4.たまには王妃業も、ちゃんとやってる
しんしんと雪が積もり、冬本番のウィンダム。
テハル育ちのクラウディアからすると奇妙に見えた建築様式も、要所要所で積雪対策なのだと良く分かる造りになっていた。
ラスティンをせっついて王室御用達コンペティションを最速で収束してもらい、温かくサイズもぴったりのコートを手に入れたクラウディアは、ようやくウィンダムでの冬支度が整った。
活動出来るようになった彼女は、もう一時期のようにじっとはしていない。さっそくウィンダム特有の環境の中で研究を再開した。
当然のことだが、彼女が南国から持ち込んだ植物も彼女同様に寒さに弱い。こう寒くては育つものも育たないのが道理だ。それこそが、研究の醍醐味である。
冬に強い品種を作るべく、クラウディアは技術者達と研究棟に籠りっぱなしになり、あまりに遅いと国王陛下自ら王妃を迎えにやってくる、という日もしばしばあった。
「寒い寒い寒い。明日の朝起きれないかもしれない!」
「物騒なことを言うな。ちゃんと対策してやってるだろ」
コートという新装備を得たからといって、クラウディアが寒さに強くなったわけではない。部屋の中では今まで通りミノムシ状態だった。赤金色の髪を巻き込んで、首元にはショールも巻かれている。
ソファの上で膝を抱えるクラウディアに、ラスティンは呆れながらもう一枚膝掛けをかけてやった。ウィンダム的には今年は暖冬なのだ。
「こら、ラス! 物騒なこと言ってるのはどっちよ! 寒くてベッドから出たくないかもって意味よ! 勝手に殺すな!」
「今のはディアの言い方が悪いと思うが?」
ラスティンから教えてもらったグリューワインは最近のクラウディアのお気に入りで、ほかほかぽってりとしたマグカップを両手で持つ姿はリスのようだ。
街に雪が積もり始めてさすがに下街の居酒屋に出掛けるのは控えるようになったが、相変わらず二人での晩酌は習慣づいていた。そして、気がつけば二人で夕食を摂った後に眠るまで酒を片手にお喋りをする夜が増えた。
これではまるで、仲睦まじい夫婦のようだ。とは、二人は気づいていない。
「この……蝋燭でポットを温めてチーズを溶かしておく仕組みを考えた人には、勲章をあげましょう……!」
「まったく薄情なことだ」
ため息をつくラスティンの横で、クラウディアはチーズフォンデュのポットに向けて惜しみない称賛を送っている。寒がりの妻の為に、温かいツマミをあれこれと厨房にリクエストしている夫には、見向きもしないのだ。
「ラス、もうちょっとこっちに寄って! 寒い!」
「別に互いの間に隙間があっても、室温は変わらないだろう」
彼がわざと冷たく言うと、クラウディアは頬を膨らませてずりずりとソファの上を移動してきた。そしてラスティンの膝に座って、そこで再び自分の膝を抱えて丸くなる。
「おい、さすがに邪魔なんだが?」
「えぇー何これ、筋肉のある膝って座り心地わっる!」
「勝手に座っておいて、言うことがそれか? 降りろ」
「やだー! ソファよりは暖かさがまし!」
ラスティンが彼女を抱えて下ろそうとすると、クラウディアはガシッと抱きついてきた。もうまさに密着、という様相で、さすがのラスティンも膝から下ろすことが出来ない。
「俺で暖を取るな」
「凍える妻になんて冷たい仕打ち! 家庭不和よ! 離婚よ!」
「するか?」
「しないけど!」
ぎゅうぎゅうと抱きついた状態のままクラウディアが叫ぶので、ラスティンの耳をつんざく。やがて彼は観念した。
「わかった。このままでいいから、少し位置を調整しろ、骨の上に座るな痛い重い」
「婦女子に向かって重いとは何事! 羽根のように軽いとおっしゃい!」
「うん、もうめんどくさいなお前……」
呆れ果てたラスティンがくったりとクラウディアにもたれ掛かる。
ラスティンは長身だし体は重いが、くっつくと意外なほど温かくてクラウディアは嬉しくなって自分からもますます抱きつくのだった。
口調も砕けたものになっているし、いつしか二人は互いを愛称で呼ぶようになっている。
「あ、ねぇ、ラス。ワインのマグ取って」
「さすがに調子に乗りすぎだろ」
そんな風に、クラウディアの初めてのウィンダムでの冬は過ぎていった。
そして彼女にとって長く苦しい戦いの末に、ようやく雪解けがやってきて待望の春到来。それすなわち、テハルでもウィンダムでも同様に社交シーズンの開幕である。
去年の春にクラウディアはウィンダムにやってきたのだが、結婚式だのなんだのと忙しかった為、社交は免除されていたのだ。しかし今年はそうはいかない。
「社交に付き合うのは契約事項になかったぁぁぁ」
メイド達の手によってめかしこまれたクラウディアだが、相変わらず野生の猫のように体を丸めて抗議の声を上げている。
やっていることは完全に子供がむずがっているだけなのだが、ウィンダムの装束を纏っていても彼女が敏捷かつ柔らかく動けることが、ラスティンとしては驚きだった。
「王妃になったからには、避けて通れるわけがなかろう。最初から織り込み済の事項に関してはわざわざ明記していない」
「文化の違う国から嫁いできた美人妻に、冷たい仕打ち!」
「全部自分で言うんだな……」
「そうやってはるばる嫁いできた美人妻が、社交界でネチネチ虐められるのを放っておくのね! 何って冷たい夫なの! そんな鬼畜だと思わなかったわ、いいごシュミですこと!」
