Λ 森を抜ければ
アイオライトより車で数時間。
幾つもの山を越えて、鬱蒼とした森の中を走る僕たちのレンタカー。
「そろそろよ」
カーナビを眺めつつ運転するエレナが、自信満々な声で話す。
運転中の、『あれ~コッチかしら?多分コッチね!』なんて言葉が無ければ、もっとその言葉を信じることができた。
辺りの暗さとエレナの曖昧な運転が合わさり、どんどんと僕は不安に駆られてくる。
「ユーヤさん、楽しみですね!時間も掛かってるし、きっと凄い所なんですよ!」
「そ、そうだね……」
こんな状況でも、ライムは鼻歌を歌って楽しそうだ。
状況から考えると今から着く場所は、ある意味で凄まじい場所ではあるだろうから、ライムの能天気さが羨ましい。
……いつも寝ているベンチより、良い環境である事を祈るばかりだ。
助手席で観るカーナビには、目的地には残り十分程度で着くと映し出されていた。
しかし電灯は我らの走る道路からは永らく消失しており、車のヘッドライトでしか照らせない前方の暗闇には未だに何の光も灯っていない。
「そろそろ何処に行くか話してくれませんか?」
焦れた僕は、今まで怖くて聞けていなかった事を今更ながら聞く。先のレストランでは、今晩の宿に向かうとの話だったので、流石に何かしらの建物があると思うのだが……。
「あら?話してなかったかしら?今から向かうのは、オーロラハイヴっていうペンションよ」
「ペンション!何ですか!それ!」
ライムはペンで宙に文字を描く。
それを見てエレナは全く驚かないどころか、少し興奮した様に語り始める。
「ペンションってのは、宿泊施設なの。で!今から行くのは、その一つでオーロラハイヴって所ね。何とその宿はね、オーロラが観れるって話よ!それに幽霊が棲んでいるとかで、夜な夜な凄い叫び声が響くらしいわ!!ヒューゥ!気になるわねぇ!一体どんな幽霊と困難が私達を待ち受けているのかしら!!」
最後に話したのがメインの目的なのだろうな……。
本当にオカルトが好きな人だ。
「へーー!凄いですね!オーロラ、よく分かりませんが楽しみです!でも、幽霊さんも居るんですね……」
ライムが何かを考える様に顔を俯かせる。
そういえば、あまりライムと他の幽霊の話はしたことがなかった。
何か気になることでもあるのだろうか?
それにしてもエレナは文章だけでのやりとりではあるが、もうライムと打ち解けている。
こんな怪奇現象を受け入れているのは、本当に何だかなぁと思う。
……もっともこの感情も、嫉妬心と独占欲からくる物なのだろうが。
「こんな山奥に、本当にそんなペンションがあるんですか?」
「ええ!こんな山奥だからこそ、ちょっと信憑性があると思わない?やっぱり人気のない所ってゾクゾクするわ!今も後部座席に突然人影が現れないか、常に確認しながら運転してるもの!あっ!でも、もう車内に一人幽霊ちゃんがいたわね!あぁ、体の芯から震えるわ。これが、もしかして霊感!?」
「いや、多分寒いからだと思いますよ?」
凍結防止用のアイオライトに敷かれた機械化地面による放熱機構は、既に都市部を離れた時点で失われている。その機構のおかげで冬でも寒さに苦しむ事がなくベンチで過ごせていたのだが、都市部を離れると冬という季節柄、どうしても寒さが際立つ。
暖房の効ききらない、このアンティークじみたレンタカーでは尚更だ。
「突然現実に戻すのは辞めなさい、悲しくなるから。でもヘーキ。私にはライムちゃんが居るんだもん!」
エレナは上機嫌にハンドルをニギニギして、空中に投げキッスを送る。
本当にこの人は、オカルトが絡むと突然頭のネジが外れる。
その様子に呆れて僕は、目を閉じてため息を吐く。
そんな僕の耳に、ライムとエレナの声が同時に響いた。
「アッ!見えてきました!アレですか!?」 「見えて来たわね」
閉じた目を開けると、鬱蒼とした木々が突然と開け、そこには明りの灯ったペンションが確かに存在した。
少し古めかしい外観で、ペンションというよりかは小金持ちの所有する洋館と言った方が正しいだろう。
しかし、思ったより規模は大きい。恐らく、二十組程度は泊まれるのではないだろうか?
