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6.聡明で美人な妻のおかげさま

 

 ゆっくりと春が巡っていく。

 ニーナ嬢に第二妃の話をされたことをすっかり忘れて、クラウディアは楽しく研究を続けていた。

 寒く辛い冬の間に研究者達とああでもないこうでもないと散々研究しつくした、品種改良を試す時期がやってきたのだ。

 春から夏の間に一度生育し、冬が来たら同じ種を植えてその生育の差を観察する予定だ。クラウディアとしては寒い冬がやってくるのは考えただけで憂鬱だが、研究が進むと思えば少しは慰められる。


「というわけで、冬に備えて楽しみを増やしておこうと思って」

「まだ春なのに、今から備えるのか?」

「それほど私にとって、ウィンダムの冬が辛かったという話よ!」

「なんかすまん」


 国王陛下の寝室。

 最近はすっかりクラウディアもラスティンと同じ部屋で寝ている。一日の出来事を話ながらお茶を飲んだり寝酒を飲むのが、二人のルーティーンだ。


「ラスも協力してよ。可愛い妻が冬を楽しく過ごせるように」

「すっかり厚かましくなったな……例えば?」

「そうねぇ……温度が一度下がるたびに、大粒の宝石をひとつプレゼントしてくれる、とか?」

「厚かましいにも程がある」


 研究とビールがあれば十分と言ったクラウディアはどこへ行ってしまったのか。ラスティンが甘やかした結果、すっかりクラウディアは増長してしまった。これは契約結婚継続の危機である。


「まあそれは、検討しておこう」

「冗談だよ? 宝石もらってもどうしようもないからね?」


 冗談を半ば本気で取られて、クラウディアの方が戸惑う。ラスティンはそんな妻を無視して、ベッドが温まっているかを確認した。

 もうすっかり春でウィンダム育ちのラスティンには過ごしやすい気候なのだが、南国テハル出身の妻の為に温石で温めてあるのだ。


「ねぇ、本気にしないでよ?」

「ほら、そろそろ寝るぞ」

「話聞こうよー夫婦不和の始まりよ? 離婚への序曲よ?」

「するのか?」

「しないけど!」


 クラウディアが否定すると、ラスティンは満足げにしていた。話は噛み合っていない。

 こうして冗談を言い合いながら、二人の春の夜は更けていく。


 そんなこんなでそろそろ社交シーズンも終わりに近づいてきた。ウィンダムでは始まった時と同様、最後は王城での舞踏会でシーズンは締めくくられる。

 クラウディアはなんとかウィンダムの社交にも慣れてきて、その軽妙な口調と意外に深い知識とのギャップのおかげで『懐妊しない役立たずの王妃』という悪評も少しずつ回復してきたところである。

 懐妊しないのは事実だが、植物研究の方も成果が出始めてきたのも大きい。


「ラス。どうこれ? 可愛い?」

「ああ。可愛い可愛い」

「いつも相槌が適当!」 


 今夜のクラウディアの装いは、王妃に相応しいものだった。

 彼女が指さす先には、赤金色の髪が高く結い上げられ不揃いの真珠をアシンメトリーに飾ってある。海の傍で育ったクラウディアはウィンダムでの真珠の価値を勘違いしているが、サイズは違うが美しいてりのある整った丸い粒は、大変貴重で高価なものだ。

 明るい青のドレスに、ラスティンの瞳と同じ色の大粒のシトリンの首飾り。それらは全て、健康的なクラウディアの肌の色にとても似合っていた。


「ディアは舞踏会久しぶりだろう? 以前は随分嫌がってたのに、今日は大人しいな」

「お茶会とかで知り合いも増えたし、まあ楽しめそうかな? と思って。知らない人ばっかりだとつまらないし、舞踏会でいきなり友達作るのも身分とか分かってない状態だと難しくて」

