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森喰いの核木(もりぐいのさねき)  作者: 都桜ゆう


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第二章 森喰いの襲撃(前半)

 陽が山の端に消えると同時に、鹿ヶ瀬村は急速に冷え込み始めた。それは単なる気温の低下ではない。湿った、重たい何かが空気を塗りつぶしていくような、皮膚が粟立つような冷気だ。家々の戸は固く閉ざされ、窓の隙間には目張りがなされている。村人たちは灯りを最小限にし、まるで自分たちの存在を森から消し去ろうとするかのように、息を殺して闇の通り過ぎるのを待っていた。


 しかし、その静寂を拒絶するように、村の外れにある納屋の近くでは、フォレスト・ガーディアンズのキャンプが不自然な輝きを放っていた。


「……いいですか、フォロワーの皆さん。これこそが、人間の手が及んでいない『真実の夜』です」


 リーダーの新藤は、高性能なナイトビジョンカメラを三脚に据え、静かに、しかし情熱を込めて語りかけていた。彼らの周囲には、数個の強力なLEDランタンが設置され、青白い光が杉林の深淵を暴力的に暴き出している。その光は、何百年も闇を保ってきた森の秩序を無視し、不自然な影を四方に投げかけていた。


「村人たちは臆病にも家に閉じこもっています。古い因習が、彼らの目を曇らせているんです。でも、僕たちは逃げない。今、森の奥から聞こえるこの音……聞こえますか? ギギッ、ギギッ、という低い音。これは地球の鼓動、森の呼吸なんです。(森喰い)は、僕たちがここにいることを知っている。そして、僕たちが『守り手』であることを理解しようとしているんです」


 実際、音は聞こえていた。だが、それは新藤が言うような鼓動などではなかった。

 それは、巨大な生木が内側から無理やり引きちぎられるような、あるいは乾燥した骨を万力でゆっくりと砕くような、硬質な軋み音だった。その音の間隔は、まるで獲物を追い詰める足音のように、一定の律動を持って村へと近づいていた。


「……ねえ、新藤さん。なんだか、臭くない?」


 仲間のミキが、不安げに口を開いた。。LEDの光の中に、奇妙な霧が立ち込め始めていた。

 それは白い霧ではなく、どこか黄色みがかった、粘り気を感じさせる胞子の塊のような霧だった。同時に、むせ返るような湿った土の匂いと、何かが発酵して腐敗したような、甘ったるく、吐き気を催す死臭が漂い始める。


「野生の匂いだよ、ミキ。都会の排気ガスより、ずっと命の重みを感じるだろう?」


 新藤は笑ったが、その頬は微かに引き攣っていた。ふと、三脚の足元に目を落としたミキが、短く悲鳴を上げた。


「……なに、これ……。動いてる……っ!」


 ライトに照らされた地面。そこには、数分前まではなかったはずの白い繊維が、無数に這い回っていた。それはキノコの菌糸のようにも見えたが、もっと太く、血管のように不気味に脈動している。

 繊維は意思を持っているかのように、新藤たちの靴やテントの支柱に絡みつき、わずかな隙間を見つけては内側へと侵入しようと、音もなくのたうっていた。


「新藤さん、あっち……!」


 仲間のひとりが、恐怖に引き攣った声で村外れの古い納屋を指差した。新藤が反射的にカメラを向けると、数十メートル先の闇の中で、自警団の見張りとして立っていたタカシの持つライトが、激しく上下に揺れているのが見えた。

 静まり返った村に、タカシの悲痛な叫びが響き渡る。


「……誰だ。そこにいるのか! 誰だって聞いてんだろ、獣か!?」


 ライトの光が、納屋の屋根からパラパラと瓦の砕け落ちる様を一瞬だけ捉えた。新藤のカメラがズームを上げる。そこでは、タカシが後ずさりし、何かに足を取られたようによろめいていた。納屋の床板の隙間から、新藤たちの足元を這うものと同じ「白い繊維」が、意思を持つ触手のように溢れ出し、タカシの足首をじわじわと包み込もうとしている。


「ひ、ひいっ……!」


 液晶画面の向こうで、タカシが狂ったように猟銃を振り回すのが見えた。だが、うねる根の塊は銃口を向ける隙すら与えない。床下から溢れ出した無数の細い繊維が、すでに彼の両足を床に縫い付け、自由を奪っていた。


「来るな! 来るなあああ!」


 タカシは震える手で腰の赤い砂の袋を掴もうとした。それは、篝が「自分を囲むように撒け」と説いた守り砂だった。淀みを遠ざける唯一の拒絶の印として、村人たちが命を託したものだ。新藤たちが迷信だと切り捨て、受け取り拒否したその砂こそが、今のタカシにとって唯一の希望だった。


 しかし、タカシの指先がその袋の紐に触れるよりも早く、鎌首をもたげた根の先端が、獲物を狙う蛇のように鋭く震えた。


「なんだよ……。あれ、木なのか!?」


 新藤が震える手でカメラの電子ズームを最大まで引き絞る。液晶画面に映し出されたその根の表面は、ただの樹皮ではなかった。


 ピントが合った瞬間、新藤は胃の底からせり上がる吐気を覚えた。うねる根の表面には、剥がれかけた樹皮に混じって、誰かの剥がれた爪や、血に汚れた獣の毛皮の断片が、まるで最初からそうであったかのようにびっしりと癒着していたのだ。それは森がこれまでに喰らってきた命の残滓(ざんし)を繋ぎ合わせた、あまりに冒涜的な造形だった。

 直後、その根から槍のような速さで棘が射出され、タカシの右腕を深々と貫いた。


「ぎ、ぎゃああああああああああっ!!」


 夜の静寂を粉砕する、絶叫。


 新藤が恐怖でカメラをガタつかせながらも追い続けると、ファインダーの中ではさらなる異常が起きていた。腕を貫いた根が、まるで獲物を仕留めた蜘蛛のようにタカシの胴体へ幾重にも巻き付き、凄まじい力で彼を上方へと引きずり上げたのだ。

 タカシの体は、納屋の梁に叩きつけられ、逃れられぬ獲物として宙に吊るし上げられた。


「……撮れ。撮るんだ。これはチャンスだぞ……」


 新藤は自分に言い聞かせるように、震える声で呟いた。ファインダーに目を押し付け、逃さじと闇を凝視し続ける。だが、レンズを向ける新藤の脚は恐怖でガタガタと震え、一歩も前へは進めなかった。

 納屋の闇の中から、ゆっくりと、その巨躯がせり出してくる。それは、この世の生命系統図を根底から否定する、冒涜的な美しさを持った異形だった。



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