序章8 「14歳の恋愛事情」
――入学から一ヶ月以上が過ぎた頃。
新規開拓するように猛勉強しながらも変わらずに続けている事があった。
生活が習慣化されていく時の中で、こればかりは変化よりも継続が大切だ。
「499」
まだ太陽が登り始めたばかりの時刻。風を切る音と汗の飛沫が宙を舞った。体温が冷める程度に空気が冷たくて、火照る体にはちょうど良い気温と湿度。最高のトレーニング日和だ。
「500」
そしてコウキは最後の素振りを終えた。
上段、中段、下段、振り下ろしの4セットを各500回、計2000回こなすのが入学当初からの日課。
だがいつも通りの日常に見えて今回はそうでもない。普段の鍛錬にスパイスのような付き人がついている。
「お疲れ様〜」
えへへ、と朝から元気満点の金髪少女がそこにはいた。
友人の妹でありクラスメイトであり親友のテイナだ。緩く巻いた金髪と着崩した制服、ばっちりのメイク。ある意味で朝トレーニングを欠かさないコウキよりも抜かりがないように思う。
「おべんと作ってみた!元気出そーなやつ」
「お、おう、ありがとう」
食べて食べて〜と箱を持って来るがめちゃくちゃ緑色だ。おそらくブロッコリーだとか、そういう栄養価が高い緑黄色野菜をかなり薄味で調理したお弁当だ。照り焼きが好物の14歳のコウキからしたら半分地獄みたいな内容である。
とはいえ女の子が弁当を作ってくれる事なんて初めてなので、コウキも満更ではない態度で一口いただく。
「ん、おいしい」
「でしょ!?やっぱイケるクチだねコーキは」
ただの野菜だという感想しかなかったが、こういうのは空気を読むべきだ。それに普段食べない事を考えれば偶に食べる事は健康的だとも思った。
「どうしよっかなあ、野菜は大きいから毎日二人分くらいは作れるよ!」
「あ、うん。それは大丈夫」
非常に手間だろうからここは遠慮しておこう。
「そう?いつでも言って!」
「なんか今日テンション高くない?」
コウキは素直な疑問を投げてみた。当日の朝から練習を見させろだとか、お弁当を作ってくるだとか。明らかにこの一ヶ月では出てこなかった新しい動きだった。
「そう?だってさーこの間はロイ君もコーキも特別生になったんだよ!コーキとか毎日練習してたじゃん?努力報われたみたいで嬉し〜的な?」
「あ、練習してたの見てたんだ」
「もち!」
芝生に寝転びはじめて足をパタパタと振り、笑顔でお話ししてくるテイナ。その発言に少しコウキはどきっとしたに違いない。照れくさそうな様子で「ありがと」等と小さく呟いていた。
「それに」
「それに?」
「明日はお兄ぃの誕生日なの!」
「あっ…………つまり」
「そう!アタシも誕生日なんだぁ〜!」
それじゃねーか、とコウキは心の中でツッコミを入れた。
××××××××××××××××××××
おそらくプレゼントが欲しかった訳ではない。
素直に誕生日が良い思い出なのだろう。育ちがいいんだろうなとコウキは結論付けた。
練習も終わりノアール共用のシャワー室から出ると、るんるんのテイナが入り口で待っていた。
「誕生日何が欲しいんだ?」
「え、いいよ物なんて。おめでとうだけ頂戴〜」
「とは言ってもなぁ」
聞いてしまったからには何かを送らなきゃいけないような、そんな小さな使命感に駆られてしまったコウキである。
「そもそもプレゼントなんてきっと渡したくて渡すくらいの感じだよ?あまり義務を感じるのはよくなくない?」
「たしかに」
「そ、だからいいの。お祝いの言葉が一番嬉しい」
理屈では分かっていてもやはり何かもどかしい物だ。何となくコウキなりに思考して回答をしてみることにした。
「なら俺が渡したいから欲しい物教えて」
「えっ」
テイナの表情がやや硬直した。
しかし、何かを察したのか穏やかな表情となりコウキの目を射抜く。
「それは特別な物?」
「まぁ、お祝いだからな」
「そうじゃなくて……えっと」
頭に人差し指を置き少し困ったような仕草を見せた。その姿が何となくコウキには印象的だった。
「例えば、ミアさんとアタシ、どっちかにプレゼント渡すならどっちに渡す?」
「――えっ…………それは」
コウキは突然のミアに硬直した。
彼女にプレゼントを渡している自分が想像つかない。その上で恥ずかしさもありどこか嬉しさも感じるだろうと、様々な感情は溢れるものの纏まりはつかなかった。故に、黙るしかなかった。
「ね、そういう事!アタシ“友達”からはお祝いの言葉で、その、充分というか」
「悪い」
「――っ」
テイナの表情は段々と陰りはじめて、コウキの謝罪を気に話が終わる。
しばらく会話ができなさそうなので「先行く」とだけ伝え、湯冷めしないうちに髪を乾かすべく自室へ戻った。
「何言ってんだろう。自分に冷めそう」
真顔で呟く声を、たまたま聞いていたロイは静かにその場を去った。
××××××××××××××××××××
風魔法を使い自室で髪を乾かしていると、普段寝ているはずのロイがいない事に気づいた。
しかしすぐに扉を蹴破るほどの勢いでロイが入ってきた。
「びっくりした。めずらしく朝早いな」
「あぁそうだな。少しいいか?」
表情の多いロイが珍しく真剣にこちらを見つめてくる。何かあるなと考えてコウキは風魔法を止めた。
「真剣な話か?」
「大マジだ」
「何かあったのか」
「自分の心に聞いてみな!って言いたいところだけど、オマエとはそれなりの仲だから苦手なのは理解してやる」
「え、何なんだ」
