだから!」
「やだーっ!!お姉ちゃんと行くー!!」
日本で生まれて育った私達。姉は4歳上だったからなんでも先んじていた。いや、年齢差ではない。そもそも持っていた力が全く違っていた。
姉の環は何でもできる人だった。
小学校時代。マラソン大会では6年間優勝。もちろん運動会でもいつも1位。作文コンクールに出せば最優秀賞で副賞として海外旅行。ピアノはショパンを初見で弾き、厳しいことで有名な学校長に『君は留学すべきだ!推薦書を書く!!』と言われて親が断っていた。
中学校時代。貼り出される試験は全て1位。2年生になればライバルなんて出るわけもなく教師にすすめられるまま生徒会長に就任。高校では帰宅部だったのに校内の球技大会のテニスで部員を破って優勝。それどころか頼まれて出場した県の陸上大会の短距離走で優勝した。
「あなた、速いわね。何部?」
「え…えーと……」
2位だった選手に聞かれて答えに困ったらしい。部活に入っていないと知って相手は『そんだけ動けるなら運動部に入れよ!』とこめかみに青筋を立てていたそうだ。
大学時代は未経験のアーチェリーを始めてすぐにメキメキと頭角を現し、国体に出た。その後3年間連続。もう笑うしかないくらいの人。
そんな姉が大好きな私は、いつだって姉の後をついてまわっては
「いやーっ!お姉ちゃんと一緒がいいの〜っっ!!!」
と駄々をこねまくっていた。
両親は常識人だったので私の願いが叶うことは稀で、いつでも家でお留守番だった。
私が幼稚園の頃のこと。小学生から参加できる町内会のキャンプに一緒に行くと言い張って、自分の小さいリュックにハンカチとティッシュと好きなぬいぐるみを入れて背負い、玄関前で寝転んだが置いて行かれた。厳しい親だった。当然だけど。
泣きつかれた私に、母が
「しょうがないわねぇ。じゃあ一緒に遊びましょ」
と言ってくれて、猫のひたいほどの庭でおままごとをしてくれた。後から考えたらただの草むしりだった。
でも姉はいつだってなんやかんやとお土産を買って来てくれたり、帰宅してから一緒に公園に行ってブランコを押してくれたり私に優しかった。
どうしても一緒の物を持ちたいと泣いた時は、お揃いのマスコットをフェルトで作ってくれた。何でもできる姉だがなぜか裁縫はあまり得意ではなかったので、できたマスコットにはところどころ血がついていた。
酸化した血の茶色いシミが点々とついている黄色いニコちゃんのマスコットに、母は『そんな怖い物…魔除け?』と嫌な顔をしていたが私は平気だった。嬉しくて嬉しくてランドセルにつけて学校へ通った。
真面目一辺倒ではない姉は、バイト代を落として落ち込んだり、それなりに外見を気にしてダイエットしたりと普通のところもたくさんあった。そんな姉も大好きだった。
ある日、姉が私のレターセットを使っているのを見て
「あれ?それ、私のと同じだね!!」
と言うと
「ああ、円のだよ。円って寝てる時に訊くと何でも寝言で答えてくれるんだよ。素直すぎだよね〜」
と言って大笑いしていた。
「ひどーい!!」
と口では言う私も、姉が大好きで、自分のものを使いたいと思ってくれたことが嬉しくて、毎日毎日一緒に暮らせることが幸せだった。
姉よりもずっと出来が悪くて、学校でも社会でも『ああ、あの環さんの妹…』と言われるのはちょっと情けなくもあったけど、それでも姉を誇らしく思うほうが強かった。自慢の姉だった。
両親は出来がそこそこの私でも大事にしてくれたからグレることはなかった。ありがたや。
そんな姉が病に倒れたのは29歳の時だった。
両親も私もどうしていいのかわからなくて、病室で弱っていく姉の側で一緒に過ごすしかできなかった。
「まあねぇ、いろいろ出来過ぎではあったわね。人生の前倒しだったのかも」
そう言って笑う姉は小さく見えて。
「じゃあこの後はあたしが頑張るから。お姉ちゃんはなんにもしなくていいから。
だから元気になって!!」
「それは頼もしいねぇ。まあ円は本当はやればできる子だもんね。あたしは療養を頑張ろうかな」
でもやっぱりそれは叶わなかった。私は泣いて泣いて…。
姉の葬儀の後、私は甘えまくっていた自分を捨てて、頑張った。