「風情があるわね!正に幽霊屋敷って感じだわ!」
敢えて思わない様にしてた事をこの人は……。
周りの鬱蒼とした森。ポツンと立っている古めかしい館。
これぞまさしく、ザ・幽霊屋敷だ。
「きっと中に入ると、家具が飛んできたり、赤子の悲鳴が聞こえて来たり、突然電気が消えたりするんだわ……」
エレナは、これから起こるであろう出来事に身体を震わせている。
……もちろん恐ろしくてではなく、心の底からの興奮による震えなのだろうが。
「そ、そんな事が起こるんですか!?こ、怖いです!」
そんなエレナの言葉に、ライムが頭を抱えて怯える。
なんで、幽霊が怖がってるんだ。普通は立場が逆だろう。
「はぁ……」
この二人、ツッコみ所が多すぎる。心の中でツッコむだけでも重労働だ。
「あら?何そのため息。もしかして、もう幽霊が見えてたり!?」
「いえ、違います。ただ、これから先の事が不安になっただけです」
「そうなの?でも、不安っていう割には楽しげな表情だけど?」
「……エレナさんの気のせいですよ」
「ふふ。そういう事にしておこうかしら」
まったく、この人は。まったくもって、まったくだ。
僕達は館の前にある、既に一台だけ車が停まっている駐車場にレンタカーを停めると、 直ぐにペンションの正面にある大きな扉を開けた。
「たのもーう!」
エレナが大きな声を上げながら館にズンズンと入っていく。
その後ろに続く僕と、僕の背中にピッタリとくっついて離れないライム。
本当に背後霊みたいになってしまった。少し可愛い。
しかし、そんなライムの恐怖とは裏腹に、館に入ってすぐのエントランスはとてもでは無いが幽霊屋敷とは言えない様な、手入れの行き届いた素晴らしく煌びやかな空間となっていた。
上質なフロントのカウンターに、綺麗に並べられたソファと机。
綺麗に磨かれた大理石の床。 全てそこらのホテルに見劣りしない。
「「いらっしゃいませ」」
エントランスに入った僕達に、フロントより声がかけられる。
そちらを向く僕。
「えっ?」
カウンターには、二十歳半ばほどの女性がいた。
しかし僕が驚いたのは、彼女に対してではない。
その女性の横には……なんと、一人の幼い容姿をした幽霊がいた。
……本当に幽霊がいるとは思わなかった。
本来ならば幽霊は見えない存在の筈。
だから幽霊屋敷としての噂が広まれば広まる程に、その信憑性が薄れていく物だとばかり思っていたのだが、どうやら今回は館の雰囲気から付けられた噂がドンピシャで当たりを引いていた例の様だ。
その幽霊の子は僕達がフロントへと向かう中、ずっと笑顔でこちらに手を振り続けている。
ライムもその子に気付くが、少しだけ躊躇した後に手を振りかえした。
そういえば、幽霊同士のコミュニケーションは見た事がなかった。
手を振り返す事を少しライムが躊躇していた所を見るに、あまり幽霊同士というのは相容れないモノだったりするのだろうか?
しかしそんな僕の予想を他所に、幼い幽霊はカウンターから離れてこちらに近寄り、その勢いのままにライムに抱きつく。
「おねーさん!いらっしゃいませ!」
そんな言葉を見た目通りの舌足らずの発音で話し、彼女は満面の笑みを浮かべる。
そんな幼い幽霊を相手に、ライムも笑顔で彼女の頭を撫でる。
一瞬頭によぎった不安は、どうやら僕の杞憂であった様だ。そりゃそうだ。数少ない仲間が、仲が悪いわけないじゃないか。相変わらずのネガティブ思考が嫌になる。
「一番幽霊の出やすい部屋は何処かしら?」
「いや、幽霊なんてうちのペンションには居ませんよ」
「分かるわ。一般人には秘密にしたいものね。でも、私は大丈夫よ。私は既にその存在が実在する事を確信しているのだから」
「は、はあ。そうですか……」
そんな幽霊達を他所に、エレナはフロントのお姉さんへと思想強めに絡んでいる。
今からでも他人としてやり直すことは出来ないだろうか?
