Λ レストラン
僕は生まれた時から、他の人には見えないものが見えていた。
それはいわゆる幽霊と言われるものだ。
恐らく、僕の人に色が付いて見える特殊な目の副産物なのだろう。
物心が付くまではよく中空を眺めたり、幽霊と会話したりしていて、その度にウチの子は大丈夫なのかと親に心配されたものだ。
もしかしたら、それも捨てられた理由の一つなのかもしれない。
変わった髪の色と目の色、オマケに怪しげなものまで見えていると来た。
自分の親のことながら、少し同情してしまう。
そんなことはさておき、僕としきりに話していたライムは、まさにこの怪しげな女性が言うように幽霊といわれるものだ。
といっても彼女が過去に人間で、死んでしまって幽霊になったという訳ではなく、こういった生命体として誕生、そして存在しているわけなのだが……。
とはいえ、どうしたものか?
彼女は明らかに怪しい人物なので、下手な返事をすると己の身が危ない。
むむむむむ…………。
当たらずとも外れていない女性の言葉に、僕は何を答えて良いのか分からなくなる。
そもそも人と話す機会も多くない僕にとって、リアクションを取り辛い質問は困るのだ。
何と言えば霊能力者ではないと考え直してくれるか思案していると、沈黙はそれ即ち肯定の証とも言わんばかりに、女性は更に激しく僕に詰め寄る。
「やっぱりそうだったんだわ!おかしいと思ったのよ!店のカウンターごしに見える様な場所でナイフを仕舞う馬鹿なんて、流石に居ないもの!きっと何かしらの霊的な力を使って犯人を暴いたのね!奇跡!!神様、有難うございます!追われて辿り着いたこんな場所で、とうとう本物に巡り合えるなんて!」
女性は手を胸の前で組み、恍惚とした声を上げる。
きっと布とサングラスで見えない表情も、同じ様に恍惚で染まっているだろう。
しかし、言っている内容が間違っていない事が恐ろしい。
「そうです!私、ユーレイです!私達みたいなのを、そういうんですよね!よろしくお願いします!って、私の事見えるのユーヤさんだけでした!すいません!」
挨拶で頭を下げた後に、すぐに謝罪で再度頭を下げるライム。
忙しないが、どこか愛嬌を感じる動作。
そんなライムの一挙手一投足が嫌味に感じないのは、その真っ直ぐな性格からだろう。
裏表がないというのは、本当に僕の様な陰気な人間からしたら、眩しく映る。
まあ、僕にしか見えないのだが。
にしても、どうやってこの人から逃げようか?
簡単には逃してくれなさそうな雰囲気だが……。
「ねえねえ!何かお礼させてくれないかしら!というより、今からラーンチでもどうかしらぁ!!奢るわよ!!」
「行きましょう」
奢りなら仕方ない。
タダ飯より美味い物は、この世にはない。それに僕がいくらチンケな存在だとしても、
行かない事により消費されなかった食糧がかわいそうだ。
「そのノリ、良いわね!それじゃ、レッツゴー!!」
しかし、その判断を僕はすぐに後悔する事になる。
「…………何だココ」
連れてこられたのは、アイオライト近郊のフレンチが食べられる店だ。
しかし、ただの店ではない。
開放的な窓から覗く、身だしなみの整った店員と客。
天井に吊り下がった、煌びやかなシャンデリア。
あまりにも美しい、机や椅子などの調度品。
そう、ここは……高級フレンチだ。
「ここ、凄い綺麗です!私、知ってます!お城って言うんですよね!」
ライムが店を見て目を輝かせるが、今は相手をしている心の余裕はない。
何故ならばあまりにも僕達が場違いな存在であり、その証明として入り口の前の僕たち三人(二人)に対して店の中の受付の人物が、非常に嫌そうな顔を向けているからだ。
そりゃそうだ。一人は全身隠した怪しげな奴。
もう一人は、小汚い物乞いの成れの果ての様な少年。
どちらも、不合格だ。
直ぐにここから立ち去りたい。
「さぁ。入るわよ」
「ちょちょちょ、ちょっと待って下さい!」
何を我が物顔で入ろうとしているのだ、この不審者は。身の程をわきまえてほしい。
「ん?どうかしたかしら?」
「イヤイヤイヤ!どうかしたとかじゃなくて!貴方、この店に来たことあるんですか?」
「いいや?無いわよ?ああ、そういえば私の名前、言ってなかったわね。私の名前は、エレナよ。宜しくね、マイリトル霊能力者さん」
「あ、ご丁寧にどうも。僕の名前はユウヤ=ユウナギです」
