Λ 捨てられた結果
宿泊する部屋の中は、経験上これ以上ない程に広くて豪華だった。 見るからにふかふかそうなベッドにオシャレなアンティークの机とソファ。
部屋に備え付けのシャワールームが何故かガラス張りで何処からでも見れる様になっているのは、僕にはどういった趣旨なのかは分からないが、きっと高いホテルというのはこういうものなのだろう。
引きずって来たエレナを部屋の中にぶち込むと、僕はその勢いのままにベッドに飛び込む。
ボヨォォォン。
あぁ~~~~~~~~~。カ・イ・カ・ン。
こんなふかふかのベッドで寝るなんて、約二年ぶりだ。
受付のお姉さんに感謝しなければ。
「……あの受付の女性、とんでもない部屋を選んでくれたわね」
そんな僕とは真逆で、エレナは何故か頭を抱えてため息を吐く。
「何を言っているんですか、エレナさん。ベッドが有るだけ感謝しないと」
「貴方は幸福の閾値が低すぎよ。それに、そのベッドも一つしかないじゃない」
「えっ?確かにそうですけど、サイズ的に二人で寝れる大きさですよ?」
「貴方はそれで良いの?」
「はい。僕は……」
そうだ。よくよく考えると、こんなに怪しい見た目をしているがエレナも女性なのだった。僕と同じベッドで寝るのは、嫌悪感があるに違いない。
「すいません……。僕は、ソファで寝ます……」
うぅ。でも最後にふかふかベッドで、もう1バウンドくらいはしたい。
ボヨォォォン。
あぁ……悲しい。
名残惜しいが僕はベッドから離れ、そしてソファを何度か叩く。
はぁ……。ベッドよりは硬いなぁ……。でも、これでも……ベンチよりは断然マシだ。
「…………もう!貴方が良いなら、別にベッドで一緒に寝て良いわよ!だから、そんな悲しそうな顔をしないで頂戴!」
「えっ!良いんですか!?やった……!」
僕はまたベッドに飛び込む。
ボヨォォォン。
コレコレ。この弾力が良いんだ。
「……本当に貴方、感情豊かになったわね。今朝に出会った時の誰にも心を許してない様な貴方からは、到底じゃないけど想像が出来ないわ」
そんな遊ぶ僕を見て、エレナが感慨深そうに呟く。
……しまった。 どうやら、はしゃぎすぎた様だ。
このホテルも、この部屋もこのベッドも。そして今の満腹感も、全てエレナに与えられたものだった。
それに、僕の今の仕事は曲がりなりにもエレナのボディガード。
何を一人で遊んでいるのだ。
本来ならば、この一分一秒にもボディガードとしての金銭が生じている。
エレナが求めているのは、きっと今朝に出会った時の様な僕であって、遊びにうつつを抜かす様な間抜けではない筈。
「すいません。ボディガードという事を忘れていました。やっぱり、僕はソファで寝ます」
僕はすぐさまベッドから降りてエレナに向き合い、頭を深く下げる。
そのまま深く謝意が伝わる様に頭を下げ続ける僕へ、無言でエレナが近づいてくる。
そしてエレナは僕の頭のすぐ近くで立ち止まると、掌を僕の顎に引っ掛けて、僕の頭を顎ごと持ち上げた。
謝罪の為に下げた頭を強制的に上げさせられた僕は、僕より少し身長の高いエレナの顔を見上げる形になる。
相変わらず、顔を全て隠しているために表情は伺えない。しかし……どうやら怒ってはいない様だ。まだ出会って半日しか経っていないが、それ位は鈍感な僕でも分かる様になってきた。
しばらくサングラス越しにエレナと見つめ合う。聞こえるのは、互いの呼吸音と衣擦れの音だけ。
……まるで時間が止まった様だ。
