閑話
…… 幽界。
それは幽霊の住む世界であり、僕達人間が住む世界とは異なる位相に存在する世界だ。
X軸とY軸で我らの世界が構成されているのならば、そのすぐ隣のZ軸に幽界は存在する、という例えが正しいだろう。
何回かの機会を得て幽霊から聞いた話によると、幽霊は人間の世界と、そして人間自体が観測できるそうだ。
幽霊達が、こちらの世界の事を知識として浅く持っているのは、この為だ。つまり我ら人間と幽霊は、似て非なる世界を互いに不可侵ながらも共有している。
しかし、何故彼ら幽霊のみが多元的な視点を持つことができるのか。
それは恐らく、彼ら幽霊は人間よりも高位な次元の存在だからだ。
人類との個体数の差、そして性質の違いを比べると分かりやすい。
幽霊は、人類と比べて数が圧倒的に少ない。
そして… 死なない。歳を取らないらしい。
コレだけを取って観ると、彼らが人間とは比べ物にならない上位存在である事は明白だ。
しかし、だからこそ彼らが捨てたものがある。
それは、探究心。
人間の様に彼らは食べる必要がないので、食べ物を造らない。人間の様に彼らは自然に苦しめられる事が無いので、建築物を造らない。人間の様に寒冷に苦しむ事はないので、着飾らない。
そして……人間の様に資源を求めた争いはしないので、科学の発展もない。
しかし彼らは探究心が無くとも、ただ憧れた。
自分達に無い、短い生命の灯火が奏でる無駄のある機能美を。
しかし、それもただの無い物ねだりだ。
結局の所、彼らが憧れれば憧れるほど、人間の本質からは遠ざかる。
もし現世と幽界を隔てる楔が解き放たれたとしても、人間とは理解りあえない。
……話が脱線した様だ。ここで重要なのが、彼ら幽霊と僕達人類が全く別の生命である事だ。
通説として言われる、人類の死による行き先としての幽霊。それは全くの勘違いである。
人間の死の先に、何も無い。
霊になる事もない。
都合の良い転生もない。
蘇りも、勿論ない。ただの暗闇だ。
無だ。零だ。
しかし、だからこそ……