予感
真っ暗な空間
視界の下には何かが漂っている
海?いや、川、か
夜の水辺って墨汁が流れてるみたいだ
何か白っぽい物が浮かんでいる、布?
布がだんだんと丸みを帯びてくる
あれは人だ
川の上に浮いているんだ
膨らんだ布はスカートのように見え
ゆっくりと流れてきて体の線が現れ始める
いや、流れているのではなく俺の視点が動いているんだ
ピンク、黄色、紫の花が散り散りに漂っていて肘を曲げ、真っ白な手だけを水面から出し
髪がゆらゆらと水中で靡いている
少しづつ視点が上がっていく
…………嫌だ、見たく無い
首元が見え、こちらを向いている顔と目が合った
「——…ぅあぁっ!!」
心臓が一瞬止まり、息も止まり、踠くように飛び起きた。
喉の奥に込み上げるものを感じて急いでトイレに駆け込む。
「うぇっ、」
「…おぉぇっ」
心臓の鼓動が上半身を揺らし、勢いよく流れる血流が耳の裏から聞こえる。
便座に乗せた腕はガタガタ震えていた。
「チキショー…」
悔しさが込み上げ、歯を食いしばる。
鼻の奥が痛み、雫が落ちた。
自分でも分かっていた相当なストレスになっているって事は。
でも俺はこの事件から逃げない、絶対に犯人を捕まえてやる。
絶対に逃げない。
…捕まえたら、重刑に持ち込んでやる、
こめかみに浮かんだ血管を収縮させながら目を見開く。
鼻から大きく息を吐き、立ち上がった。
—————————
背の高い木が生い茂り、陽の光がまばらに降り注ぐ静かな森の中。
そこに流れる小川を俺は見下ろしていた。
死後硬直は顎から始まる、それを調べてきっと顔から手をつけ始めたんだろう。
手芸用の透明なテグスで薄目を開くように瞼が縫い付けられている。
口は半開きを維持するために奥歯に石を噛ませていた事は、後に判明した。
肘と手首、指の関節一つ一つに釘を打ち込み、テグスで補修して程よく曲がった状態を演出している。
遺体が流れてしまわないように川に沈んだ腰部分に紐を通し、近く木の根元に縛って固定していた。
周りに散らされた花の一つ一つもテグスで縛り、位置を調節しながら撒かれ、そのテグスは陽の光を反射して川の中で白い線を描きながらドレスへと向かっている。
水流で形が崩れてしまわないよう、スカートの中には空気で膨らませた長方形のビニール袋を仕込んであった。
なんとも、手の込んだ演出。
これをやったのはとんでもない変態だという事は現場検証した者なら誰もが思っていた。
それなのに世間では“美しき死体”などと表現され、劇場型犯罪を盛り上げている。
何が美しいだ。
体の至る所に釘が打ち込まれ、死んだ後に無理やり瞼を開かれた黒目はあらぬ方向を向いているし、縫われた顔はボコボコしている。
胸糞悪りぃ…
「これで2人目っすね」
隣で中山が言う。
「あぁ、でも今回のは最初の犠牲者より先に殺害されてる」
「そうなんすか?」
「乾燥して黒目が白く濁ってるし、皮膚の色が黒ずんで腐り始めてる、ここは涼しいし水が冷たいから進行は遅いようだが、本来ならもっと臭っててもおかしく無い」
「へぇ…」
中山は手首に着けた数珠を触りながら顔を引き攣らせた。
まともにホトケを見てなかったのだろう。
5日前に発見された犠牲者は死後24時間経っていなかった。
霧雨の降る朝、視界が霞む靄が掛かった森の中で、犬の散歩をしていた女性が見つけている。
雑木林の中を流れる小川で漂う“何か”に気付き最初はマネキンが岩に引っ掛かっていると思い近づくと、ぐりんと上を向いた黒目と目が合ってしまい腰を抜かしたそうだ。
「でもなんで先日のはここより見つかりやすい場所だったんすかね」
「さぁな、見つけて欲しくなったのかもな」
最初に発見された遺体は今回のより生活区域に近い場所だ。
綺麗な状態を見て欲しくてリスクを冒してまで人通りのある場所に遺棄したのだと俺は考えている。
犯人は自分の作品を見て欲しいんだ。
この1週間で発見された2つの遺体には『オフィーリア』という絵画が関係している。
2体ともその絵画と一致しているのだ。
ドレスのデザイン、腕や指の曲がり具合、花の種類と色、全てが、気持ち悪いほどに。
『落穂拾い』で有名なミレーが書いた『オフィーリア』の絵。
これに今日発見されたガイシャと5日前に発見されたガイシャの写真を並べてみる。
写真をじっと見ていると吐き気が込み上げ、目を逸らした。
本当は逸らしたくない、逃げてるみたいだから。
でも職場で吐く訳にはいかない。
悔しさを誤魔化すように大きく息を吐き、ホワイトボードに背を向けた。
「なんだ、その数珠」
「嫁のお母さんがくれたんすよ、危ない仕事だからって」
屋上にある喫煙所に行くと、中山と同期の佐武が煙草を蒸していた。
「おぉ、大澤、お前今回も現場行ったんだろ?」
「あぁ」
「ひどい顔してんなぁ、そんなに悲惨だったのか?」
「いや、別に」
「お前、ここんとこずっと遅くまで残って調べ物してるだろ、少しは休めよ」
「そうっすよ、怖い顔に拍車が掛かってますます婚期が遠のきますよ」
「うるせぇ」
煙草を蒸しながらそんな他愛も無い話をしていると、現実に引き戻された気がして自然と顔が綻ぶ。
「それより聞いたか?ガイシャの体内からフェ…なんとかって合成麻薬が検出されたって、致死量の、しかも経口摂取」
佐武の言葉に体が反応する。
「多分、午後の集まりで周知されると思うけど、やっぱ他殺が濃厚だな」
「それってアメリカでゾンビタバコの原料になってるヤツじゃ無いっすか?少量で死ぬからODによる死亡事故の大半がその、フェンタなんとかってヤツらしいっすよ」
その話を聞いて点と点が繋がったように感じた。
俺が最近調べている女性暴行事件に関しての情報と繋がるからだ。
若い女性が夜の繁華街で通りすがりに男に殴られる事件が半年程で3件発生している。
被害に遭った女性は顎や鼻の骨を折るほど容赦ない暴行を受けている。
そして、共通点が一つある。
それは被害者が皆、ゾンビタバコの中毒者だと言う事だ。
発覚したのは3件のみだが、裏にはもっと被害者が居ると見ている。
こういったケースは大抵、後ろめたさから被害届を出さずにいる場合が多い。
ゾンビタバコは今年に入ってからこの近辺でも存在をチラつかせていたが、おおよその出元は予想がついている。
事件が大きく動く予感を、この時俺は感じていた。
犯人の尻尾を掴んだような感覚を。
そしてこの予感は当たり、俺はこの手で犯人を捕まえるという野望を果たす。
しかし、犯人を捕まえても俺の心は晴れる事はなかった。
更なる葛藤が待ち構えている事を、この時の俺は知る由もなかった。




