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10.鋭い後輩

「はぁ……」


 寝不足の状態でパソコンとにらめっこをしていたせいか、視界の端がじんわりと重くて俺は目元を押さえる。正直、午前中は仕事をしたというより、勝手に時間が過ぎていった感じだった。


(やっと昼休みか……)


 昨日は夜ご飯を食べた後、ミサに“2次元とは何か”という哲学みたいな説明を延々と求められて、俺なりの解釈を説明していると、気づいたら空が若干明るくなっていた。

 “空がなぜ青いのか”、そんなことを聞いてくる小さな子供のように、どんな些細なことでもミサは聞き返してきて理解を深めようとした。興味を持ったものに対して熱心になることは良いことだ。……良いことだけど


(流石に2日連続ほぼ徹夜はしんどいな……)


 ずっと元気なミサとは違って、俺の体には確実にガタがきていた。

 ただ……あんなに目をキラキラさせて聞かれると、そろそろ寝ようかなんて言えない。


(ちょっと甘やかしすぎか……?)


「ふわぁ……」


 昨日も床で寝たせいで節々が痛いし、全く寝た気がしない。そりゃあくびぐらい出る。

 椅子の背もたれにもたれかかって大きく伸びをしようとした時、


「ため息の次はあくびですか先輩」


 柔らかい声が背後から聞こえてきた。


「え? ……って、なんだ桜田さんか」


 声の方向へ振り返ると、そこには紙パックのカフェオレを持った桜田さんがいた。相変わらずニコニコしていて、その笑顔に俺の疲れは少しだけほぐれた。


「なんだとはなんですか〜、かわいい後輩がこうして心配してあげてるのに」


 桜田さんは軽口を叩きながら自分の席に座る。俺が昨日のことを思い出してる間に、自動販売機で飲み物を買うとは……桜田さんは仕事だけじゃなくて行動も早い。


「昨日あの後ちゃんと寝たんですか?」


「まあ……4時間くらいは」


「全然寝てないじゃないですか! 何のために定時で帰ったんですか!?」


「そういう日もたまには……」


「ダメですぅ〜。寝不足で仕事するなんて社会人失格ですよ〜?」


「うぐっ……」


 ごもっともすぎて反論できなかった。


「教育係の時は、社会人は寝ることも仕事だからなっ、とか偉そうに言ってたくせに〜」


「俺そんなこと言ってたんだ……」


「言いましたよ。私にそう言ったんだから、ちゃんと寝てください」


 小さい子供を「めっ」と叱るように、桜田さんは俺の鼻先に人差し指でつんっと触れてきた。この歳になって、夜更かしで怒られるとは思わなかった……


「俺も寝れるなら寝たいんだけど……あいつがなぁ」


「あいつ?」


「そうそう、あいつが中々寝かせてくれなくてさ」


「先輩、あいつって誰のことですか?」


「そりゃあいつって言ったら……あっ」


 やらかした。完全にやらかした。


「先輩」


「は、はい」


「なんで目を逸らすんですか?」


 こんなあからさまな失言を桜田さんが見逃すわけもなく、さっきまでの笑顔はどこえやら、桜田さんは疑いの目で俺を見てくる。

 いつものふわふわとした桜田さんの雰囲気はどこにもなく、落ち着いた声で質問されると逆に怖い。


「そ、それは……」


「それは?」


(素直に言うか……? いや、神様と一緒に暮らし始めたとか素直に言ったら、俺が危険な人認定される! どうしたら……)


 桜田さんの眼光にどんどん追い詰められる俺は、頭がこんがらがってきた。


「ね、猫! そう猫! 今、友達から猫預かっててさ。そいつが夜遅くまで暴れて大変なんだよ」


 疲れと動揺で頭が回らない俺には、これが精一杯の言い訳だった。


「へー」


「だから、そのせいで寝不足っていうか……」


「そうなんですね〜」


 ギリギリありそうな言い訳を言えたからか、桜田さんは笑顔で頷いてくれている。良かった、どうやら上手く誤魔化せたようだ。


「でも、先輩に猫ちゃんを預けるなんて、そのお友達さんは中々良い趣味をしてますね」


「良い趣味?」


「だって先輩……この前猫カフェに誘った時に、自分で猫アレルギーって言ってましたよね?」


「……あっ」


 詰んだ。


「…………そーいえば、預かってたの猫じゃなくて犬だったわ」


「その言い訳は無理がありますぅ〜」


「ですよね……」


 一か八か逆転をかけた一手も虚しく、俺の完敗だ。今後、桜田さんには変な嘘をつかないようにしよう……


「はぁ……言いたくないならこれ以上は詮索しませんけど……昨日も言いましたけど、こう見えてちゃんと心配してるんですからね?」


「うっ……」


 年下に心配をかけさせるとは、我ながら情けないな……


「ご飯をご馳走してもらうのは明日にするので、今日はゆっくり休んでください」


 桜田さんは拗ねたようにちょっとだけ口を尖らせながら、昨日と同じようにポケットから小さなキャラメルを取り出した。


「あげます」


「っ……」


 そして、半ば強引に俺の手にキャラメルを握らせてきた。


「それ食べて、お昼からも頑張りましょうね」


「……ありがとう」


「別に……疲れで変なミスされても嫌ですから」


「気をつけます……」


 口に入れたキャラメルは昨日よりちょっとだけ苦い気がした。

 桜田さんの思いやりに応えるためにも、今日こそは安眠を勝ち取らなければ。……ただ、今日は確か昨日頼んだ()()が届くはず。


ーーーーーー




(よし、今日も今日とて我が家は爆発してないな)


 外から見た限り、昨日と同じく我が家は何事もなさそうだった。ミサが変なことをせずに大人しくしていたということだろう。


「ただいま〜」


「おぉ〜! 待っておったぞー!」


 家に入ると、Vtuberの配信画面の前で座り込んでいるミサが迎え入れてくれた。恐らく今日も1日ずっと配信を見ていたんだろう。


「ちゃんと届いたか?」


「うむ! これだろう?」


「あれ、段ボール開けなかったのか?」


 Vtuberの配信を見て目をキラキラさせていたミサが、さらに目をキラキラさせながら指差したのは大きな段ボールだ。

 これこそ、昨日「甘ぞん」で頼んでおいた代物。置き配にしていたおかげでミサが配達員の人と変に会うことも無かっただろうし、荷物の状態は問題ないだろう。


「お前だったら真っ先に段ボールを破いて、中身取り出しそうなのに」


「我輩が変に触って壊れでもしたら大変だからな。貴様が帰ってくるのを待っていたのだ」


「その慎重さが常にあればなあ……」


 そんなたらればを言ってしまうほど、今のミサは驚くほど理性的だった。


「いいから早く開けるぞー!」


「分かった分かった。テンション高いな……まあ、仕方ないか」


 ミサのテンションが高いのも仕方ない。この段ボールの中身こそ……Vtuberに必要な機材なのだから。


「ふふふ、楽しみにしておったのだから仕方ないだろう〜」


 ついさっきまで“観る側”だった神様が、今から“やる側”に回ろうとしている。

 神様という設定のVtuberは聞いたことがあるけど、本物の神様がVtuberになるのは流石に聞いたことがない。


「ついに! 我輩がぶいちゅうばぁに!」


 ……さて。

 桜田さんの言葉に応えるなら、今日こそちゃんと寝たいところだ。


「楽しみだな! 隼人!!」


 だけど、目の前には見たことないくらいキラキラした顔をしているミサと、見たことがない機材たち。


「そ、そうだな……」


 ……今日も今日とてまともに眠らせてもらえる気がしない。

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