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死神とゾンビ

一定のリズムの重低音が鳴りだす。

思わず体を揺らしてしまうような音。


足元から登って来るように音階と音量が上がっていき、達するところまで来ると音がドンと弾け、暗闇を一直線に照らすレーザーライトと共に煽り焦らされた若者たちが歓声を上げて飛び跳ねる。


酒に酔っている者は衝突による痛みも圧迫も不快に思わず、爆音の中、至る所で大口を開けて笑う声が響いていた。


ダンスフロアの外で1人の青年が酔っ払いとぶつかった。


その酔っ払いは上半身を前に倒し、膝を曲げながらおかしなバランスで立っている。

方位磁石の磁針のように頭をプラプラさせ、焦点の合わない濁った目が青年の方を向いた。


「…ゔ、あぁ」

そう声を上げると口からダラリと涎を垂れ流す。

それはまるで()()()のようだった。

青年は思わず一歩引く。


「げ、あいつ、ヤバっ」

「あれはやり過ぎだ」

近くにいたカップルが通り際に嘲笑する。


若者達の間で蔓延っているゾンビタバコの中毒者だと言うのは夜の街に精通している者なら察しがつく事だった。


一見、泥酔者のようにも見えるが、酒の臭いを漂わせておらず顔も赤くなっていない、だけでは無い、明らかに異常で敬遠したくなる雰囲気を醸し出しているのだ。


怪訝な顔をしてその“ゾンビ”から目を逸らすと、青年は耳にイヤホンを装着した。

2階のVIP専用フロアへと続く階段の前の壁に背中を預けるとスマホに目を落とし、ルーティーンのごとく親指を動かし始める。


青年の斜め前のカウンターには飲みかけの酒を傍に顔を伏せて寝る男が居る。


そして、出入り口付近でタバコを蒸しながらスマホをいじる男。


2階には吹き抜けフロアから下のダンスホールに目を配る男。


椅子に座りながら従業員通路に目をやる男。


皆、客に紛れ込んだ捜査員だ。


ゾンビタバコはこの店を中心に出回っている。

主成分である医療用鎮静剤“エトミデート”の規制が強化されると売人達は日本国内で承認済みで欺きやすい“フェンタニル”に手をつけ始めた。


フェンタニルの規制強化も目に見えているが、捜査員達の目的は単に薬物売買の現場を押さえる事ではない。


ある事件の重要参考人を取り押さえる為に来ている。

それは、連続女性遺体遺棄事件、世間では“オフィーリア事件”と呼ばれ連日メディアを賑わせ、世界的に注目されている事件の重要参考人だ。


被害者の体内からは致死量のフェンタニルが検出され、この店を牛耳っている中国系マフィアの下っぱを洗うと1人の怪しい男に辿り着いた。


その男が今夜、溶解されていないフェンタニルの結晶を買いに来る。


約束の時間が近づくと捜査員達の緊張が高まっていく。

四方に目を張りながらも店に溶け込む為に、余裕を醸して自然に見えるよう立ち振る舞っていた。


出入り口付近に立っている捜査員は密封された空気が外に引き出される音がする度に扉に目を向けている。

外の雨の音が聞こえた後、扉が閉まると室内は大音量の音楽が空気を揺らす空間へと変わる。


そのほとんどが体に着いた水滴を払いながら入店する若者ばかりだった。

だが次に訪れた客は捜査員の心臓をドクンと鈍く揺らし、胸を騒つかせた。


黒の雨合羽を着て長靴を履いた客が来店したのだ。

明らかに踊りに来ている様子では無い。


その客はフードから水滴を垂流しながら店内を見回していた。

その動作は落ち着き払い、ゆっくりとしている。


捜査員はスマホに『きた』とだけ打って皆に知らせる。


「確かか?」

下フロアに目配りしていた捜査員が通話状態を維持したスマートウォッチに向かって話しかける。


カッパの男は長靴に水でも溜まっているかのように歩き出した。


「黒のカッパ、長靴、骨格は男」

首を掻く動作をしながら手首を顔に近づけて素早く伝える。


カウンターで寝ている捜査員は薄目を開けて男の姿を捉える。

顔を見ようにも暗い室内ではそれが出来ず、定まらないライトの明かりはフードに影を作りその表情を隠した。

寝ている姿勢を維持したまま、ポールに掛けていた足をそっと降ろし事態に備える。


一歩一歩踏みしめるように歩いていた男は、階段の手摺りに手を掛けるとピタリと動きを止めた。


壁にもたれ掛かっていた捜査員は視線を落としたまま、そっとスマホをポケットにしまう———。




———動きを止めた男はなんの前触れも見せず素早く体の向きを変えた。

足首を捻ると靴底がキュッと床を擦る。


捜査員達は表情を変えて一斉に動き出す。


濡れた足元で男は一瞬バランスを崩すが、すぐに体勢を戻し出口へと向かって行く。


腕を伸ばして扉の前に立つ捜査員、目前にスプレーの噴射口が飛び込んだ。


「ぐあぁっ」

至近距離で催涙スプレーを噴射された捜査員は思わず体を仰け反った。

男はスプレーを噴射しながらそのまま後方に居た2人にも吹き付ける。

付近に居合わせた店の客も煙を吸い込み、咳き込み出す。


「催涙スプレー待ってるぞ、気を付けろ!」


下の様子を見ていた捜査員は外で待機している仲間に伝える。

男は外に出ると、傘を差す人々の間を抜けて走り出した。

そのすぐ後ろには男を掴み損ねた捜査員が追いかける。


「待て!」

雨で視界が遮られる中、カッパを靡かせた亡霊のような男の後ろ姿を追いかけた。


通行人を駒に捜査員の行手を阻みながら男が進む中、倒れた通行人に気遣う事なく水飛沫を散らしながら突っ切る1人の捜査員がいた。


「どけぇっ!」

大衆に向かって叫ぶ。


全身から白い蒸気を立ち登らせ、大きく見開いた目に殺気立つものを感じた人々は道を開ける。


血管の浮いた腕を伸ばし、“捕まえてやる”という気迫を指先まで張り詰めさせる。


力強く伸ばした手は男の首元を掴んだ。


男の体は何かに衝突したかのようにガクンと後ろへ引っ張られ、その場へ倒れた。

すかさずその上に捜査員が覆い被さる。


捜査員は男の耳元に顔を近づけると小さく口を動かした。


そして上半身を起こすと、男の手を掴み手錠を掛ける。

「とりあえず、暴行の現行犯で逮捕する」

そう言いながら流れてくる雨水で目を擦った。

この捜査員はカウンターで寝ていた男だ。


後から追いついた捜査員もスプレーを掛けられた者は上を向き、降り注ぐ雨を顔で受け止めていた。


大人しくしていた男は、フードから露出している口角がニヤリと上がる。


アスファルトの上で腹を振るわせ、肩を揺らし、笑い出した。


雨音と店から漏れている振動のような音楽が聞こえる中、低いとも高いとも捉えられない、不気味な笑い声が響いていた。


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