5.恋?のライバル?現る?
そして春も深まる、ウィンダム。
本日クラウディアは、彼女にとってもっとも面倒くさい女性同士の社交である、王妃のお茶会を開いていた。
たまには開催しておかないと、王妃の威厳が損なわれるだのなんだのと口を酸っぱくして周囲に言われた所為だ。これも契約結婚の契約内容に含まれている、とトドメにラスティンに言われてしまえば従わざるをえない。
テハルで母や姉王女達が開催していたのはもっと砕けた会だったが、ウィンダムのお茶会はなんだか歯にものでも詰まっているかのような言い方をする貴婦人が多く、クラウディアの顔は作り笑いの所為で筋肉痛だ。
それでもなんとかかんとか無事に終了し、出席者達が帰るのを見送り、庭園のガゼボで一人休憩をしていた。
「はぁ……疲れた。ラスからのご褒美がなくちゃ、やってられないわ」
そのぼやきに、丁度傍でお茶を入れていたメイドが顔を赤らめた。かちゃん、と茶器が音をたてたので、クラウディアはそちらに視線をやる。
陶磁器が音がたてるのは普通のことだが、万事完璧な使用人達なので珍しかったのだ。
「ん? どうしたの?」
「い、いえ、申し訳ありません、王妃様……陛下と、本当に仲がよろしいのですね」
「うん? 仲は悪くないわね?」
クラウディアは首を傾げつつ、淹れてもらったばかりのお茶を飲む。お茶会では何を飲んでも食べても味がしなかったし、常に周囲に気を配っていたので喉はカラカラだ。
ちなみにラスティンからのご褒美は、春も来たことだし、と今夜城下のいつもの居酒屋へ連れて行ってもらう約束である。久しぶりの外飲みに浮かれる彼女に、メイドの恥じらいは理解出来ない。
と、そこへ帰った筈の令嬢が一人やってきて、クラウディアは目を瞬いた。迷子だろうか。
年はクラウディアより少し下、金髪に青い瞳の美しい令嬢だ。彼女はこちらまでやってくると、カーテシーをした。
「クラウディア王妃殿下、本日のお茶会に招待していただいてありがとうございました。私は、コートル伯爵家のニーナと申します」
「こちらこそ来て下さってありがとう、ニーナ嬢。それで……お帰りになったと思っていたんだけど?」
不思議に思って訊ねると、ニーナはずい、と更に近づいてきた。頬はピンク色に染まり、瞳は潤んでいる。見る人によっては庇護欲を誘う甘美な様子なのだろうけれど、クタクタで今夜の予定だけを支えに今日を乗り切ったクラウディアにはニーナは自分の魅力が通用しない。ニーナはそのことに一瞬怯んだが、気を取り直して言葉を紡ぐ。
「実は……おりいって、妃殿下にお願いがあって参りました」
「うーん。そういうのは取次を通してくれる? 私が直接陳情を聞くわけにはいかないのよね」
ゆるゆるライフを送っているが、クラウディアはこれでも大国ウィンダムの王妃。
一人一人の話を直接聞いてやるわけにはいかないし、独断で返事をするわけにもいかない。王妃としての立場は、公的な存在なのだ。
しかしニーナはそれを無視して話を続ける。
「王妃殿下、お願いです。どうか、陛下に第二妃が必要だと言ってください」
「んんん?」
思ってもみないことを言われて、さすがにクラウディアは目を丸くした。
勿論王妃としてそう言った声が上がっているのは知っていたが、まさか王妃であるクラウディア本人に直接言ってくる馬鹿がいるなんて誰が想像しただろう。
周囲の側近達も警戒を強めたのが分かり、クラウディアはわざと明るく軽妙に返した。
「うーーーーーん。ラスは私のことが大好きだから、他に奥さんはいらないって言うのよねー」
「そんな……いくら愛し合っておられても、結婚して一年経つのにまだ懐妊の兆しもありませんでしょう? 陛下の御世を盤石にする為にお世継ぎの誕生は急務ですわ」
ニーナの言い方に、護衛が動き出す。明らかに余計な干渉であり、王妃に対する不敬でもあった。
しかし、クラウディアとラスティンの結婚は両者の利害が一致した契約結婚。外から見れば懐妊しない妃以外の女を王に宛がいたい気持ちも、元『テハルの王女』として理解は出来る。
そして二人の間に子を授からない所為で、この件に干渉したニーナが牢屋行きになっては気分が悪い。
大前提として不敬ではあるが探られて痛い腹を持つ身では、ニーナがただ愚かであるというだけで命を散らすのは、さすがに可哀想だ。
「えーと、選挙制だからラスは子供いなくていいって言ってたけど?」
「それは懐妊なさらない王妃様への気遣いの言葉ですわ! 優秀な国王に世継ぎが生まれるのは、他国同様に歓迎されることです。二世が後を継ぎ選挙で当選なさることだって多いんですのよ? ラスティン陛下は驚異の支持率を誇ります、そのお子様とあれば皆歓迎しますわ」
「うーーーーん。そっかぁ……」
思った以上にニーナは強情で、クラウディアは、早々に面倒になってきた。
しかも、ニーナの言ってることはウィンダムの政治にとって正しいことかもしれないが、それを当事者であるクラウディア本人に告げてくるのは酷い行いだ。
契約結婚ゆえにクラウディアは傷つきはしないが、もしも彼女が必死に王妃を務めている真面目な女だったならば泣き喚いてニーナを引っ叩いても許されるぐらいのシーンではないだろうか?
