Λ 幽霊
更衣室で脱いだ服を再度着る僕。
余分な着替える服などはないので、今日一日着ていた服を着回す。
当然だが、服に染み付いている臭いは取れない。
こんな事ならば、今朝の中華料理屋からチャイナドレスでも拝借してくれば良かった。あんな物でも、寝巻きくらいにはなるだろう。
体を洗った事によって更に際立つ服からの匂いに顔を顰めつつ、部屋に戻る為にフロントを横切ろうとする。
フロントには、先程の幼い幽霊がいる。
僕が軽く手を振ると、彼女は恥ずかしそうにフロントの陰に体を隠した。どうやら、今までに出会った事のない奇妙な男の出現に警戒している様だ。
本当に子供の様な行動で微笑ましい限りだ。そんな事を考えていると、違和感に気づく。
「んん?」
何かが足りない様な……?
「ああ、そうだ」
先程までフロントにいた、お姉さんが居ない。
フロントに備え付けられた時計を確認すると、時間は既に二十二時。
もう寝ちゃったのかな?
それにしてはフロントの明かりは切れていない。
ホテルの常識などは知らないが、二十二時にフロントから人が消えるなんてあり得るのだろうか?
「……まぁ、単にサボってるだけか」
最もらしい理由を付ける。
あの人ならば、あり得ない話ではない。真面目そうに働いていたが、所々で適当な部分が見える人だった。
そうでないと、僕とエレナという怪しい二人組を泊めるわけがない。
大雑把なフロントのお姉さんに感謝しつつ僕は廊下を進み、先程の豪華な部屋の扉を開ける。
すると……
「ハハハハハハハっ!幽霊なのに!ははっ!凄いわ!」
「ちょっと!笑わないでください!」
部屋の中には大笑いしているエレナと、それに憤慨するライムがいた。どうやら先程言っていた夢の話とやらを、ペンを使ってエレナとしていたのだろう。
それにしても、エレナが笑うようなユニークな夢って……?
「ただいま」
「あっ!お帰りなさい。ちょっと、ユーヤ聞いてよ。ライムちゃんったら、」
こちらに気付き、嬉々として夢の内容を話そうとするエレナ。
しかし、そんなエレナは背後から忍び寄る影に気づく余地はなかった。
「ダメです!言わないで下さい!!!」
その影とは、幽霊であるライムだった。ライムはポシェットから取り出した奇妙な鉄の棒をエレナに突き刺す。
「フベベベベベベベベベベベヘ」
するとエレナは電気が流れた様に全身を震わせ、その場で倒れる。
「はぁっはぁっ、んっ……はぁっ。私、やっちゃいました……」
ライムが自分の両手を悲しそうに見つめ、苦しげに呟く。
ーーーーーー静寂が訪れる。
その部屋に満ちたのは純然たる悪意ではなく、ただただ秘密を守りたかったという願いだけだったのに、発声による即時のコミュニケーションが不可能なだけで、こんな結末を辿ってしまうとは。
そんな現場に、たまたま居合わせてしまった僕がやるべき事とは…………
「なんか、やばい殺人現場みたいになってる……!!」
特には、無いだろう。
人生経験の少ない僕には、こうやって小粋なジョークを挟む程度しかできる事はない。
しかし、それでも特に問題はない。
ライムはやけに深刻そうな表情だが、秘密をバラそうとしたエレナが悪いし、コレくらいの罰がちょうどいい。
地面に昏倒したエレナは未だにビクビク震えてはいるが、恐らくは命に問題は無いだろう…………多分。
僕は部屋に入り、その足で冷蔵庫へと向かい、中に入っているミネラルウォーターを飲み干す。
「ふぅ」
久々のお風呂だからといって、長風呂しすぎた様だ。
風呂場で失った水分が、再び補給されて全身を巡る感覚。
お風呂上がりでの冷たい水分の補給ほどに気持ちの良いものは、そうそうに無い。
僕は敢えて部屋の惨状を無視して、ソファに座り直す。
