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森喰いの核木(もりぐいのさねき)  作者: 都桜ゆう


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第二章 森喰いの襲撃(後半)

 納屋の闇からせり出してきたそれは、高さ三メートルを優に超えていた。

 全身を構成しているのは、黒く濡れた、うねるような木の根の束だ。だが、それは単なる植物の集合体ではない。根と根の隙間、まるで人間の肋骨を模したかのように湾曲した幹の奥には、夥しい数の異物が埋め込まれていた。


 今朝、堅牢な扉を粉砕して奪い去られた二頭の山羊。その無残な頭蓋が、剥き出しの歯を晒して幹に埋もれている。さらにその隣には、数年前に行方不明になったはずの老人の、樹皮のように乾いた生首が並んでいた。


 それらは、腐敗することもなく、かといって生きているわけでもなく、森喰いの肉体の一部として「接ぎ木」されていた。山羊の目は白濁し、老人の口からは絶えず、小屋の床に残されていたのと同じ、あの粘り気のある黒い樹液が溢れ出している。


「……う、嘘だろ。……なんだよ、あれ……」


 新藤のカメラが激しく手振れを起こす。ナイトビジョンの緑がかった画面越しに見る森喰いは、まるで悪夢が受肉したかのような存在感でそこに立っていた。


「ぎ、ぎゃあああ! 抜けない、抜けないんだあああ!」


 宙に吊り上げられたタカシが、絶叫を上げながら自身の右腕を掴んで悶絶していた。


 彼の腕を貫いた木の根は、単に肉を貫通したのではない。根の先端から、毛細血管のように細い繊維が、タカシの皮膚の下へと侵入していたのだ。

 タカシの腕の血管が、不自然に黒く浮き上がる。根が彼の神経を、血管を、骨髄を苗床として利用し、凄まじい速度で上腕へと食い進んでいく。


「ミキ! ライトだ! もっと光を当てろ!」


 新藤は叫んだが、自身は一歩もタカシを助けに行こうとはしなかった。森喰いが、ゆっくりとその巨体を揺らした。全身の根が「ミシミシ、パキパキ」と、乾いた音を立てて(うごめ)く。それは笑い声のようでもあり、あるいは巨大な胃袋が鳴っている音のようでもあった。


 突如、森喰いの胴体にある裂け目が、獲物を招くように大きく開いた。そこは、無数の鋭い枝の牙が渦巻く、巨大な口のような器官だった。タカシを吊り上げている根が、ゆっくりと、しかし抗いようのない力で彼をその裂け目へと引き寄せていく。


「助けて、新藤さん! カメラ回してないで、助けてくれ!!」


 タカシの喉を引き裂くような懇願。しかし、新藤の瞳に宿っていたのは、救済の意志などではなかった。


 レンズに反射する緑光の奥、その瞳は血走り、獲物を凝視する獣のように見開かれている。彼にとって、いま目の前で苗床にされ、人間から異物へと変貌しつつあるタカシは、救うべき隣人ではなく、己の野心を完成させるための最高の被写体に過ぎなかった。


「……これだ。これだよ。誰も見たことがない……。これを撮れば、僕は、僕は世界を……ッ!」


 新藤の口端から、飢えた獣のような涎が垂れる。その指先は、シャッターチャンスを逃すまいと、痙攣しながらも録画ボタンを押し込んでいた。


「新藤さん、危ない!」


 ミキの悲鳴が夜気を切り裂いた。直後、キャンプ地の足元が爆ぜた。ランタンの灯りを狙ったかのように、地面から鎌首をもたげた別の根が、凄まじい風切り音を立てて横薙ぎに一閃する。

 視界が完全に遮断されたことで、逆に、それまで背景に退いていた音が暴力的な鮮明さで耳をつんざいた。


「ヒッ……ヒィィッ!」


 画面の中で、タカシの肉体が異形へと同化していく様を、新藤は呼吸を忘れて見つめていた。次は自分があの映像で世界を驚かせる番だ――。そんな狂った全能感が、彼の足をその場に縫い止めていた。


 だが、その陶酔を冷たい違和感が遮った。

 足首に、這い回る虫のような、細く鋭い何かが触れている。新藤が恐る恐るスマートフォンのレンズを足元へ向けた瞬間、緑色の画面に映し出されたのは、無数の白い繊維が彼の足元に川のように押し寄せている光景だった。


 すでに、逃げ道はなかった。音もなく、彼の高価な登山靴の紐に白い糸が絡みつく。それが靴の繊維を通り抜け、足首の皮膚にピリリとした、毒針で刺されたような痛みを与えた。

 その瞬間、新藤の中の理想は、音を立てて完全に砕け散った。


「嫌だ、嫌だ嫌だ! 死にたくない!」


 新藤は、三脚ごとカメラを蹴り飛ばした。今なお救いを求めて宙で手を伸ばすタカシを冷酷に切り捨て、腰を抜かしていたミキをも突き飛ばすと、自らの車へと脱兎のごとく走り込んだ。

 車内に滑り込み、全ドアのロックをかける。


「……かかれ、かかれよ! クソッ、なんでだ!!」


 スタートボタンを連打するが、無情にも電子音の警告だけが車内に響く。見れば、足元の地面から噴き出したあの白い繊維が、すでにタイヤをがんじがらめに縛り上げ、車体の底からエンジン機構の内部にまで完全に食い込んでいた。


 脱出は不可能だった。新藤は車内という檻の中で、激しく荒い息を吐きながらフロントガラス越しに、闇の奥に浮かぶ納屋を凝視した。


 そこでは、スマートフォンのデジタルズームが激しくノイズを噛みながら捉える視界の中で、タカシが今まさに森の一部として加工されようとしていた。

 自分たちが掲げていた共生や愛という薄っぺらな虚飾は、森の圧倒的な摂理の前では、紙屑ほどの役にも立たなかった。


 その時だ。

 闇を切り裂くように、一筋の火花が散った。篝が歩きながら、腰に提げた火打金を、懐から出した火打石へ鋭く打ちつけたのだ。


 カチッ、という硬質な音と共に、闇に散った火花が篝の深い皺に刻まれた横顔を一瞬だけ照らし出す。それは、荒れ狂う異形への挨拶か、あるいは場を清める儀式か。

 火花が闇に溶け落ちるのと入れ替わるように、再び足音が動き出す。ギュッ、ギュッ……と、重く湿った土を踏みしめる地下足袋の足音が、今度ははっきりと異形の方へ向かって近づいていく。


 彼は周囲を蹂躙し、咆哮を上げる異形を前にしてもなお、夕暮れの村道を散歩でもするかのような足取りを崩さない。そのまま吸い込まれるように間を詰めると、怪物の鼻先で、日常の雑務でもしにきたかのように無造作に立ち止まった。


 その手には、月明かりを吸い込んで鈍く光る一振りの短刀――代々伝わる「返し」が握られている。刃紋は(いびつ)で、まるで幾千もの樹木の年輪を無理やり凝縮したかのような、禍々しくも静謐な文様が浮かび上がっていた。


「……無作法な食い方だ。貸し借りの筋も通せんか、この出来損ないめ」


 篝の声は低く、そして驚くほど静かだった。だがその静かな声は、森喰いの狂った咆哮を切り裂くようにして、新藤の耳にまで真っ直ぐに届いた。まるで、老人の放つ凍てつくような威圧感が、大気を震わせていた怪物の叫びを無理やり黙らせたかのように、新藤には感じられた。


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