「ああ……」


 ぴょん、と椅子から立ち上がったクラウディアを見ながら、ラスティンは曖昧に返事をする。

 確かに、ウィンダムでの知り合いがいないのに突然舞踏会に引っ張り出されてクラウディアも戸惑っていたのだろう。なんでもべらべら喋るのに、そういう不満は言ってくれないのだな、とラスティンは内心で少しだけ拗ねた。

 彼の変化を敏感に感じ取って、クラウディアは夫を見上げる。


「どうしたの?」

「いや、俺はディアのこと何も分かっていなかったな、と」

「ええ? この国で一番私のことを理解してるのはラスなのに?」


 クラウディアは怪訝な表情を浮かべた。急に何を言い出すのだ、この男は。


「そうか?」

「そりゃそうでしょ。え? 何、私に友達が増えたから嫉妬してるの?」

「断じて違う」


 それだけは違うと断言出来るものの、嫉妬という単語にラスティンは首の後ろでチリチリとするものを感じた。しかしこの感情を追求するのは藪蛇な気がして、強引にクラウディアの腕を自分の腕にかけてエスコートの形をとる。

 その腕で、クラウディアは彼の脇腹をうりうりと突いた。


「なんだなんだ、可愛いとこあるのねラス」

「違うと言ったが?」

「はいはい、そういうことにしておいてあげる!」


 今日も国王夫妻はやんややんやと賑やかにお喋りしながら、廊下を進む。付き従う使用人達の視線も相変わらず微笑ましいものだった。


 そうして開幕した、社交シーズン最後の舞踏会。

 ダンスも挨拶も最初の頃に比べて格段に上手になったクラウディアは、全てをスムーズにこなして今は貴族夫人達に囲まれて談笑していた。


「王妃様、素敵なネックレスですね」

「ええ。ラスの瞳と同じ色で、綺麗よね。私も気に入ってるの」

「まぁ。仲がよろしいこと」

「ありがとう、公爵夫人」


 クラウディアは屈託なく笑った。ラスティンと仲がいい、と言われることは素直に嬉しい。

 最初は彼女のことを冷ややかに見て、我が娘を第二妃にと意気込んでいた夫人達だったが、ラスティン陛下が王妃と仲睦まじいのは誰の目から見ても明らかだ。

 そうなれば懐妊するかどうかはひとまず置いておいて、クラウディアと仲良くすることが得策だ、と皆考え始めたのだった。

 勿論そんな思惑はクラウディアにも伝わっていて、現金なものだとは思うものの、ウィンダムで過ごしやすくなるのは大歓迎。ラスティンの言うように、彼の子に王位を世襲させる必要がないのならば、このまま周囲と上手く関係を築けた方が何においても有利である。


