絵のモデル
「お前なんかに使う税金はねぇからな、とっとと死ねよ」
土砂降りの中、顔を近づけると俺はそう呟いた。
するとそいつは底から這い上がるように体を揺らして笑い出した。
うつ伏せの状態で俺に跨られながら笑っている。
妙に通るその声を聞いて感じた事はただ一つ、
気持ち悪りぃ
—————————
街から逸れ、農地に囲まれた場所にそいつの家はある。
トタンの外壁がサビに侵食された小さな平屋と、竹林を背に雑草が茂る庭には軽バンが停まっている。
草の一部には黒く焼けた跡があった。
「市が管理している借家で、タダ同然で住んでたみたいっす」
目に赤みを残した中山が言う。
備え付けの悪い戸を開けて室内に足を踏み入れると、油とシンナーの匂いが鼻を突いた。
近くにあったスケッチブックを手に取ってみる。
目と鼻の穴を大きく開いて今にも怒鳴ってきそうな女に、目が“死んでる”女の顔などが描かれている。
これは繁華街で見た女達なのだろう。
その他に画用紙やチラシの裏にも何かしら描かれていて、足の踏み場も無いほどに紙と物が散乱している。
絵はほとんどが黒で描かれており、見ていると眉間の皺が深くなるようなおどろおどろしい物ばかりだった。
「家ん中が全体的に黒ずんでますね、カビ?」
「クレヨンか何かの油汚れだ、汚れた手であちこち触ったんだろ」
その黒い油汚れは日当たりが悪く、暗い室内の僅かな光さえ奪っていた。
そして部屋の真ん中に置かれた大きなキャンバスにはオフィーリアへのオマージュ、とでも言うのか…いや、これは被害者の絵だ。
まだ描きかけで色が半分しか塗られていない。
奥の襖を開けると一面にブルーシートが敷かれた部屋があった。
そこには大量のテグスと釘、金槌、ゴム手袋などが無造作に置かれている。
川に横たわる女の顔が頭に浮び、目思わずを逸らす。
———白石淳、32歳、無職。
「…絵の、モデルをして欲しかっただけです」
小首を傾げ、ゆっくりとした喋り方。
子供のようで、女のようでもある。
長髪で色白、細いのに骨感が無いから男か女か一瞬判断を迷う見た目をしている。
「そうか、でも、なんでモデル達は死んでしまったのかな?」
「解放された、表情です」
「解放?」
「オフィーリアは解放されたんです、だから、ダウナー系のお薬が、必要で」
「…そう」
成り立たない会話。
聞いているとイライラしてくる。
「母子家庭で母親はヤクで捕まり、14年前に獄中死しているみたいだ」
隣で佐伯が言う。
俺達は取調室に隣接した部屋でマジックミラー越しに取り調べの様子を見ていた。
「精神障害者手帳所持者、障害者年金と生活保護で生活してたみたいだし、あれじゃあ刑事責任能力無しって判断になるかもな」
「なんっ!…」
思わず大きな声を出しそうになり、慌ててトーンを落とす。
「そんなの絶対にさせねぇ、あいつは冷静で計算高い、あれは演技だ」
白石は証拠をほとんど残さず、ドレスのタグを切るなど特定を阻む小細工をしている。
そして犯行後は被害者の所持品を全て燃やすなど、徹底している。
「専門家達は演技じゃないって言ってるらしいぞ」
「専門家?」
「あいつを診ている精神科医と、役場の保健師だよ、なるべく目を合わせず、否定も肯定もせず、ただ話を聞くだけのスタンスを保つように、じゃないと口を閉ざす、とよ」
「何だそれ、めんどくせぇ奴、岡田部長も良く我慢できるな、俺があんな話し方されたら貧乏揺すりが止まらなくなりそうだ」
「だな、お前には無理だろうな」
佐伯の挑発するような揶揄いに、周りにいた他の奴らがクスクスと笑い出す。
俺はため息を吐いてわざとらしくガムを噛み始めた。
「君の言うその薬は、君が飲ませたの?」
岡田部長がやんわりと聞く。
「欲しいって言うから、あげました、そしたらお酒に混ぜて飲んで、そしたら素敵な表情になって…」
その時の情景を思い出しているのか、白石は目を細める。
「じゃあ、薬は彼女達が自分でお酒に混ぜて飲んだのかな?」
「はい」
「そうか、何ですぐに救急車を呼ばなかったの?」
「解放されて…絵を、描きたくて、女の子は絵のモデルです」
「…そう」
あの野郎、今度は殺意を否定する気か?