コウキは素直に疑問を抱くとロイが歯痒そうに頭をわしゃわしゃと掻きむしった。
首を左右に振って目を合わせる。
「オマエ、好きな人いるか?」
「……………………………………は?」
コウキは開いた口が塞がらなかった。
女性関連の話はした事があっても、恋愛の話など今まで一度もない。ロイの様子がおかしい事は明白だった。
「だから、好きな人いるかって」
「え、待って何急に、俺のこと抱こうとしてる?」
「ちげーよ!いいから答えろ」
「好きな人は」
「今誰か過ったろ。ナイチチだな?」
図星すぎて言葉に困った。確かにミアを連想したのは間違いではなかった。まだミアの事ナイチチと呼んでるのか、とも思ったが何か怒られそうなので本質を避ける話はやめておく。
「確かに過ったんだが……好きかどうかまでは」
「知る術がない、と。そう思うんだよな?」
「そ、そうだけど」
「けど、なんだ?」
「ど、どうしたんだよロイ。ちょっとおかしいぞ」
思った事を言うと、ロイはガシッとコウキの両肩を掴む。
「おかしいのはオマエだ」
「な、なんだよ」
「中途半端でいいのか?その気持ちが」
「ミアに対してか?仕方ないだろ、まだそんなに」
「そんなに仲良くないと誰が好きか分からないか?オマエ、付き合える可能性の有る無しの話をしてないか?好きだから近づくのではなく、付き合える感じかどうかを知った上で好きになろうとしてないか?」
「な、お前――」
「ボクが間違ってるか?目を見て答えろ」
部屋に反響する、真剣なロイの言葉にコウキは平静を取り戻した。
何かから逃げるようにしている自分に気付いたのだ。それが何かまではコウキには分からない。
「いいか。オマエはボクなんかよりずっといい男なのかも知れない」
「……」
「才能もあって諦めない。毎朝くだらねーと思うくらい大真面目に努力してやがる」
「それは自分の為だ」
「そうだな。でも自分とそれだけ向き合えるなら人とも向き合いやがれ。オマエを見てくれてる人たちが、いつか居なくならないように、安心してオマエを支えられるように、他人にも努力を分けろ」
「ロイ……」
ロイは怒りの感情ではなくあくまでコウキを諭すように言った。
彼がここまで真剣に話をすることは過去にない事例だ。
「周りには辛くて苦しい、でも好きで居たい、そんな気持ちをずっと殺さなきゃならない奴だって居る。そうやってモジモジしてる奴が悪いと思うか?ボクは違うと思う。世界と一緒で強い奴が変えていくべきだ。オマエに隙が無ければ、他人が好きになる余地もねぇって事くらいは覚えとけよ」
「ごめん。俺にはロイの言葉を全て受け入れる事はできない」
「おま――」
「でも、分かった。分かるまでは必ず覚えておく」
真剣なロイの眼差しにやられたコウキは今の台詞を心に留めた。
留めた上で、理解する努力をしていこうと考えた。
「まぁ、一旦はそれで見逃してやる」
「ありがとな」
「オマエ、本当に分かって――」
「分かってるよ、俺なりに」
コウキが言葉を遮る。
少し強い彼の口調にロイが言葉を選んだ。
「…………どうする気なんだよ」
「ミアをか?それともテイナの話か?」
話の核心をあえてコウキは剥き出しにする。
普段のやり取りで察する事ができないご都合主義の鈍感さが欲しい。そうコウキ自身も羨んだほどだ。実際はそうなることも無くある程度の理解はとうに出来ていた。
「おま……」
「見てたんだろ、シャワー室の件」
「し、知らねえよあんなの」
「ロイは優しいな。俺なんかよりずっとイケてるよ」
コウキはそれだけ言って部屋を後にした。
「格好つけやがって、バカがよ」
ロイも言い過ぎたと、それなりに反省するのだった。
××××××××××××××××××××
その日は三人、何となくぎこちない感じで夜を迎えてしまった。
内容としては二次応用魔術理論が始まったり、精霊剣のクラス別実技試験があったりとそれなりに充実した1日だった。しかし朝からてんやわんやで身にならず、ついでにコウキの用事も相待って時間が長く感じた。
「はぁ」
こんなに1日が疲れたのは人生で初めてだった。
今日は初めての事尽くしで明日の朝トレにまで響きそうな程だ。
そして寝る前の最後。
やるべきことのために生徒手帳を開く。これも、初めての事だった。
《今何してる》
メッセージ欄で簡潔に文を打つと、返事はすぐに来た。
《ベッドにいる》
流石はギャルだ、打つ速度が尋常ではない。コウキはそう思った。メッセージ欄には“テイナ”の文字が書かれており、これがテイナとの正真正銘初メッセージである。
《明日朝会えないか。話がある》
《何時?》
《朝トレの後》
《うーん。授業前はお兄ぃと予定ある》
《そっか》
コウキは言葉に詰まった。計画では朝トレの後にお話をしようと考えていたのだが。仮にそれが出来ないとなると以降はロイが一緒になる。次にちゃんと話せる機会を考えるしかない。
《誘うの下手か!朝トレの前でいいよ!》
なんて気遣いの文章が来てしまった。
《いいのか、相当早いけど》
《いいよ、お弁当作る時間だし。実は今日作りすぎたから、明日はもう大丈夫なんだ》
これもテイナなりの気遣いだろうか。なんて事を考えてみたが埒が開かないので一旦甘える事にした。
《それじゃ、朝トレの前に》
《うん。早いから寝るね。おやすみ》
《おやすい》
誤字ったが、一旦はこれでよしとしよう。
コウキは深々と布団にくるまって1日に感謝して眠った。