「今夜はお話出来て光栄でしたわ。次回は是非当家のお茶会にいらしてくださいませ、王妃様」

「嬉しい。本気にしますからね? 夫人」

「ええ、勿論。さて、そろそろ愛しの王妃様を陛下に返してさしあげなくっちゃ……あら?」


 公爵夫人が周囲を見渡して扇の向こうで首を傾げる。同じようにぐるりと会場を見たクラウディアも夫人が何を不思議に思ったのか察した。

 この会の主催者であり、誰よりも注目されて人の輪の中にいる筈のラスティンの姿がなかったのだ。


「……ラス?」


 クラウディアの声が、初めて不安そうな響きを帯びた。


 その頃ラスティン陛下は、ある臣下との急な話し合いの為に、舞踏会を一時中座していた。指定された小さな応接室に入り、案内してきたメイドが下がる。

 違和感はすぐに感じた。

 応接室と聞いていたのに、そこは寝台の置かれたいわゆる『休憩室』で、扉の外には衛兵と王に付き従ってきた使用人が控えているが部屋の中には誰もいなかったのだ。

 とはいえ、暗殺者が突然襲い掛かってくることもない。ラスティンが油断なく部屋を見渡していると、窓辺のカーテンの後ろから、一人の女性がゆっくりと姿を現した。


「誰だ」

「陛下……」


 彼女はクラウディアに第二妃の話をしてきた、ニーナ・コートル伯爵令嬢だった。彼女は白い頬を更に青褪めさせて、しずしずとラスティンの傍に寄る。

 話合いの相手はコートル伯爵だったが、父ではなく娘が来たらしい。


 ニーナの様子は尋常ではない様子で、ラスティンは表情に出さないままに警戒した。彼女が刃物でも振り回してこれば対応は簡単なのだが、そんなわけはないだろう。

 父親である伯爵が、国王との話し合いの場に自分の娘を一人、部屋に残す意図。残念ながらラスティンはこういった状況に巻き込まれることがよくあった。

 それも、クラウディアという王妃を娶ったからにはなくなるだろう、と思っていたのに。


「陛下……! ずっとお慕いしておりました!」


 そう言った途端、驚いたことにニーナは素早くドレスを脱ぎ出したのだ。


「……何故服を脱ぐ」


 内心ぎょっとしたが、ラスティンは距離を取って冷静に聞く。

 本来淑女のドレスは本人一人で着脱出来るものではないが、堅物のラスティンはそれを知らない。ニーナのドレスは、脱ぎやすいようにわざと細工されているのだ。

 そんな細工を、慎み深い筈の令嬢本人がするとは考えにくい。勿論細工を実行したのは使用人の誰かで、それを命じたのはニーナの父だろう。

 娘に夫でもない男の前でドレスを脱げと指示するなど、コートル伯爵は想像を絶する卑劣な男である。


「お、お、お願いです……一晩の情けでもよいのです!」

「随分体を張っているな……」


 青褪めたニーナはドレスをはだけた姿のまま、ジリジリとラスティンに近づいてくる。駆け寄ってこないのは、まだ彼女の中に恥じらいがあるからだろう、当然だ。

 ラスティンがすぐ後ろの扉を開け廊下に飛び出して衛兵を呼べば、事を公にすることは容易い。しかしそうなれば、この青褪めた半裸の娘は人々の好奇の視線に晒されてしまう。なんだか、それはあまりにも哀れだった。

 何事も合理的に考えるラスティンにしては、その考えは珍しい。


「……ディアのお人好しがうつったか」


 四六時中一緒にいる妃の影響で、こんなことを考えるようになったんだな、と自覚すると少し可笑しかった。だが笑っている場合ではない。


 ジリジリと近づいてくるニーナをまずは気絶させるか、とラスティンが判断したその時、バーンッ! と扉が開いてクラウディアが部屋に飛び込んできたのだ。

 彼女はラスティンとニーナの姿を確認して、またドーンッと扉を閉める。今夜の彼女には勢いとキレがあった。


「ディア」


 彼女の突然の登場に、元々中にいた二人が目を丸くする。と、クラウディアは素早くベッドからシーツを剥ぎ取り、ポカンとしているニーナの体をシュルシュルとあっという間に覆い隠した。


「王妃様!?」

「はいはい、お嬢さんはシーツぐるぐる巻きの刑ね! あなたのお父様には既婚者である王様を誑かす、ハニトラを仕掛けた国家反逆罪を適用してあげる!」


 びし! とニーナに指を突きつけて、クラウディアは大声で宣言した。

 彼女が扉を開けると、こちらも既に縛り上げられたコートル伯爵が衛兵に引き摺られるようにして登場する。


「お父様……」

「ニーナ! これはお前が独断でやったことだな! そうだな!! そうだと言え!」


 伯爵は縛られた状態で娘に向かってそう恫喝した。その大声にクラウディアは驚いて、思わず伯爵の膝裏を蹴って彼を跪かせる。


「ぎゃん!」

「近くで大声出さないでよ。びっくりするじゃない」

「王妃様! 何故私をこんな目に! いくらあなたといえど、許されることではありませんぞ!」

「お黙り、ゲス野郎。陛下に応接室と称して休憩室に連れ込み、娘にスキャンダルを起こさせてそこに踏み込むつもりだったくせに。やることがダサいのよ」


 以前お茶会の後にやってきたニーナの挙動も発言もおかしかったので、クラウディアはずっとコートル伯爵家をマークしていたのだ。ちなみに挙動が怪しかったのが気になっただけで、第二妃の話をされたことは割と真剣に忘れていた。