今日丸一日、ライムとエレナがひっきりなしに僕に話しかけてくれていたので感じなかった静寂。
その片方のライムは、今頃まだフロントの幼い幽霊と話している事だろう。
ライムがいないのとエレナが無言になるだけで、これだけ静かになるとは。
それにしても、ほぼ密着していると言っても過言ではない距離で嗅ぐエレナの匂いは、 見た目とは反してとても良い匂いだった。
それはまるで太陽を連想させる様な明るく鼻に突き抜ける匂いで、今更ながら中華料理屋でメガネを外した時に視えた、エレナの燃える様な赤色を思い出した。
そんな思考の中、静寂の終わりは突然訪れた。
「……まるで宝石みたいに、綺麗ね」
「えっ?」
そう呟くとエレナは僕の顎を解放し、距離を取る。
「すぐに謝る癖を直しなさいって言おうと思ったけど、やめたわ」
鈍感な僕の予想は外れていて、少しだけではあるがエレナは怒っていた様だ。
僕の感覚を信じるのは、もう辞めよう。
「すいませ、……あっ。謝ったらダメなんですよね?」
「そう言おうと思ったけど、やめたわ。だって、“人間の生き様に口を出す”なんて私の信条に反するもの」
そう言うとエレナは、半ばこの状況を断ち切る様に机に置いてあったリモコンを手に取り、部屋に備え付けられていた大型のテレビの電源をつけて、テレビの真正面のソファへと座る。
僕もただ突っ立っているのも手持ち無沙汰なので、ソファにエレナから少し離れて座る。
離れて座ったのは、別に密着してドキドキしたからではない。いや、ほんの少しだけそういうのもあったかもしれないが、相手は全身を隠してる様な怪しい人物だ。
いい匂いだとしても、まさか、そんなことにはならない……筈だ。
そんな事を考えながら一人ドギマギしていると、エレナが舌打ちをする。
「いやっ!違いますよ!」
僕は機嫌を損ねたと思い、すぐによく分からない言い訳を口にする。
「わっ!突然大きな声を出さないで頂戴、ビックリしたじゃない!というより、違うって、何のことかしら?」
「いや、だってエレナさん、舌打ちしたじゃないですか……」
「あぁ、そういうこと。御免なさいね、私はこのニュースに対してちょっとイライラしただけだから、心配しないで」
「ニュース?」
確かに電源をつけたテレビでは、ニュースが流れていた。
ニュースの内容は……。
「テロリスト?」
流れているニュースでは、見出しで大きく“アイオライトにテロリストが潜伏”と映し出されていた。
「本当にテロリストは腹が立つわ。こんな奴らがのさばってる内は、この世界はダメね。早く淘汰しないと」
テロリスト……今まで実際に僕が被害に遭ったことがないので、その恐怖はよく分か らないが、確かに新聞などのメディアではよく取り上げられている話題だ。
それだけ重要度の高い……いや、危険度の高い話題なのだろう。
しかしアイオライトとは……。
今はエレナのボディガード期間だから良いが、それも終身雇用とはいかない。
またアイトライトの暖気の恩恵を得るために都市に戻る時に、とても困る。
「早くアイオライトから出て行ってくれると良いですね」
「一度来たんだから、今離れたとしても何度でも来るわ。ダメよ、駆除しないと」
「駆除って……そんな、虫じゃないんだから」
「そうね、虫が可哀想だったわ。虫はあらゆる生命を生み出すけど、アイツらは奪うだけ。比べるだけ間違いね、言い直すわ。アイツらテロリストは、きっちり殺さないと」
エレナの過激な発言に度肝を抜かれる。
過去に何かテロリストの被害にでも遭ったのだろうか?
