表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
森喰いの核木(もりぐいのさねき)  作者: 都桜ゆう


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/12

第四章 保護派の“理想論の崩壊”(前半)

 車内に閉じこもる新藤の視界は、ひび割れたスマートフォンの液晶に釘付けになっていた。そこには、現実の惨劇とは乖離した、狂乱の数字が踊っていた。


『同時接続数:八万四千人突破』


『投げ銭:累計二百三十万円』


 コメント欄は、戦慄と興奮、そして無責任な期待で溢れかえっている。


『新藤、マジで歴史の目撃者じゃん』


『この化け物、映画化決定だろw』


『でも爺さんのやってることって虐待じゃない? 愛で対話しろよ』


「……愛で、対話……」


 新藤はハッとした。ただ篝が食われる無残な映像よりも、暴力的な老人を自分が制止し、怪物に寄り添う姿を配信した方が、視聴者(世間)はもっと熱狂するはずだ。

 新藤の脳内で、何かが決定的に歪んだ。足首に絡みついた白い繊維のチクリとした痛みは、アドレナリンによって一時的に麻痺していた。彼にとって、目の前の地獄はもはや「生存の危機」ではなく、人生を一発逆転させるための「コンテンツ」へと変質していた。


 もし、篝という野蛮な老人が力で捻り伏せるのではなく、自分がこの『森の主』と心を通わせる姿を配信できたら。世界中の環境団体から寄付が募り、テレビ局が自分を追いかけ、自分は『自然と対話できる選ばれし者』として崇められる。


 ドンドン、と激しく窓を叩く音がした。窓の外では、見捨てられたミキが恐怖に顔を歪ませ、必死に中へ入れろと訴えている。だが、新藤は彼女と目を合わせることすらしない。


「……見てろよミキ。あんな古臭い刃物じゃ、結局は森の恨みを買うだけなんだ」


 新藤は窓一枚隔てた外の悲鳴に、陶酔しきった声で応えた。


「僕が、真の解決策を見せてやる。暴力ではなく、共生の道こそが、現代の正義なんだ」


「……新藤さん? 何言ってるの……? お願い、開けて、早く車を出して……!」


 ミキの絶望的な制止を、新藤は耳元で鳴るノイズ程度に聞き流した。彼は予備のカメラを掴むと、自分だけを守るために固く閉ざしていたドアロックを、自ら解除した。

 英雄になるという妄想が、生存本能を完全に上書きしていた。彼はドアを蹴るようにして開け、再び地獄の渦中へと踏み出した。


 外の空気は、さらに変容していた。森喰いから放たれる胞子の霧は濃くなり、呼吸するたびに肺の奥が重苦しく、湿った土が喉に詰まるような感覚を覚える。


 篝と森喰いは、納屋の前で膠着(こうちゃく)状態にあった。篝の撒いた赤い砂の円が、押し寄せる根の波を辛うじて食い止めている。だが、森喰いの巨体からは、犠牲になった者たちの叫びを模したような、風鳴りのような唸り声が絶え間なく漏れていた。

 新藤は、カメラを自分に向ける。


「皆さん、見てください! 勇気を持って、僕は今から『森の主』に歩み寄ります! あの老人の持っている刃物は、ただの憎しみの象徴です。でも、僕は武器を持ちません。手にあるのは、平和への願いだけです!」


 新藤は、ライトを最大光量にした。それは暗闇に慣れた森の住人にとって、目を焼くような暴力的な光だった。


「おい、新藤! 戻れ、死ぬぞ!」


 篝が短刀を構えたまま、背後も見ずに怒号を飛ばした。


「そいつは対話など求めておらん。お前さんの血を、潤滑油程度にしか思っておらんのだ!  早くわしの背後、この砂の円の内側へ入れ!」


「黙れ、人殺し! 爺さんが彼を傷つけるから、彼だって怒ってるんだ!」


 新藤は篝の叫びを無視し、救いの手である円の内側ではなく、その外側の一歩を踏み出した。

 泥を踏みしめるその瞬間、足首を這っていた白い繊維が、彼の狂信的な歓喜に応えるように、ズブズブとズボンの生地を突き抜けて皮膚の深層へと潜り込んだ。


「守り神……。聞こえるかい? 僕は君を愛している。君を、守りに来たんだ……」


 新藤がうっとりと手を差し伸べた。森喰いの巨躯が、不自然なほど静かに、ゆっくりとその顔を新藤に向けた。山羊の頭蓋の奥にある虚無の闇。そこには、獲物の滑稽な姿が映っている。


 森喰いにとって、新藤の言葉は雑音ですらなかった。ただ、目の前の獲物が自ら「最も捕食しやすい距離」まで無防備に近づいてきた――。その純然たる事実だけを、森喰いは、地下に張り巡らされた根のネットワークで最適に処理した。


「……あ」


 新藤の足元で、泥が「笑った」ように見えた。ライトに照らされた土が沸騰したように激しく泡立ち、次の瞬間、数百本の黒い繊維が噴水のように突き出した。それは、触手というにはあまりに鋭利で、針というにはあまりに飢えていた。


「な……、え……? 痛……っ!? やめ、離し……っ!!」


 逃げる間もなかった。繊維は新藤の足首から這い上がり、膝、腰、胸元までを瞬く間に縛り上げた。いや、縛ったのではない。繊維の表面にある微細な吸管が、服を焼き切り、皮膚の毛穴一つひとつにまで強引に潜り込んでいったのだ。


 新藤の全身の血管が、不自然に黒く浮き上がる。絶望で激しく脈打つ彼の血流を、森の根がダイレクトに啜り始めた。


「が、あ……っ、あああぁぁぁ!!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