仕事はもちろんのこと、そこで必要そうな資格は何でも取って、地域のいろいろな行事にも参加して、人脈を広げて、会社を興した。働きたい女性を応援する、小さい会社。でも小さくてもそれなりに需要はあって、必要とされながら長年続けることができた。
いつだってお姉ちゃんに褒めてもらえるように、胸を張れるように頑張ってきた。
結婚して、夫と一緒に男男女と三人の子どもを必死で育てた。夫は姉のことを思い続ける私を諸々認めつつも、『頑張りすぎなくても君は君で十分立派だよ』と褒めてくれる出来た人だった。
両親とは時々親子らしい言い合いをしながらも仲良くした。よくあの姉のことを乗り越えて、と思うことがよくあった。立派な親だったなと思う。
両親を順に看取って十数年後、夫の葬儀も滞り無く済ませて、会社も次の人に任せて、さあこの先どうしていこうか、と思っていたところで頭痛に襲われ…。
*****
私、ティファニー・アークライトは裕福な商家の長女。誕生日を迎えて今日で12歳になった。そして私のブローチを欲しがっている妹のニコラはまた今日から3歳差だ。
「お姉ちゃまのブローチがいい!お姉ちゃまだけお誕生日で、またニコラは3歳下になっちゃった!ずるい!あたしも早く同じ歳になりたいのに!」
涙目でキーキー泣く妹を見た私は心の中に温かい気持ちが満ちるのを感じた。
『ああ、お姉ちゃんもこんな気持ちであたしを見てくれていたのかな』
「全く、ニコラはまたティファニーの物を欲しがって。ダメなものはダメなのよ!」
「やだーっ!!お姉ちゃまと一緒がいいのぉ〜!!!」
エーンと泣いて転がるニコラに母親が『9歳にもなってそんなに甘えてるなら叔父さんの店に奉公に出すわよ!!』と叱り、ニコラは『やだー!お姉ちゃまと離れたくない!一緒にいるのー!!』とゴロンゴロンしている。
今の自分の記憶を確かめれば、成程、今の私は大きな商家の長女に相応しい力を持っている。前世の姉ほどではないけれど、妹から見れば十分憧れなのだろう。
「ニコラ、これはお父様とお母様が私にプレゼントしてくれたものだから譲れないの。
もし私がニコラに『大事にしてね』って贈ったものを誰かが欲しいって言ったら、あげる?」
「絶対にイヤ!!あげない!!…あっ」
「そう。同じなの。わかってくれる?」
「…う…」
「でも、私と一緒がいいのなら、お揃いで何か作ろうか。手作りすれば世界で私とニコラの分だけだもの、お揃いの中のお揃いだよ?」
「うん!つ、作る!!」
涙とかいろいろでベトベトの妹の顔を拭いてあげながら、両親に材料の布やらをねだると、古布や取っておいたボタンがあったわねと探してくれることになった。売り物をタダではくれないところが商売人の両親らしい。
数日かけて作ったそれは、前世で姉が作った『魔除けのマスコット』とは違って可愛らしいものだった。私は裁縫が得意だったし、この世界でもよく刺繍をしていたから。
「可愛いお人形!今度はお洋服も作りたいの!」
「それはいいわね。お母様に布やリボンをお願いしておこうね」
「うん!嬉しいな、お揃いだね」
ニコニコと人形を撫でるニコラを見て、私は涙が出そうだった。可愛い妹のニコラ。私を好きだと一緒がいいと言ってくれるニコラ。
『お姉ちゃん、私、お姉ちゃんみたいになれるかな。この先、妹が私みたいに頑張れるように、励ましてあげられるお姉ちゃんになれるかな。恩返しができるかな』
心のなかでそう呟く。
『円はそのままで十分だよ。だってニコラはそのままで可愛いって思うでしょ?あたしも同じだったよ。一緒にいるだけで幸せだった。ニコラと仲良くね』
お姉ちゃんがそう言ってくれた気がした。
お読みくださりどうもありがとうございました。
仲良し姉妹ものになりました。両親が普通で良かったです。
神様談『姉が好きすぎる妹に絆されて転生させてしまった』
ところでうちの姉も本当に何でもできます。この話と違ってめっちゃ元気に生きてます。食べ過ぎに気をつけてほしいです。お姉ちゃん、長生きしてくれよ!
*作品のところに短編を傾向でまとめてみましたのでよろしければ!