しかし僕のそんな思考は、テロリストの話題に続くニュースの内容で掻き消された。
“次の話題です。我らが国カナダに拠点を構えるR-IN companyの新社長、カドナ氏が世界的飲食店チェーンであるタクドナルドを買収したとの事です。R-IN companyは皆が知っている様に、世界有数の会社の証であるGMの一つです。次なるGM会議にも多数の企業を代表して出席する為、今後の動きにも更に注目が必要です”
「アール、イン……カンパニー…………」
テレビに大きく映し出されるR-IN companyの文字。
そして、現在の代表である女性が映し出される。
その女性は、とても美しい女性であった。
しかし、そんな美しいという感情を塗り潰すかの様に、僕の胸に激痛が走る。
血液の代用品として熱した鉛を流し込まれたかの様に、心臓を発端として全身に広がる震え、動悸、そして耐え難い痛み。
苦悶に表情を歪め、心臓の辺りを両手で抑える僕。
「あら、R-INじゃない。最近社長が変わってからは本当に絶好調ね。にしても、流石は世界有数の企業ね!タクドナルドを買収するなんて、凄くない?」
そんな僕に気付かずにエレナは、テレビの感想を話す。
「ねぇ?そう思うでしょ、ユーヤ?……ユーヤ!?大丈夫!?」
どうやら、僕の様子に気付いた様だ。
エレナは、心臓を抑える僕の背中を心配そうに撫でる。
……申し訳なくなる。僕なんかの事で、エレナに心配をかけてしまうなんて。
「大丈夫!!??救急車、呼ぼうかしら?!!!」
「い、いえ……だい、じょうぶです……」
僕はエレナを心配させない様に、無理やり笑顔を浮かべる。
しかし痛みのあまり上手く笑えず、より心配を掛けてしまった様だ。
エレナの息を呑む音がする。
「いいえ、救急車を呼ぶわ。今日一日ユーヤを引きずり回した私には、その責任がある」
エレナは懐からスマートフォンを取り出し、手早く911と押そうとする。
「やめてください!!!」
僕はそんなエレナの手を、スマートフォンごと払う。
飛んでいくスマートフォン。
未だに雑音を垂れ流すテレビの音が虚しく響く中、僕とエレナの時間は一瞬止まる。
しかしエレナはただ驚いただけで、手を出した僕に怒る事はなかった。
「本当の本当に、大丈夫なのね?死んだりしない?」
そればかりか、こちらの状態を深刻そうに慮る。
「はぁはぁっはぁ……すぐに、治ります。お願い、です。迷惑を……掛けたくないんです」
こんな発作、すぐに治る筈だ。
しかしそんな僕の思いに反抗する様に、より痛みは強くなる。
「っつぅ……お願い、です」
その痛みに耐えられずに、僕は更に身体をくの字に曲げる。
もう、エレナの表情も見れない。
どんな表情を浮かべているのだろうか?
虚勢を張り切れもしない、愚かな僕を蔑んでやいないだろうか?
「……わかったわ。ただ、これだけはさせて頂戴」
しかし僕のネガティブな考えとは相反して、エレナはまた僕の背中を優しく摩る。
優しい。
優し、すぎる。
優しくしないで欲しい、見放して欲しい。
その気遣いが、僕には辛いのだ。
言葉の通りエレナは、僕の息が整うまで、そして心臓の異常な痛みが抑えつけられるまで、そうしてくれているだろう。
僕も、それを無理に辞めさせたりはしなかった。
何故ならば、例えその行為が僕の心臓への更なる重責になると分かっていても、彼女の 優しさが背中を通して伝わって来たから。辞めさせるに辞めさせられない。
きっと辛く当たっても、彼女は先程のように僕を慮るだけなのだから。
そうしたまま、どれくらい時間が経っただろうか?