優雅なひと時だ。今晩はもう寝てもいいのではないかと思い始めた、そんな時。
『ヴォォォォォォォォォォアォォォォォォ』
……とても歪な、うねる様な音が聞こえてきた。
「ヒィ!な、何ですか、この声!も、もしかして、地獄さんが怒ってきたのでは!!ごめんなさいごめんなさい、もう悪い事はしません」
ライムが頭を抱えて恐ろしそうに机の下に潜る。
「コレは!?もしかして、もしかするんじゃないかしら!!!!」
そんなライムとは対照的に、さっきまで倒れ伏していたエレナが嬉しそうに飛び起きた。
この人は、心霊現象が起きるとHPがマックスに戻る様なスキルでも持っているのだろうか。
それにしても嫌な予感がする……。
「イクわよ!!!」
「いってらっしゃい」
「ええ!行ってくるわ!!」
エレナは部屋から飛び出して行く。…………が直ぐに部屋に戻ってくる。
「ユーヤ!!貴方も来るのよ!!」
嫌な予感は当たってしまったようだ。
「さぁ!早く!!」
エレナは僕の返答など聞かずに、僕の手を引き勢いよく部屋から再度飛び出す。
「ひ、ひとりにしないでくださいーー!」
そんな僕らの後ろを、ライムが急いでついてくる。
部屋から連れ出された僕がエレナに引き摺られて向かった先は、廊下の奥と思われた僕たちの部屋の更に奥。 終わりと思えた廊下の死角に存在した、地下へと通じる階段だった。
薄暗い階段を降りた先には直ぐに扉があり、恐ろしい声はそこから聞こえている様だ。
「……行くわよ」
エレナが恐る恐る階段を降りて行く。
僕も気は進まないが、彼女のボディガードである以上ついて行かないわけにはいかないので、エレナの直ぐ後ろを追従する。
階段を一歩降りるたびに大きくなる、唸る様な音。
一向に緊張が走る。 緊張からか、途轍もなく長く感じる階段を降りきり、先頭を歩くエレナが扉を開けると、そこには……。
「ヴァアアアァァァヴォォォォォォォ」
とても大きなマッサージチェアで、全身を揉みほぐされて唸り声を上げる、フロントの お姉さんがいた。
「夜な夜な響く、叫び声って……」
「ああああれえええええ?ゆううううううやくんんんんんんん?どおおおおおしたのおおおおおお?」
こんなのが、幽霊騒動の真相だなんて。
コレで幽霊の噂が立つのは、フロントの幼女も不本意極まりないだろう。
「私の期待を返して欲しいわ……」
項垂れるエレナ。
しかし僕とエレナは拍子抜けしたが、マッサージチェアという物を知らないライムの反応は違った。
「ええええええい!」
ライムが、先程エレナを昏倒させた鉄の棒をマッサージチェアに押し当てる。
すると、動いていたマッサージチェアが完全停止する。
それだけならばいい。それだけでは無く、もちろん受付のお姉さんは……
「あべべべべべべべべべべ」
マッサージチェアであげていた声より酷い叫び声を上げる。
そして、機能停止したマッサージチェアに沈み込む様に気絶した。
「ふぅ。良かったです。食べられちゃう所でしたね」
「いや、清々しそうにしないで!人間が昏倒してる姿なんて僕、今日はじめて見たよ?!」
しかも、短時間で二人もだ。
「ねぇ。もしかしてライムちゃんは、トロルくらいに大きい化け物なのかしら?いや、私は別にそれでも構わないけど、イメージと違うなーって……」
「珍しくエレナですら引いてる!安心してください!ライムは可愛い女の子です!」
「か、かわいいだなんて!ユーヤさん!そんな、恥ずかしいです!!」
ライムは顔を真っ赤にし、僕をハタく。
鉄の棒を持った方の手で。
「ギャァアアアアアアアアア!!」
全身に振動が走り、目の前に電気が弾ける。
なん、で……裸は大丈夫なのに、可愛いはダメなん……だよ…………。
「ゆ、ユーヤ!」
僕を慮るエレナの姿が映ったのを最後に、僕の意識はブラックアウトした。