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2.心霊治療師の気まぐれボランティア

2.


 事務所を後にするのはだいたい午後三時ごろになる。出勤履歴もなければ退勤履歴もないので、帰る時間は気分で決めていた。その時間が三時なのだ。

 これは狙っているわけではなく、たまたま帰りたくなって時計を見ると、その時間を示していることが多いだけだった。つまり偶然で、こうもそれが続くのは、多分小腹が空くからだろうと思う。

 僕は身の回りを片付け「僕は、この辺で」と一言伝える。「おう」と返ってきたので、事務所を出ようとした。その際に愛染さんの厚底サンダルが目に付いた。来たときに揃えたはずのサンダルが散らかっていたのだ。

「愛染さん、言いましたよね」

 僕は聞こえるように大声を出す。

「なんの話だ?」張り上げた声が返ってきた。

「靴は揃えてください」

「ああ。揃えておいてくれ」

 そう言われたので仕方なくサンダルを揃えることにした。

 このやりとりも何度目だろう。来客があったときに印象が悪いからと揃えるように言うのだけれど、やはりこれも聞いた試しがない。どうも愛染さんには無意味なことはしないという傾向があるようなのだ。こうして靴を揃える度に、自分が神経質すぎるのだろうかと思うぐらいだった。

 階段を降りて外に出る。まだ残暑の続く季節なので、暑さのピークが過ぎても快適な気温とは言えなかった。

 右か左か。迷うまでもなく右。

 自宅からこの辺りに出てくるには電車でしばらく揺られなければならない。あまり馴染みのない場所なので、今日も比較的動きやすいこの時間は散策をしようと思った。

 ここ最近、よく訪れる場所がある。それは街の中にシンボルのようにある小さな山だった。

 山には住宅地から続く一本の階段があり、その階段の先には神社があった。階段を登り切って振り返れば街が一望でき、ちょうど地平線に夕日が沈んでいくのが見られる。そして一日を何もせず過ごした自分、それから明日も何もしないだろう自分を忘れさせてくれるのがその景色だった。

 夕暮れは六時過ぎ。それまで山の麓をぶらぶらしようと思った。

 僕は昨日も訪れた老舗の団子屋を尋ねる。それは小道を行くとひっそりとあって、ゆっくりと涼めるいい場所だった。

 すりガラスの引き戸を開けると、カラカラと音がたつ。奥からエプロンをした店主が出てきて「あれ、昨日の」と驚いた表情を見せた。

「また来ました。舌がずっと覚えていたみたいです」

「まあまあ、そうなの? それは良かった。いらっしゃい、どうぞ」

 人のよさそうな笑みを浮かべて、慌ただしく奥へと下がっていった。

 席で待っているとすぐにお茶の入った湯呑が出される。メニューには目を通さず「黒ゴマで」と注文した。

「はいはい、黒ゴマね」そう繰り返して厨房へと戻っていく。

 また一人になって、僕は湯呑へと手を伸ばした。味が分かる前に一気に飲み干す。まだ物足りない気がした。とはいえ、食べる前に満腹になりそうだったので我慢をすることにした。

 待っている間、僕は考え事をする。もっとも、考えることのほとんどは幽霊に関することだった。



 幽霊を初めて見たと認識したのは高校二年生の頃だったと思う。友人と街を歩いていたら、ビルの屋上から飛び降りようとしている人を見つけたのが最初だった。

 そのときの僕はそれまでに一度も幽霊を見たことが無かったから、屋上に立っていたのが幽霊だとは露程も思わなかった。見た目は生きている人間と変わりなく、顔色も蒼白としていた。