今回はいつもより長かった気がする。やはり、エレナに心配を掛けたのが悪かったのだろう。負担がより大きくなってしまった。
「有難う御座います。もう、大丈夫です」
「……そう。よかったわ」
エレナは安心した様にホッと一息つく。
その姿を見たら、エレナからの心配で、更にしんどかったなどとは言えなくなってしまう。もっともそんな悪辣な言葉は、元より言うつもりも無かった。
何故ならば、この発作も、僕の弱さが招いているものだからだ。
「何で……そうなったか、聞いても良いかしら?」
エレナは腫れ物を扱うかの様に、慎重に僕へ質問を投げかける。
「……PTSD、なんです」
僕は、出来るだけエレナに表情が見られない様に俯きながら話す。
なぜなら今から話す内容を僕がどんな表情で語るのか、自分ですらも想像が付かなかったから。
「PTSD?それって、その……病気の?」
「はい」
PTSD。別名、心的外傷後ストレス障害。戦後の兵隊によく起きる病気だ。
死の危険などの恐怖体験に直面した後、その体験の記憶が自分の意志とは関係なくフラッシュバックを起こす病で、それにより様々な症状を引き起こす。症状の例として動悸や息切れ、不安でパニックを起こす事もある。
しかし、戦争なんて長らくこの世界では起きていない。
だから僕の場合は……
「両親の店が上手くいかなくて、借金が嵩んで僕が捨てられたって話をしましたよね?」
「ええ」
「両親が経営する店……いいえ、レストランは、初めは経営が上手くいっていたんです」
「じゃあ、何で……」
「R-IN company が手掛けるレストランが、隣に建つまでは」
エレナが、大きな唾を飲み込む音がする。
そんなエレナの反応も、当然だ。
何故なら、それから両親のレストランに何が起きたのかは、火を見るより明らかなのだから。
「R-IN companyの店は、完璧でした。安い、美味しい、美しい。全て揃っていて、僕の両親の店じゃ、相手にすらなりませんでした」
「…………」
「それから経営が赤字になって借金ができて、両親が店を捨てるまでは本当にすぐの出来事で……まるで魔法にでもかかってしまったかのようだったのを、今でも覚えています」
「……その時のR-IN companyは強引な手法が多かった。そういったやり方で潰された店も当時は数多くあったわ。でも一年前、悪逆非道を尽くした代表の女は、その娘へと世代交代した。彼女が代表を降ろされた時はさぞかし酷い様だったらしいわ。結局パワープレイは身を滅ぼすってことだったのでしょうけど、それでも会社のしたことは変わらないし、信用問題も解消するわけがない。だから……貴方は、R-IN companyを恨んでいいわ」
「……いいえ、僕は恨んではいませんよ。結局、商売は勝負の世界。そもそも食品事業に強いR-IN companyのお膝元であるカナダのアイオライトで、レストランなんて成功する筈がなかったんです。僕が両親に捨てられたのも、僕のせい。恨む筋合いなんて、無いんです」
すでに吹っ切れた筈なんだ。
すでに結論も出た筈なんだ。
僕を取り巻く環境ではない。僕が悪いのだ。
それで、良いだけの話なのに……何故こんなにも、心臓が苦しくなるんだ。
「……優しいのね」
「いいえ、優しい訳ではないですよ。ただただ、他人に押し付ける責任から逃れているだけです」
責任転嫁した先で、何が起こるのかは目に見えている。
自分の中で完結した方が簡単で……楽だ。
僕が悪くて、他は何も悪くない。
それで、何も間違っていない筈なんだ。
「……あーもう!本当にネガティブね!貴方は優しいわよ!優しすぎるくらいだわ!私なら腹が立つのなら、どんな相手だろうと許さないもの!もし私がそんな事をされたら、相手の会社の窓をぜーんぶ割るくらいしそうだわ」
エレナはわざと滑稽に、そして仰々しく手足を振る。
「ふふふっ。それをやったらテロリストと同じですよ。……でも、励ましてくれたんですよね、有難う御座います」
「……フンッ!別にそんなんじゃないわ。私のただの感想よ、感想」
「そういう事にしておきますね」
「なーにーよ!そのニヤけた顔は!心配して損したわ!さっさとお風呂に行ってきなさい!さっき近づいた時に思ったけど、ちょっとくさいわよ、貴方」
良かった、上手く笑えたみたいだ。それにしても臭いなんて、酷い言いようだ。
「分かりました。でも、覗かないでくださいね?」
「誰が部屋の風呂に入れって言ったのよ!大浴場に決まってるでしょうが!」
「えっ?そこじゃダメなんですか?」
「ダメに決まってるでしょ!変な所で強気ね貴方!」
「分かりました」
そういえば、エントランスホールにはまだライムがいる筈だ。ついでに軽く話をしてから大浴場に向かおう。
ジト目で僕を睨むエレナを尻目に、僕は部屋から出た。