2.祈りの形
「怠惰の……神、ね」
「そうだ、崇め奉れ」
尊大な響きとわざとらしく誇張された名乗り。それなのに、俺は不思議と女の子……もといミサが冗談を言っているとは思わなかった。なんとも言えない感情が、俺の喉の奥を鳴らす。
(まあ……それはそれとして)
「口に胡椒つけたまま言うかね」
「なっ! ……っ、どうだ取れたか?」
顔を少し赤くして口元を拭ぬぐったミサには、さっきまでの尊大さなんて無かった。
「ふふっ、変なやつ」
尊大になったりポンコツになったり落差が激しい。そんなギャップがおかしくなった俺はつい吹き出した。最近ずっと張り詰めていた心が少し緩んだ気がする。
「バカにしよって……さては、我輩が神であることを信じておらぬな?」
「バカにしてねえし、お前が神ってことも信じてるよ」
「どうだか……」
ミサは拗ねてしまったのか、わずかに視線を逸らす。夜風に揺られた白髪が、街灯を反射してきらめいている。
「ていうか、あんなの見せられたら信じるしかないだろ」
俺に対して半信半疑になっているミサは、俺の意見に素直に頷いていた。普通の人間は触るだけでペットボトルのキャップを開けることはできません。ミサが凄腕のマジシャンって線もあるけど、さっきのは俺が買ってきたお茶だからもちろんタネも仕掛けも無いし、人の手はそう簡単に発光なんてしない。
てことはまあ……こいつは神なんだろう。
「……そうか。ならよい」
短く答えるその声は、少しだけ安心したような声色だった。
尊大で我が物顔のくせに、妙に人間くさいところがある。
「なあ、ミサ……でいいんだよな?」
「ふん、特別に敬称を排除してやってるんだ、ありがたく思え」
「へえへえ、ありがとな」
とは言えまだ少し拗ねている様子のミサの機嫌を取るために、形だけでも感謝の言葉を伝えると、
「っ……」
ミサは小さく息を呑んだ。照れを隠すように唇を少し噛む様子は、神というより見た目通りの小さな女の子だった。
(思ってたのとはだいぶ違う反応だな。難しいなこいつ……)
「でー……どうした?」
「いや……やはり良いものだな。感謝されるということは」
ミサはそう言って髪を人差し指でくるくる巻きながら、白い耳を少し赤くしている。
「こんな適当な感謝でも嬉しいものなのか?」
「そりゃ嬉しいぞ。感謝とはそれつまり我輩に対する信仰だ。人々からの信仰を無下にする神はおらん」
「なるほどな……なんか神っぽいな」
「ぽい、ではない。神そのものだ」
「ははっ、ごめんごめん」
俺の軽口に、ミサはニヤリと笑いながら応えた。
さっきからの反応といい、良い意味でミサはどこか人間らしさがある神だ。
「……なあ、ミサ。聞いていいなら、さっき言ってた家が取り壊されたってのは?」
軽い気持ちの問いかけだった。家の話をした時だけ、ミサのあの尊大な態度の裏に何か影が見えた気がしたってだけだ。
「あー……人間どもが都市開発とかなんとか言っておったな。そこからはあっという間だった。鳥居も、祭壇も、社も……全て消えた。あの場にあったもので残っているのは、我輩自身だけだ」
俺の問いかけにミサは、さっきまで俺と談笑していた楽しそうな口調でなく、淡々とした口調で答えた。表情的にはヘラヘラと笑ってはいるが、その水色の瞳は曇っている。
「っ……」
言葉が詰まった。
「その……」
何か励ましの言葉を言おうとしても、付け焼き刃になりそうで何も言えない。ミサに嫌なことを思い出させてしまったという罪悪感が、ゾワッという感覚で襲ってくる。
「……悪い。嫌なこと聞いたな」
やっと口から出た言葉は、なんてことないありきたりな謝罪の言葉だった。
「謝罪などするな。凡人に気遣いをさせるようなものではない。我輩は怠惰の神らしく、だらだらと世の中を放浪しているくらいがちょうどいいのだ」
バツの悪い顔する俺に気を遣ってくれたのか、ミサはそう言って笑った。
「そっか……」
俺は夜風に頬を撫でられながら、迷った末に言葉を続けた。
「なあ、ミサ」
「なんだ?」
「よかったら、うち来るか? そんなに広くはないけど、こんな公園のベンチよりはマシな寝床だと思う」
「ほう、凡人の住処か」
ミサは顎を上げて再び尊大な表情を作る。その目は、ほんの少しだけ晴れやかになった気がする。
「別に無理に来いとは言わないけど……そんな格好で外にいたらいくら神でも風邪引くだろ?」
「……うむ、よかろう。先ほどのような美味い供物が食えるならばそれも悪くない」
「意外とあっさりだな……自分で聞いといてなんだけど、そんなあっさり決めていいのか? 俺が悪い人間って可能性もあるのに」
「細かいことは気にするな、早く案内せい」
ミサのガードの甘さを心配する俺を気にしないような尊大な言葉。その横顔は自分を神だと名乗ったあの時と同じようにイキイキとしていた。
「ははっ、分かったよ」
その横顔に、俺はどこか安心した。
ーーーーーー
夜更けの住宅街は2人で歩くには静かすぎて、俺の靴音と、ミサの下駄の音がやけに大きく聞こえる。
隣を見ると、ミサは浴衣の裾をひらひらと揺らしながら、前方を興味深く見ていた。
「……神からしたら、あーいうのは珍しいのか?」
視線の先には、コンビニの光る看板があった。近づくと、ミサは立ち止まって俺の問いかけに答える。
「これは祈りの形だ。名を呼び、光を灯し、この店を思い出させる。まるで社と同じだ」
「ただの看板がか……?」
「凡人はそう言う。……だが、我輩には見えるのだ」
ミサの瞳が看板に照らされて淡く光っている。青く光る白いまつ毛が、どこかミサの雰囲気を妖艶に変えている。
(これが……神の感性か)
関心していたのも束の間。次の瞬間、ミサは鼻先をコンビニの中のホットスナックに誘われたのか、「むっ」と顔をしかめてコンビニの中に入っていく。
「おい、凡人。供物を我輩に買うのだ」
「お……おう」
その様子は神というより……きまぐれな猫みたいだった。