今から引っぱたいた方が、いっそリアリティが出るだろうか?
「……ま、とにかく。最初に言った通り、陳情なら然るべき手段をとって行って頂戴。今日ここで聞いたことは忘れてあげる。いいこと? 今日だけよ」
これ以上付き合ってられないと判断し、にっこり笑ってクラウディアはそう言うと、まだ大袈裟に訴えるニーナを放置してさっさとガゼボを後にした。
その夜。
約束通りいつもの居酒屋に連れてきてもらったクラウディアは、昼間の出来事をラスティンに報告した。側近達からも話が上がっているとは思うが、一応王妃としての義務だ。
それが済むと、仕事は終わったとばかりに分厚いガラス製のジョッキになみなみと注がれたビールを見て感嘆する。
「ああ……久しぶりねビール……! 会いたかったわ。……でも私はもうお前以外の酒を知ってしまった……! 浮気者の私をどうか許して……!」
「またなんか馬鹿なことを言ってるな……」
ビールジョッキに話しかける奇妙な妻を肴に、ラスティンは相変わらずウイスキーのグラスを揺らしている。こうなると、彼の方がお酒に対して一途なのではないだろうか、とクラウディアは考えた。
夫のいう通り、馬鹿なことを考えている呑気な妻である。
「お待たせしました!」
「わぁ! ありがとう!」
注文していた料理もどんどんテーブルに届き、歓声をあげてクラウディアはカトラリーを構えた。
白身魚のフライ、ネギと鶏肉の甘辛炒め、芋とチーズのクリームソース、ごろごろ野菜のグリル。さっそく野菜にフォークを突き刺して、上機嫌のクラウディアはまずラスティンの口元にあてがった。
「熱いかも」
「ん。熱い」
「よし、私は半分に割って様子を見てから食べるわね」
「俺に対しても、まずそうすべきでは?」
クラウディアは笑って誤魔化すと、丁度よく冷めた野菜を頬ばった。オーブンに入れる前に振られた、塩と香辛料だけの味付けがシンプルに美味しい。
せっかくなので、提供された温かい料理は温かいままに食べたい。話は中断して、二人は仲良く料理をシェアして食べる。
「……で、その女は政敵の娘だ。コートル伯爵が俺に娘を嫁がせてもいいことはない筈だが……スキャンダルでも狙っているのだろう」
「命ではなくゴシップを狙われるなんて、舞台俳優みたい! 我が夫ながらやるじゃない」
「お前楽しそうだな……」
バンバンとラスティンの背中を叩いて、クラウディアはご機嫌でビールのジョッキを空にする。店員におかわりを注文して、それからふと夫の顔をまじまじと見た。
「あ、でも第二妃欲しい? 私との結婚は契約だしテハルとの約束なだけだし、ラスが二人目の奥さん必要なら気にせずお迎えしちゃってね」
「いらん。ディアがいれば十分だ」
心底面倒くさそうにラスティンは返事をする。そもそもクラウディアすら娶ることを最初に断った彼だ、第二妃を欲しがるわけがなかった。
分かっていた筈だが、彼の返事にちょっとだけクラウディアの気分が上がる。どうやら第二妃が欲しいと言われたら、ショックを受けるところだったらしい。
「あらぁ、嬉しいこと言ってくれるわね。私もラスと結婚出来て幸せ」
「そうか?」
「うん。自由に研究出来るし、まぁ公務と社交は面倒だけど、代わりにこんな風にお店に連れてきてくれるし。私、結構あんたのこと好きだわ」
「俺もディアのことは結構好んでいる。料理の好みも合うし」
「わかる。そこ大事よね」
そこに店員がおかわりを運んできてくれて、クラウディアはジョッキのフチに口を付けた。
春来たれり、ビールが美味い。すなわち彼女はご機嫌である。しかしもう、去年までの彼女ではないのだ。
「ま、その話はそっちで適当に処理しといて。ねぇーそれよりこの東国のお酒。湯煎して飲むと体がポッカポカになるらしいんだけど、一口乗らない?」
春が来たとはいえ、夜はまだ肌寒い。
この時期にぴったりの酒を選ぶことも、飲み会の趣向と言えるだろう。濁りのない醸造酒を湯で温める飲み方は、鍋に火をかけるグリューワインとどう趣が違うのかクラウディアは興味津々だ。勘違いしてくれるな、知的好奇心である。
「……お前はいつも自由だな」
「自由を認めてくれる旦那様あってこそよ」
「まぁ、楽しそうならよかった」
「あ、ねぇねぇ、あとこのオデンってやつ頼んでいい?」
「自由すぎる」
契約結婚をして一年。なんだかんだと二人の仲は良好だった。