「言いたい放題だな……しかし、イチイチ美人妻と己を称する余裕はあるのか」
元気な証拠なので好き勝手に言わせておこう、とラスティンは自分の支度を優先する。冬の大人しいクラウディアは比較的静かでよかったが、元気に好き勝手言っている方が彼女らしくて更に好ましい。
ギリギリまで仕事をしていたので、女性のクラウディアよりも彼の支度の方が遅れていたのだ。
春が来たということは、クラウディアがラスティンと結婚して一年が経つということだ。
未だ懐妊しない、南国からきた王妃。
クラウディアは王城のあちこちでヒソヒソと悪口を言われ、女性達はあからさまにラスティンの第二妃の座を狙っている。それが社交シーズンになれば顕著になってきた。
それを敏感に察したクラウディアは、面倒くさいので社交界に出るのを渋っているのだ。やはり、子供がむずがっているのと大差ない。
「国王主催の舞踏会だぞ? 王妃が欠席すれば、それこそ何を言われるものか」
「ええええええんんん。嫌だー屠殺場に向かう豚の気分!」
「相変わらず例えが物騒な。……ではなく、ええと、ヨシヨシ、複雑だな」
「なんて適当な相槌……」
支度の整ったラスティンに背中を押されて、クラウディアは廊下へと連れ出される。重い足取りなのに、ぐいぐいと彼が腕を引っ張ってくるので進まざるをえない。
助けを求めるように視線を巡らせたが、この一年で周囲の側近たちは賑やかな国王夫妻に慣れきっていて、今日も二人は仲良しだなぁ、という優しい眼差しを向けてくるだけだ。
死刑場に連行されるクラウディアの気持ちを分かってくれる者は、誰一人いなかった。
「うう、ひどい。遠い国へ嫁いできた花嫁に心寄り添ってくれる人がいないなんて、私ほど冷遇されてる妃もおるまいて……」
「好きなだけ飲み食いして、最近では人のベッドで我が物顔で寝ている癖に……」
「だって一人で寝ると寒い……明け方が寒い……」
「淑女の矜持はどこ行った」
「嫁入り前の令嬢ならいざ知らず、妻が夫のベッドで寝て咎められる謂れはないわ!」
「ヨシヨシ、元気だな。会場でもその意気だ」
「ハッ! 騙された……」
なんと、クラウディアが大袈裟に慄いている内に舞踏会会場にたどり着いてしまったのだ。
その後は、あれよあれよと仲睦まじい国王夫妻として舞踏会の主催を演じることになる。会が始まり、ファーストダンスをラスティンのエスコートで踊ると、次には挨拶の洪水がやってくる。
どれほど美味しい料理と美酒が用意されていようと心から味わうことも出来ず、勿論酔うことも許されず、クラウディアにとっては苦痛の時間が延々続いた。
勿論その間にもチクチクと刺さる視線に、聞こえよがしの非難の声。
憎たらしいことに、ラスティンには聞こえないようにクラウディアにだけ聞こえるように言ってくるものだから、その技術はどこか別のところで有効活用してほしいものである。
いい加減鬱屈としたクラウディアは、ちょうど気難しいと有名な大臣が挨拶にやってきた時に、彼に向けてグラスを掲げた。
「まぁ、大臣、ごきげんよう。先日の東の国との交易の件はとても見事でしたわ。他国から嫁いできた身としてもウィンダムの政治を担う方々の聡明さは目を見張るものがあります」
「これはこれは……妃殿下にお褒めいただけるとは光栄です。東の国との交易にご興味が?」
「ええ。特に貴殿が進めておられる共同プロジェクトについて詳しく知りたくて……」
そうしてラスティンに話すが如くスラスラペラペラと喋るが、今のクラウディアは口調も内容もいっぱしの政治家のそれだ。横に立ったまま、ラスティンは驚いて静かに目を丸くした。
それはクラウディアを侮っていた周囲も同じだったらしく、密やかにざわめきが起こる。
一頻りお喋りをして鬱屈を晴らしたクラウディアは、晴れやかな笑顔を浮かべて大臣に別れを告げて、ラスティンをダンスに誘った。
二人はホールに出て踊り出す。本日、二曲目だ。
「…………意外だな。政治、出来るのか」
「ちょっっっと齧っただけ! うち姉妹が多いからウィンダムじゃなくてもどっかの国に嫁ぐ可能性高かったから、世界情勢を把握しとくのは癖なの」
くるりと華麗にターンして、クラウディアは快活に笑った。
二曲も踊れば王妃はお役御免だろう。料理と酒を部屋に運ぶようにお願いして、一足お先に退散するつもりだった。
しかしラスティンはまだ彼女を離してくれない。
「他の王女もそうなのか?」
「ええ? そんなわけないでしょ。妹は旦那様に愛されてチヤホヤされて後宮で暮らすのが夢よ」
「なんで姉妹でそこまで違う……」
「個性個性」
慄くラスティンを、クラウディアは笑い飛ばす。実際テハルの王族の中でも、研究が好きで夫を必要としていないクラウディアは変わり者ではあった。
わざわざそれをラスティンに告げるつもりはないが、自分達は結構上手くやっている、と思っている。
そう、わざわざ告げはしなかったのに、しかしラスティンはクラウディアを見て機嫌が良さげに唇を吊り上げた。
「では俺は当たりを引いたな」
「違うわよ。私が当たりを引かせてあげたの」
「違いない」
なかなか、自分達は良好な関係を結んでいる。これは、双方同じ考えだった。