「アッラー!貴方、ジャパニーズなの!?確かに日本の知り合いに何処となく雰囲気が似てるわ!日本、良いわよね!ジャパニーズホラーはとてもリアリティがあって、私は何度もインスピレーションを刺激されたわ!まあ、霊感無いんだけど!ホホホホ」
「はぁ……そうですか」
日本に対してそこまでの地元愛は無いが、こうもテンションが上がってくれると少しは嬉しい物だ。
「って、そういう話じゃなくて!」
話を戻そうと大きな声を出す僕。不思議そうに首を捻るエレナ。未だに目を輝かせ、レストランを眺めるライム。
そんな誰が見てもキテレツな二人と幽霊一人に、突然開いた店の扉から声が掛かる。
「ちょっと、君達!!」
声をかけて来たのは、店から出てきた大柄な男だ。
どうやら入り口で騒ぐ僕たちに、受付の男が不気味がって呼んだのだろう。
大柄な彼の胸にはオーナーと書かれた札が付いており、どうやらこの店の責任者の様だ。
「店の前で騒がないで頂きたい。正直に言って迷惑だ」
そう言い男は、僕達に今すぐ帰れと手でジェスチャーを行う。
「すいませんすいません!スグにどきます!ほら!怒られたじゃないですか!行きますよ!」
僕はエレナの服を軽く引っ張って、店の前から退こうとする。
「あら、そんな必要ないわよ。ちょっと待ってなさい」
そういうと、エレナはオーナーの元へと近づいて行く。
そしてサングラスを外し、口元を少し開ける動作を見せる。
僕からは角度的にエレナの顔は見えなかったが、その顔を見たオーナーの顔は、みるみるうちに青く染まって行く。
そんなオーナーの様子を気にせず、エレナはオーナーへと軽く耳打ちを行う。
「・・・・・愛人・・・・・・秘密・・・」
エレナの小声ながらも断片的に聞こえてくる声で、僕も少し青ざめる。
この人は一体何を言っているんだ!?
それに、オーナーが顔を見ただけで青ざめるって……。
エレナは、それ程に恐ろしい顔をしているのだろうか?
やっぱり今からでも遅くない。
…… 逃げよう。
後ろを振り向き、そのまま走り出そうとする僕。
しかし既に交渉は終わったのか、エレナが僕の腕を引く。
どうやら最後のチャンスであったであろう、逃走の機会は失われてしまったようだ。
「さあ、話は付いたわ!行くわよ!」
「は、はい……」
……タダ飯より高い物はないと、今更ながら思い直した僕なのであった。
店内に入る僕達。
カウンターでエレナが何かの書類にサインをすると、オーナー自ら先導して店内を案内される。
それに続くエレナと、僕とライム。
そして案内された場所は入り口から見えた開けた空間にテーブルが何台も置かれた様なオープン席ではなく、とても豪華な個室の部屋であった。
……より一層心配になってきた。僕はこの空間から生きて帰れるのだろうか?
もしや、このまま一生この店の皿洗いなんて事も…… いや、高級レストランの皿洗いなんて極上の仕事につけるなんて、逆に儲け物か?
いやいや、料理されるのはオマエだ!なんて事も、あるのでは……。
成り行きのままに落ち着かない部屋の、落ち着かない程に豪華な席に案内された僕。
僕とエレナが席に着くと、オーナーが恭しく頭を下げながら話し出す。
「それでは、本日のフルコースをお二人分持って参ります。心ゆくまで、ご堪能ください」
「いえ、一人分でいいわよ」
「よろしいのですか?」
「ええ。私の分は必要ないわ」
「畏まりました」
心なしか安堵の表情を見せたオーナーは、高級店に似合った立ち振る舞い麗しい動作で部屋から出て行く。
「ユーヤさんユーヤさん」
ライムが、手を上げて僕を呼ぶ。
疑問で疑問で堪らないといった表情で、僕の反応を待っている姿を見ると、まるで僕が学校の先生になった様な気分になる。であれば、ライムは好奇心旺盛な生徒といったところだろうか?
なんにせよ、その姿を見ると微笑ましい気分になる。
「なんだい、ライム」
返事をすると、ライムは不思議そうに首を傾げながら、コチラにいつもの質問を投げかけるだけではなく、ポシェットから取り出した謎のペンで、なんと中空に何やら光る文字を書き始めた。
「エレナって、文字に起こすと、こう描くのですよね?」
そうして中空に浮き出た文字は、elenaという英語のスペルであった。
「それは、そうだけど……」
何だ、あのペンは。
ライムの持ってる能力……なのか?というかライムって、読み書き出来たのか。
って、そうじゃない。
そうじゃなくて、ライムの質問の意図が読めない。
エレナのスペルで、何か疑問に思う様な事が有ったのだろうか?
