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トリップ


シェイクスピアの戯曲『ハムレット』の登場人物であるオフィーリアは、悲劇のヒロインだ。


ハムレットとの恋に破れ、愛する父親を殺されたオフィーリアは精神を病んでしまう。

抜け殻のようになってしまった彼女は水辺で花冠を作っていた所、木から落ちて川で溺れてしまうのだが、彼女は運命に抗う事なくゆっくりと川に身を沈めていく。

歌を口ずさみながら。


ミレーの絵はその一瞬を描いている。






そんな悲劇のヒロインにぴったりなモデルを、僕は見つけた。


市街地から少し逸れた場所にある公園で、斜めに差すスポットライトのような街灯の明かりを受けながらベンチに座っていた。


サンダルの外れたストラップをぷらぷらさせながら足首を内側に曲げ、くるぶしが今にもアスファルトに擦りそうになっている。

肩も腕との境が分からなくなるほど力が抜け、曲がり切ったその背中には見覚えがあった。


その姿をコレクションに収めた後、僕は彼女に近付いた。


僕の靴が彼女の視界に入ると彼女は少し首を伸ばす。


何かを期待したかのように顔を上げて僕を見ると、少し落胆を滲ませる。

泣いた後なのか、目の周りには落ちたマスカラの黒い点が広がっていた。


僕はカバンの中のミネラルウォーターを差し出した。

彼女は震える手でそれを受け取る。


顔を上げて水を飲む姿は、スポットライトを浴びた舞台女優のように輝いて見えた。


顔を戻すと、ポロリと涙を流す。

幸福感を求めて吸引したその蒸気は、彼女の苦痛を取り除く事が出来なかったのだろう。


遠い目をしていた彼女は、やがて、背骨が抜かれたかのように力を失っていった。





薬物とお酒の併用は禁忌、薬物中毒者なら周知の範囲だ。

だからお酒は用意しなかった。

けれど、差し出されたミネラルウォーターをすべて飲むとは限らない、だから飲み口にほんの少量のフェンタニルを乗せて、彼女に渡した。


確実に、致死量を口に入れられるように。


しかし、こんなにも簡単に手に入るとは。

上がってしまう頰を僕は抑えられなかった。

舌舐めずりしながら唇を噛んで笑いそうになってしまう衝動を抑える。


名前も知らない、言葉も交わさなかった“誰かさん”を抱えて車に乗せる。

側から見ると酔っ払いの介抱に見えるように。


車を走らせてしばらくすると後部座席の誰かさんは腕と足をピンと張らせて筋硬直を起こし始めた。


「うっ…くっ、…」

苦しそうな声を上げている。


最初の子とは違う反応に、僕はクルマを路肩に停めて観察を始めた。


フラットにした後部座席のシートの上で、彼女は海老のように体を反らせている。

息が苦しいのか口を動かして空気を取り込もうともがいている。

薬の量が多かったのだろうか、ほんの耳かき一杯分程度だったのに。


程なくして彼女は、白目を剥いて体を張らせた状態で動かなくなった。


僕はため息を吐いた。

オフィーリアはそんな表情じゃ無い。




家に着くと、ビニールシートと古い毛布を敷いた部屋に彼女を運んだ。

用意したドレスを着せて、僕の思い描く理想に近づけさせる。


大きく開いた顎を閉じ、奥歯に小石を噛ませる。

そして、針とテグスで瞼を縫い付ける作業に取り掛かった。


表情はとても大事だ、人物画を見る時、人はまず顔から見る。

ここで作品の格が決まる。

だから僕は静かに呼吸をし、全神経を彼女の表情に注いだ。


次は腕と指の関節に釘を打つ作業に取り掛かったのだが、これはとても難しかった。

固定しようがないから、どうしても体が釘から逃げてしまうのだ。

骨を砕きながら釘を打つ作業は僕の手を疲弊させた。

でも、それは苦ではない。

満ちないと思っていた物が満たされると知ったから。

角度に悩み、考えるその時間さえも尊くて、心は浮きそうなほど軽かった。

空腹を満たすように、僕は夢中で創作作業を進めていた。


オフィーリアが完成間近になってくると、僕は毛布を引っ張って彼女を車に乗せて移動した。

事前に調べておいた場所で彼女を降ろし、再び毛布を引っ張って山道を歩く。


今回の場所はそれほど上流ではない。

ハイキングに訪れた人が見つけてくれるような場所にしたんだ。

美しい状態の僕の作品を見て欲しいから。


リスクは高いし、そうじゃなくても現代の捜査技術では逃げきれないと分かっていた。

それでも世に見せたかったんだ。

僕の魂を。


ドレスが破れないように、体を引きずって川の中に入れる。

もう、既に完成したと言ってもいい。

体中の血が沸々と湧き上がる感覚を、川の水の冷たさに神経を向けて落ち着かせ、事前に用意した造花をドレスに結んでいく。


作業が終わると背筋を伸ばした。



僕の足元にオフィーリアがいる。

僕の作った、僕だけのオフィーリア。



これだ、以前感じたこの感覚、いや、それ以上だ。


僕は息が苦しくなるほど心臓を震わせていた。


川のせせらぎだけが聞こえる落ち着き払った静かな世界で、僕だけが熱く滾っていた。


川に手を着けて、女の子の顔に雫を落とした。

取り損なった汚れを流す為に。


空間の景色を歪ませながら自己主張をしている透明な水滴が、女の子の顔に落ちていく。


こんなにも美しく死ねるなんて、この子は幸せだ。


僕は日が登るまでその場に留まり、自分の作り上げた作品の美しさと儚さを胸に染み込ませていた。

時には横に並んで彼女の目線を体感しながら。


もっと作りたい、美しい芸術作品を。

もっと味わいたい、この時間を。



きっと、いつまでも僕を泳がせてはくれないんだろうな。


もう僕の頭の中は既に次の事で頭が一杯なのに。



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