刑事責任能力無し、殺意の否定、これをする事で減刑、もしくは最悪無罪になる。
白石の供述に沸々と怒りが湧き、息を荒らした。
ガムを噛む顎に力が入る。
組んでいた腕にも力が入り、シャツが食い込み始める。
映画のスクリーンのように浮かぶ取調室の様子。
長方形の画面に映る白石を睨む。
静かな空間に広がる奴の声が耳障りで仕方がない。
頭に血が登り始め、眉毛が中心に寄りながら下がっていく。
———ガムを噛む口をピタリと止めた。
「どうした?」
「煙草」
そう言うと部屋から外に出た。
気持ちとは裏腹に弱っていく体をコントロール出来ない。
吐気が込み上げる度に悔しさで血管がブチ切れそうになる。
白石は冷静で計画的で、殺意を持って犯行に及んでいる。
無罪にして堪るか。
薬物中毒の女達をスケッチする内に母親への恨みが渦巻き始め、手を出したんだ。
殴るだけでは満足出来なくなり、殺意が芽生えて一線を超えた。
あいつの凶暴性を暴いてみせる。
「大澤さん、めっちゃ顔が怖くなってますよ、スマホがそんなに憎いんすか?」
煙草を咥えながら中山が言う。
「…いや、ちょっと調べ物だ」
夜の繁華街で暴行を受けた被害者が3人以上居るのは確実だ。
SNSなどで被害に関する書き込みがないか、あらゆるワードを入力して検索をしていた。
「クマがやばいっすよ?ちゃんと寝てご飯食べた方がいいっすよ」
「お前は俺の母親か」
「ほら、これ見て癒されて下さい」
中山はスマホを取り出すと寝ている赤ん坊の動画を見せた。
「何だこれ?YouTubeか?」
「え、俺の子っすよ、先週産まれたって言ったじゃないっすか」
「あ、そうだったな、おめでとう」
「もぉ、大澤さん、この事件は注目されているから力が入るのは分かりますけど、程々にしないと」
「ん、大丈夫だ」
俺はスマホを見ながらそう言うと、中山は分厚い雲に覆われた空模様と同調するように、ため息を吐いた。
「…そう言えば白石と俺って同い年なんすけど、小学校が一緒だったみたいっす」
「え?」
「あいつ、小5位の時に学校通い始めて、特別学級で平仮名から習ってたんすよ、同じクラスじゃなかったからすっかり忘れてたけど、母親がネグレクトしてたみたいでいつもボロい服着てて真冬でも薄着だったのを思い出しました」
そう言うと中山は小袋に入ったクッキーを差し出した。
「はい、コレだけでも食べて下さいね」
「おぅ、ありがと、お前はいい父親になるよ」
子は親を選べない、とはよく言うが、親に殴られても殺されかけても真っ当に生きてる奴は大勢いる。
犯罪を犯す理由を育った環境のせいにするのは俺は好かない。
結局はそいつの判断で、そいつの性格が成した事。
それで罪のない人が殺されるのも事実だ。
—————————
「取り調べしたい?無理、ダメ」
「何でですか?」
「お前は短気だし高圧的だからダメ、いっちばん向いてない」
岡田部長に暴行事件に関しての尋問をしたいと申し出たが、門前払いされてしまった。
「俺、子供に話しかけるみたいに接するんで、お願いします」
「ここで黙秘に転じられたら困るんだよ、分かるだろ?」
「分かってますよ、ほら、“良い警官悪い警官”をここで使いましょう、俺も控えめにしますから」
良い警官悪い警官とは自白を促す心理戦略だ。
悪者を作る事で良い警官への信頼が生まれ、心を開くという尋問戦術。
岡田部長は腕を組んで椅子をひねりながら少し考えた後、「駄目だと判断したらすぐ引きづり出すからな」と渋々承諾した。
こうして俺は白石と面談するチャンスを得た。
俺と白石は水と油のように対照的だ。
白石が拒絶するのは目に見えていた。
だが、白石が俺に対する反応は予想外のものだった。