 僕は「あっ」と言っていたと思う。そして指を差して友人に見たことを知らせた。

 飛び降りようとしている人がいる。こういうときはどうすればいいのか、と。

 けれど友人の反応は非常事態にそぐわない淡白としたものだった。見えていないのか、冗談だと片付けようとする。

 ビルの下を通る人も一度は上を見たものの、何も見なかったかのように過ぎていった。

もちろん僕だけは事の重大さを分かっていた。だから警察にも通報をしようとした。それを全力で止めてきたのが友人だった。

 曰く、疲かれているのだという。熱でもあるのかもしれないと言った。

 友人の説得、周囲の反応。

 段々と冷静になって、おかしいのは自分の方だと思うようになった。

 これが幽霊を初めて見たときの日のこと。

 その日の出来事が何だったのかを知るのは、その後、頻繁にいないはずの人を見るようになって理解することとなる。

 幽霊しかあり得ない。どんなに非現実的な結論でも、どんなに現代の考えから外れていようとも、調べれば調べるほどその可能性しか提示されなくて、強固になっていく。

 幽霊を認めるのは容易なことではなかった。半信半疑で、本当は錯覚ではないかとも思うような日々が続いた。

 本当に最悪の毎日だった。

 そんなときに出会ったのが愛染さんだった。愛染さんはこのときから攻めたファッションをしていた。

「あれが見えるのか」そう突然声をかけられ、「なんのことですか」ととぼけたのを覚えている。

 僕が見えていたのは歩道橋の欄干(らんかん)に立っている幽霊だった。まさか同じものを見ているとは思わなかったので、咄嗟(とっさ)の判断で嘘をついたのだ。

「もしも君が見ているものが事実だと分かったらどう思う」

 目を合わせたのがいけなかったのだろう。僕は真面目に語りかけてくるその目からそらすことができなかった。そのまま知らないふりをすることも考えていた。けれど気圧されて、頭が回らず、思ったことを口にしたのだった。

「分かりません。何が本当で何が嘘なのか。それが事実だったとして、何かが変わるのか。正直、もう分からなくなっています」

 確かこのとき、愛染さんは何度も頷いていたと思う。

「最初はそういうものさ。人っていうのは空想する生き物だ。ただ、そこには落とし穴がある。空想が大きくなればなるほど、人は余剰な不安を抱きやすい。もし見たものが事実であれば、もし聞いたものが事実であれば、はたまた嗅いだことが事実だと分かったならば、向き合い方も自然と変わっていくものだ。要するに君は間違っていない。正常で、事実を正確に観測できている」

 それから愛染さんは幽霊の特徴を細かく列挙した。それは僕が見ている幽霊とまったく同じ特徴をしていた。

 猜疑心(さいぎしん)が確信に変わっていく。

 気が付けば手元には名刺を持っていた。

「あたしはいつでも歓迎する」

 そう言って去っていき、次の日には事務所を訪れていったのだった。

 その後のことというのは、愛染さんの体たらくを観察する日々が続いた。あの人は二十四時間、怠惰に過ごしているのだ。

 そして時折活動するときには、心霊治療師としてのノウハウを教えてもらった。除霊の研鑽(けんさん)を積み、今では一人で任せられるほどには信頼をされている。

 当然、その中で幽霊に対する考え方も変わっていった。そのことは感謝してもしきれない。言わば恩人で、太陽が西から昇ると言えば、きっとそうなのだろう。

 ただ、そんな愛染さんにも一点だけどうしても言いたい小言があった。愛染さんは除霊を仕事としてしか請け負わないのだ。

 幽霊には理由があってそこに存在している。その理由は大抵、暗い背景があった。要するに彼らは後悔に囚われた悲劇の存在で、それを黙って見過ごすというのも最近は後ろめたい感情があった。

どうして愛染さんが仕事でしか除霊をしないのか。きっとそこには大人の事情があるのだろうと思う。

 


 皿を空け、お茶をもらうと思った。会計横の椅子でぼんやりとしていた店主に声をかけると、「はいはい」と厨房へ行って、お茶の入った容器を持ってきた。

 お茶を注いでいるときに「石住(いしずみ)さんのところで世話になっているの?」と聞かれる。

石住さんが分からなかったので「いえ、違いますけど」と答えた。

「でも、この辺の方じゃないんでしょう?」

背白(せしろ)のほうから来ました」

「変ねえ」目が細められた。

 店主はカウンター横の椅子を引き、また腰を下ろす。

「この辺って何も無いでしょう?」

「そうなんですか?」

「観光する場所なんてないわよ。気になったのはね、二日も続けてここへ来てくれたことなの。考えてもごらんなさいよ、一日ならたまたまだと思うでしょう? それが二日だと、どちらの方かしらって気になるものよ」