 そうして見張っていれば、案の定伯爵はラスティンに舞踏会の途中で会談の時間をもらい、しかし用意された部屋には伯爵自身は向かわなかった。代わりに、部屋にはニーナが入って行ったと聞いて、クラウディアにはゲスな全容が簡単に読めた。


「娘を囮にするなんて、よくそんなバカなこと考えつくわね。そのデカい頭にはおが屑が詰まってるの?」


 クラウディアは心底軽蔑した目で伯爵を見下ろし、吐き捨てる。


「ニーナ! 王妃様に分かるように、本当のことを言え!」


 はっきりとした証拠のない今なら言い逃れが出来る、とばかりにコートナー伯爵がニーナに向かって怒鳴る。父にそう言われた彼女は、可哀想に竦み上がった。

 青褪めきって、紙のように顔色を白くさせたままニーナは恐る恐る口を開く。


「そ、そうです、王妃様、こ、これは、私が陛下を思うばかり自発的に……」

「はいはい、そう言えって言われたんでしょ? いくら恋に酔ってる年頃の娘でも、だからこそ思い人の前で下着まで脱ごうとはしないわよ。いいこと? あんたのオヤジはクズなの。娘にハニトラさせようなんて、万が一神が許しても私が許さないわよ!」


 クラウディアがはっきりと断言すると、ニーナは文字通り糸の切れた操り人形のようにヘタリ、と床に座り込んだ。それから、憑き物が落ちたかのようにボソボソと喋り出す。


「……王妃様の仰る通りです。……陛下を誘惑して、既成事実を作れと命じられました……失敗しても、ドレスを脱いでいる私と二人きりだった姿を目撃されれば、事実がどうあれ陛下のスキャンダルになるだろう、と言われて……」

「ニーナ! この馬鹿者が!」

「もう無理です! お父様!」


 伯爵の怒鳴り声に被せるようにして、ニーナの悲痛な声が重なる。

 こんな杜撰な計画を立てたのだ、伯爵家にはラスティンを失脚させようとした証拠が山ほどあるだろう。


「連れて行って、みっちり調べてちょうだい。あと娘には絶対に女性の調べ人を付けること」


 クラウディアが衛兵たちに命じると、彼等は敬礼して伯爵親子を連れて部屋を出て行った。

 電光石火の、一件落着である。


「見事な差配だな」


 そこで、一部始終を見ていたラスティンが感心して声をかけた。ギロリとクラウディアは彼を睨む。


「呑気な男ね! 聡明な美人妻が来なかったらハニトラが事実にされてたわよ」


 特にラスティンは去年、貿易友好国であるテハルの王女、つまりクラウディアを娶ったばかりだ。

 だというのに一年でもう浮気をしていた、となれば随分と外聞が悪い。テハルからも苦情がきて、国際問題に発展する可能性だってある。

 しかし彼は本当に、切羽詰まった様子がない。


「ああ、呑気だ。俺には聡明な美人妻がいるからな」


 そして逆にそう言われて、一瞬クラウディアは面食らう。すぐにいつものように利用されたのだと理解して、不機嫌に唇を尖らせた。


「人のこと露払いか何かだと思ってる?」

「まさか。得難い存在だと思っている」

「感謝は言葉だけじゃなく、行動でも表して欲しいわ」


 ヒラヒラと手を振って、クラウディアは褒美を催促する。実際何か求めているわけではないが、この男にいいように利用されるだけなのは、癪に触るのだ。

 ラスティンはしばらく悩むポーズをした後、まるで国家機密を打ち明けるかのように真剣な表情で、そっとクラウディアに顔を近づけた。


「実は祖母秘伝のグリューワインのレシピがある」

「その話、詳しく」

「俺が言うのもなんだが、単純すぎて心配になるなお前……」


 大活躍の後であっても、クラウディアはクラウディアだった。


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