取引
肩まで伸びた髪を真ん中から分けて、片側だけ耳に掛け、指いじりをしている。
動かず下を向くその姿は、長いまつ毛を見せつけているようだった。
室内に入って俺が机の向かいに座っても無反応だった。
だが、自己紹介をすると反応を見せ、首を起こす。
「分かる範囲でいいから、聞かせて欲しい」
白石はじっと俺を見た。
深く窪んだ二重の眠たそうな目を俺に向ける。
焦点が掴めず、何処を見ているのかよく分からない目の動きをしている。
目を合わせないように言われた俺は目線を書類に落とした。
「少し前だが、2月4日の夜」
「僕を…」
白石が話を遮る。
「捕まえた、人ですか?」
「え?、あぁ、そうだ」
白石は光の無い目をしたまま、不気味に口角を上げる。
「名前、なんですか?」
「大澤だ」
「フルネームは」
「大澤 武尊だ、…血、出てるぞ」
白石の指に鮮血が見え、ポケットにあったくしゃくしゃのティッシュを差し出した。
自分で引っ掻いたのだろう、指先は所々皮が剥がれ、赤い真皮が露出している。
爪も噛んでいるのかほとんど指に爪らしい物は無く、へこんだ状態で薄皮が着いているだけだった。
ティッシュを受け取るために伸ばした白石の手は小刻みに震え、手首には隙間なく切り傷が刻まれ、皮膚が波打っている。
精神疾患者に良くある特徴だ。
「さっきの続きだが、2月」
「何歳ですか?」
「…39」
「結婚は」
「してない」
話が進まず苛立ちが声に出てしまい、思わず鏡に視線を送る。
鏡の向こうで部長がヒヤヒヤしているのが目に浮かぶ。
「夜は…」
白石が話し出す。
「眠れないから、お散歩してます」
「繁華街にも良く行っていたんだよな?」
「月を見たり、人を見たり」
「繁華街では何してた?」
「絵を描いたり」
「それは人の絵だよな?」
「人の、絵」
「絵の対象にする人を憎いと思った事はあるか?」
「…」
白石は首を傾げる。
「絵の対象に暴力を振るった事は?」
「…」
「君が描いてるのって女性だよな?何故だ?母親と被るからか?」
白石は一瞬口を開く、が、直ぐに閉じた。
ノックの音が聞こえ、佐伯が顔を覗かせる。
「大澤、ちょっと…」
早速部長のストップが掛かったのだろうか、落ち着いていたつもりだったが、飛ばし過ぎてしまった。
「もう少し」
席を立ち上がろうとすると、白石が声を出す。
「大澤さんと、話します」
予想外な言葉だったが、俺は体勢を戻し、再び椅子に腰掛けた。
それを聞いた佐伯はチラリと鏡を見てそっと扉を閉める。
「何から話そうか、俺は君の絵のことについて知りたい」
「…僕は、大澤さんの事が知りたい」
発言の意図が分からず、眉間に皺が寄る。
「大澤さんが、秘密を話してくれたら、僕も話します」
「秘密?」
白石はゆっくり目を閉じて頷く。
「誰にも言ってない、奥に閉じ込めてる、ような」
「俺が話したら君も誰にも言ってない事を教えてくれるんだな?」
「はい、約束します」
「…」
俺は少し考えた。
半端な答えだと白石は納得しないかもしれない、けど“秘密にしている事”と言われてもパッと浮かばない。
「…ガキの頃、隣の家に住む大学生のお姉さんの部屋を覗きしてた事がある、親にバレてすごく怒られて、菓子折り持って謝りに行って…今でも年上の女性が少し苦手だ」
「…」
白石はリアクションを見せず、自ら公開処刑されにいった俺は貧乏揺すりを始めた。
静か過ぎてスラックスの擦れる音が聞こえる。
「俺は言ったぞ?次は君の番だ」
白石が首を横に振る。
「…初めのキスは汗かき過ぎてキモいって言われた」
「芸能界にスカウトされたって嘘つきまくってた時期がある」
「胸にハート型のホクロがある」
あらゆる恥を晒し白石のリアクションを見るが、俯くとまた指の皮を剥き始めた。
詰んでしまった俺は腕を組み、天を仰ぐ。
「まだ駄目か?てかなんだよ秘密って、今言ったやつの何が駄目なんだ?」
「大澤さんは、良い顔、してるんです」
「顔?」
白石が頷く。
「顔には、過去の経験と今の“その人”が、滲み出ている」
「大澤さんには怒りが滲んでて、針みたいにトゲトゲしてる、けど、その中身は不安定で、張り詰めてて、今にも破裂しそう、で、」
「今にも泣きそうな顔、してる」
そう言われた俺は口から息を吸うも返す言葉が詰まり、白石を見た。
お前に何が分かる
白石に目を向けたまま動かなくなった俺に不穏な空気を感じたのか、再び呼び出しを食らう。
そうして意気揚々と取り掛かった取り調べは、何の収穫もないまま終わった。
その翌日、最悪な知らせを受け取る。
3人目の被害者が見つかったのだ。
人があまり足を踏み入れない山と山の間の、谷間に流れる川に遺棄された死体を、樹木採取に来た業者が発見する。
俺は佐伯と共に現場へ駆け付けた。
落ち葉と小枝だらけの柔らかくて滑りやすい斜面を降ると、現場となった川が流れている。
遺体は死後1ヶ月ほど経過していると見られ、腐敗が進み、野生動物が食い荒らした形跡があった。
鳥にも啄ばまれ、ボロボロだった。
手足が今にも千切れて流れていきそうな程、原型を留めて居ない。
服装は白だったであろうカットソーに黒のプリーツスカートを履いていて、釘もテグスを巻き付けた痕跡もない。
これは白石の初めての殺しだったのだろう。
何も用意していない状態でこの遺体を遺棄したんだ。
そして首には縄が巻き付けられ、近くの木に結んであった。
髪を1つに束ねた女性の死体。
体が、拒絶する。
瞬発的に吐気に襲われ、慌てて現場に背を向ける。
「おい、大丈夫か?」
背後で口にハンカチを当てた佐伯の声が聞こえる。
崩れる斜面を足掻きながらよじ登り、現場から逃げた。
「うおええっ」
ほとんど食べていない体から出てきたのは刺激臭を放つ黄色い液体だけだった。
心音と同調するように体が震え、また雫が鼻先から落ちた。
袖でそれを拭く。
肺も痙攣し、全身が震えている。
“破裂しそう”
白石の言葉が頭を過ぎる。
「チキショー…」
凭れ掛かっていた木に頭を打ち付け、流れる涙を必死に止める。
逃げない。
俺は、逃げない、絶対に。
署に戻ると一目散に取調室へと向かう。
ノックもせず扉を勢いよく開けた。
「おい、大澤、なんだ」
岡田部長が驚きながらも迷惑そうな顔を俺に向ける。
「言うよ、俺の秘密、話してやる」
部長に目もくれず白石に向かってそう言い放つ。
すると白石はゆっくりと顔を上げて目を細め、嬉しそうに俺を見た。