 確かにこの辺に来るようになったのは最近のことだ。それに街から外れている場所なので、地域住民の(いこ)いの場としてこの店があるのかもしれない。

そこへふらっと現れたのだから、そのことを珍しがっているのだろう。

「これでも、あれこれ考えたのよ。平日のこの時間に二日とも来られるってことは学生さんよね?」

「ええ、二回生になります」

「もしかして近隣に越してきたのかなとも思ったわ。けど、それだと時期がおかしいわよねえ」

 考え事をするときの仕草なのだろう。背筋を伸ばして、右手で(あご)を触っていた。

「だから私、石住さんのところでお世話になっているんだと思ったの。それなら後で挨拶をしなきゃねえって」

「石住さんて何をされている方なんですか?」

「日本庭園の専門家よ」

「遠方から尋ねられるぐらい有名な方なんですね」

 一部の人には知られている人なのだろう。日本庭園には(うと)かったので、僕は知らなかったけれど。

「私もまだ若者のつもりでいたけど、怪しくなってきたかしら」

「いえ、悪いのは僕の方だと思いますよ」

「そんな、悪いだなんて、ねえ? お客さんに言わせることじゃないわ」

「問としてあまり良い問題とは言えませんから」

「そう?」

 特徴があればそこをヒントに答えまでの道を辿って行くことができる。もしカメラを持っていれば、それだけで背景が推察できるのだろう。

 ヒントになるのは二日連続で僕が現れたことのみ。ここから得られる情報は、この付近に用があったのだろうということだけだった。

「実はすぐそこの山に興味があって、最近この付近をうろうろしているんです」

「山って平塚山のことよね。しばらく登っていないけど、上に神社があったかしら」

「その神社についてちょっと調べ物をしていて」

 店主は不思議そうな表情を浮かべていた。

 その理由もなんとなく分かる気がする。あの山はインターネットで調べても詳しい情報が出てこない山なのだ。歴史や伝承が無ければ、どこに魅力があるのだろうと思われるに違いない。

「あら、そうなの?」と遅れて反応を見せた。「でも、どうして?」。

「多分ですけど、あの山で事件か何かがあったと思うんです」

「事件」

「あ、いえ、大きな事件ではないんです。ちょっとした地域で噂されるぐらいの事件が知りたくて。何か知ってますか?」

 店主は「そうねえ」と言って昔のことを思い出そうとした。「そういえば」とハッとしたように言う。

「何年前だったかしら。もう亡くなった方なんだけど、認知症を患っている方である日、失踪したことがあったのよ。名前は藤島さんだったかしら。その人が山頂の神社で見つかったって騒動があったわ」

「その方はよく神社に通われていたんですか?」

「どうかしら。あの山って健康のために登るっていう人も結構いるのよね。そう言えば孫娘がどうとかって言っていたかしら。詳しいことは分からないけど、孫を探してあの山を登ったみたい」

「ちなみにそのお孫さんの年齢は」

「そのときにはもう成人していたはずよ。だから、きっと昔のことを思い出したのね。よく夕方になると迎えに行ったのかもしれないわ。ええ、きっとそうね」

 僕は今聞いた話を持っていた情報と比較していた。

 調査の対象としている幽霊と、考えれば考えるほど類似している点が多いと思った。これは偶然ではない。そう思える程に。

「なんの調査なの? まさか警察の方じゃないんでしょう?」

「ただの学生です」

「分かったわ、大学の宿題で調べているのね」

「そんなとことです」

 というわけで知りたいことを知った僕は、ここに長居する理由も無いと思った。

「そろそろ」と言って勘定を済ませ、団子屋を出る。日差しは弱まっていたが、昼に猛威を振るった名残りが、むっとした空気に現れていた。

 蝉の鳴き声が山の方から聞こえてくる。夏も終わりが近づくと、鳴き声の種類が変わるらしい。

 この日、僕は山には行かなかった。


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