第9話・チュートリアルとナビィ
最初に感じたのは、清らかな水の香りだった。
そして、やわらかい風がセレネのことを撫でる。
人々の喧騒が聞こえ始めた時に、セレネはゆっくりと目を開けた。
「……! まるで異世界みたい……!」
セレネの目に入ってきた光景は、想像を遥かに超えたものであった。
上空には青空が広がり、ギラギラと輝く太陽が浮かんでいる。
辺りを見渡せば、人々が街中を歩き回っており、武装した男が仲間らしき女性と共に歩いていたり、ローブを羽織り木製の杖を持った人が、怪しげなお店で物色していたりする。
まさに、異世界の日常のような風景である。
目を見開きながら、セレネは感嘆の声を上げる。
少しの間、そのまま光景を眺めると、ゆっくりと後ろを振り向いた。
そこにあったのは、少し見上げるほどに大きな噴水だった。
頂上から噴き出す水が溢れ、流れを作って下へと落ちてゆく。
セレネはそっと噴水に近付き、腕を伸ばした。
右手が、流れ落ちる水に触れる。
「……冷たい」
水の圧力をしっかりと手のひらに感じながら、そう呟く。
VRの進化に驚いていると、唐突に『ピコン』という音が鳴った。
「……? 何の音?」
唐突に聞こえた音を不思議に思っていると、突然背後に気配が現れたことを感じ取った。
そして、すぐに後ろを振り向いて何かを掴んだ。
「アルカディアへ〜ようこギャー! なになにちょっと離してー!」
セレネが掴んだのは、蝶のような翅が背中から生えた、手乗りサイズの人間だった。
(いや、人間というよりは……妖精?)
そんなことを考えている間も、妖精は手の中で喚いている。
「何でずっと捕まえたままなの〜! 早く離して〜!」
「あ、ごめん」
セレネがパッと手を離すと、解放された妖精はふわりと宙に浮かんだ。
すると、妖精の周りに小さく光る鱗粉のような粒がいくつも飛び交う。
「よーし、それじゃあ改めて。アルカディアへ〜ようこそー! わたしは異邦人さんたちがこの世界で困らないようにお助けする、ナビゲート妖精のナビィだよ♪ よろしくね! 異邦人さんの名前は何ていうの?」
(うわぁ、出たー……しっかりフラグ回収したなー)
「何でそんな不服そうな顔してるの……? いや表情は全く変わってないんだけど……」
「ワタシはセレネ=スノウローズ。別にそんな顔してない……」
返答を聞いたナビィは、頬を膨らませる。
「ふん! もういいもん! ちゃっちゃと教えちゃって、セレネちゃんとはおさらばしてやるんだから!」
ナビィがそう言い終えると、セレネの前に画面が表示される。
そこには、『チュートリアルを開始します』という文章が書かれている。
少しして画面が消えると、ナビィが話し出した。
「それじゃあ始めるね! まずは、メニュー画面を開いてみよう! やり方は簡単、頭の中で『メニュー』と唱えるだけ!」
言われた通りに、セレネは頭の中で唱える。
すると、新たに画面が表示された。
「メニューからは、設定の変更やクエスト一覧、神様からのお知らせやアイテムボックスの中の確認、異邦人だけが使える掲示板に元の世界への転移なんかが出来るよ!」
「なるほど」
ナビィの説明を聞いて、セレネが頷く。
「それじゃあ次は、ステータスについて! ステータスオープ――」
「それはもう知ってる」
「最後まで言わせてよ……! そういえば、セレネちゃんの転移準備は誰が担当したの?」
ふと思いついたかのように、ナビィがセレネに問いかける。
「誰って……名前なんだっけ? 天使だったのは覚えてる」
名前を思い出すのを諦めたセレネがそう答える。
「天使様〜? 不思議だね〜、セレネちゃんは特別なんだ!」
「……特別って?」
「特別はお気に入りってことだよ! それじゃあ、ステータスオープンをしよう!」
「あ、うん……」
ナビィの不思議な返答に困惑しながらも、セレネはステータスを確認する。
「……あれ?」
セレネは、ステータスが少し変化していることに気付いた。
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《ステータス》
ネーム:セレネ=スノウローズ
種族:人間
分類:人類種
性別:女性
状態:――
所持金額:5000G
〈スキル〉
・アイテムボックス
・鑑定
・影魔術初級
・空蹴
・血の渇き
〈アーツ〉
〈スペル〉
○影魔術
ー初級
・シャドウ
〈装備〉
・不思議なワンピース
〈称号〉
・異世界からの来訪
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称号の部分にいつのまにか増えていた、『異世界からの来訪』という文字に、セレネは首を傾げる。
(あ、鑑定すればいいのか)
セレネが頭の中でスキルを唱えると、新たに画面が現れた。
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《鑑定》
称号名:異世界からの来訪
分類:——
等級:——
【獲得条件】
アルカディアに転移する
〈効果〉
特に無し
『アルカディアへ、ようこそ!!』
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(これが称号……実績解除、みたいなものなのかな……)
セレネがそんな風に考えていると、ナビィが目の前を飛び回りながら話しかけてくる。
「どうかしたの? あ、わかった! もしかして、さっきわたしに酷い対応をしたことを反省してるのね!」
「それはない」
「なんで!?」
ナビィが百面相をしているのを横目に、セレネは小さくため息をつき、画面を閉じてからゆっくりと歩き出した。
セレネが町の雰囲気や風景を楽しみながら進んでいくと、後ろからナビィがすっ飛んでくる。
「なーんで置いていったの〜!」
ナビィは手足をバタバタと振り回しながら、怒ったようにそう言い放った。
顔のそばにまで近付いてきたナビィをしっしっと手で払いながら、セレネが答える。
「ワタシは早く剣を振りたいの。今からストリートファイトをしてもいいの?」
「それはダメ!」
「でしょ?」
そう言い終わると、セレネは再び歩き出す。
その後ろをナビィはふらふらと飛びながら着いていった。