まだフロントのエレナとは少し距離がある。
別の客として振る舞えるかもしれない。
「ユーヤ!そんな所で止まってないで、早く来なさい!」
そんな希望は、たった今消え去った様だ。渋々僕はエレナの横に並ぶ。
「さあ、早く幽霊を出しなさい!」
「ご宿泊で宜しいでしょうか?」
いまだに幽霊の話を続けるエレナを無視して、受付のお姉さんが僕に話しかけてくる。 エレナよりは話が通じるという判断だろう。
「はい。間違い無いです」
「えっ……はい。畏まりました」
マトモすぎてビックリした、みたいな表情やめろ。
「それでは、こちらの宿泊リストに氏名の記入をお願いします」
「はい。分かりました」
そうして出された宿泊リストに名前を記入する。
幽凪幽夜……っと。
……ん? 何故か、名前を日本語で書いてしまった。ああ、そういうことか。
細かく指導が行き届いていない個人経営ホテル特有のズボラさで、出された宿泊リストには他の客の名前が隠されずに記載されている。
その宿泊リストの僕の一つ上の宿泊客が日本人客で、その客が自分の名前を日本の漢字で書いていたから、それについ釣られてしまったのだ。
「つちみかど、きよあき?」
その名前が珍しくて、つい日本語で読み上げてしまう。
「おん?俺に何か用か?」
そんな誰に向けた訳でもない言葉に、まさかの日本語で返事が返ってくる。そちらを向くとエントランスの階段があり、ちょうど二階から降りてきた男女の男の方がコチラを訝しげに見ている。
「す、すいません!たまたま日本語が目についたもので!」
僕はすぐさま日本語で、階段から降りてきた彼に頭を下げて謝る。
「ん?なんだ。君は日本人……なのか?流暢に話すし、そうだよな?」
「はい!そうです!日本人です!すいませんでした!」
「成る程な。確かに日本人がこんな所にいるのは珍しいよな」
その男は黒髪黒目で、まるで葬式に着ていく様なブラックスーツと百八十を超える身長を除けば、まさに日本人という風体をしている。
「ふふふ」
そして、男の横で楽しそうにしている女性も同じく黒髪黒目。
こちらは男のブラックスーツとは違い、日本の伝統的な着物を着ている。
それはそれで日本の間違った認識を広めそうではあるが、これ以上ない程にザ・日本人といったオーラを纏っている。
「涼音、何がおかしい」
「いえ……ふふっ。だって、きよあきですって」
「うるせえうるせえ。こちとら間違えられ慣れてるんだ」
どうやら、名前を間違えて読んでしまった様だ。
中学一年までしか日本に居なかった弊害が出てしまった。
「あの!間違えてたなら謝ります!すいませんでした!」
「君も謝るな。てか、さっきから何回謝ってんだよ!コールセンターのバイトか、お前は!」
「すいません!」
「はい!また謝ったぁ!四回目です!」
「すいませ「言わせないぜ!五回目は無いからな!」
頭を下げようとする僕の頭を、近づいてきた男は無理矢理に手で押さえつける。
「誰よ、そのうるさい男。名前を知らなかったし、知り合いじゃ無いわよね?」
そんな僕とブラックスーツの男を見て、エレナがまさかの日本語で話しかけてくる。
「いや、最もうるさい貴方が言うのは間違いでしょ」
そしてまさかのフロントのお姉さんも、ジト目でエレナを睨みながら、日本語で話す。 何だここは。森を抜けたら、そこは日本だった……のか?
というか、日本語を話せる人ってこんなに多いものなのか?
「エレナさん、日本語話せたんですね」
「あら?当然よ。私を誰だと思ってるの?」
「「「不審者」」」
「ああ、そういえばそうだったわ」
これで平然としてるんだから、大物なんだか何なんだか分からない。
「私は一応、ホテルのフロントだからね。何ヶ国かは話せるよ~。日本語はアニメーションが好きだから真っ先に覚えたわ。というかユーヤ君、日本人だったのね。意外だわ~」 「はい、生まれながらに色素が薄くて」
「薄いってレベルじゃなくない!?」
「ははは」
こうして日本語で話していると、昔を思い出してくる。日本に居た頃は楽しかった。
確かに外見を揶揄されることも多かったが、何やかんやコミュニケーションをとってやっていけていた。
それも日本の義務教育の賜物だろう。
カナダに来た当初は頼りにしていたハシゴを外された様な気分で、毎日怯えて暮らして居たものだ。
そんな取り戻すことの出来ない過去を思い出す僕に、幼女と遊んでいたライムが近づいてくる。
「ユーヤさん!」
ライムはどうしても伝えたいことがある様に、真剣な目でこちらを見つめる。
「何だいライム」
僕は小声で返答する。
「私もその言葉、話せます!」
張り合うかの様に、日本語を話すライム。
「ライムも話せるんかい!」
なんでライムが日本語を?また幽霊パワーか何か?
お陰で、つい大きな声をあげてしまった。
ハッとして、周りを見渡す。しかし、誰も特別な反応は見せて居なかった。
フロントのお姉さんはエレナにまた至極面倒な絡みを受けており、日本人客の二人は既にエントランスを抜けた先の、大浴場と書いてある廊下に向かって歩き出していた。
少しホッとする。
また、異物扱いされるのはゴメンだ。
エレナは受け入れてくれたが、他の人はどうか分からない。
「さぁさぁ、本性を表しなさい幽霊娘!私には分かるんだから!」
「いつのまにか私が幽霊になってるし……。ユーヤ君、この人止めて~!もう部屋は一番おっきな所で良いから~!場所は一階のあっち側の奥の部屋ね~」
そうして受付のお姉さんは指で方向を差しながら、僕に部屋の鍵を投げてくる。
「はい!分かりました!」
僕はその鍵をキャッチすると、暴れるエレナを引きずり、何とか一階の奥にある一番大きな部屋に入るのであった。