「何か気になることでも、「えーーーーーーーー!!ナニソレ何それ何其れ!!空中に文字が出てるわ!!!コレ、もしかして、幽霊の力なの?!?!」
僕の言葉に被せる様に、エレナが狂喜の声を上げる。
相変わらず、オーバーリアクションだ……ってあれ?
「エレナさん、この文字見えるんですか?」
僕は中空に浮き出た文字を指差す。
「ええ!バッチリ見えてるわ!コリャ大問題よ!写真を撮っても良いのかしら!?」
確かに大問題だ。何故ならば、能力が普通の人間の目に映し出されてる幽霊なんて、今までに見た事がない。エレナも、直前まで何も見えていなかった所を見るに、霊能力が発現したわけではないだろう。
「ライム……コレ…………」
僕は未だに発狂した声を上げるエレナを指差す。するとライムは、少しバツが悪そうな表情を見せた後に、片手で持ったペンを逆の手で指差し、そして話し始める。
「このペンの能力で、空中に文字が書けるんです。この文字は、一応……その……現実世界の人達にも見れます」
初耳だ。そもそも幽霊というものは何かしらの能力を持っているのだが、今まで出会った幽霊の中で能力によって現実世界に何かしらの影響を与えられる者は、誰一人といなかった。
それに幽霊はいつも、視えている僕と軽く話すとすぐに居なくなってしまうのが通例で、ずっと僕と近くで話して、何日もそばに居てくれている幽霊はライムが初めてだ。
ライムが特殊なのだろうか?過去視といい今のペンといい、ライムはすごい事だらけだ。
何も無い僕とは真逆の存在。
羨ましい、という感情が無いといえば嘘になるが、そんなライムが僕にしか視えていない、知覚出来ない事は、僕にとっても鼻が高い。
もっとも現実世界とコミュニケートできるペンの登場で、その鼻も少し縮み、ほんの僅かな嫉妬心が芽生えているのも事実であるのだが。
「幽霊さんは、ライムって言うの!?何て素敵な名前なのかしら!!もっともっともっーーーと知りたいわ!」
エレナは目を輝かせながら、僕のすぐ後ろに目線をやる。
ライムが僕に憑依しているとでも思ってるのだろうか?
ライムは僕の後ろではなく、見当違いの方向にいるのだが、まあ良いだろう。
「はい!私もコレをやって気味悪がられないの初めてです!いつもなら直ぐに皆んな逃げていっちゃうのに、私の事を知りたがってくれるなんて……ありがとうございます!」
そう言って深々と頭を下げるライム。
「ライム、ペンで書かないと通じないよ」
僕は感謝の念を送るライムに、アドバイスをする。
「そうでした!有難う御座います、ユーヤさん!」
またもペコリとコチラに頭を下げるライム。
それが終わると直ぐに、ライムはペンで中空に一言、ありがとうと描く。
それを見たエレナは、胸の前で掌を合わせて、フリーズしたかの様に動かなくなる。
「えっ!えっ!何か私、失礼な事しちゃいましたか!?」
エレナのその動作に、ライムがペンを片手にあたふたする。
「いや、大丈夫。多分、嬉しさのあまり昇天してるだけ」
「昇天……?」
「反応出来ないくらい嬉しかったって事だよ」
「はぇー、そうなんですね。びっくりしちゃいました!」
未だに合掌したまま動かないエレナと、胸を撫で下ろすライム。
本当に、賑やかだ。
「フフフ」
賑やかすぎて、つい笑ってしまう。少し前の僕では考えられない、温かな時間。
このきっかけを作ってくれたライムに再度感謝しなければならない。きっと今メガネを外したら僕は、いつもの透明ではない暖かい色をしているのではないだろうか?
もっとも実際に確認するのは怖いので、メガネを外すことはないが。
「あーーー!笑った!!」「ユーヤさん!笑いました!」
突然二人が声を合わせて、驚いた様にコチラを指差す。
「えっ、えっ?」
突然の二人の反応に驚く僕。笑ったって、何か悪いことをしただろうか?
「貴方、今までずっと暗い顔だったのに、やっと笑ってくれたわ!私、ずっと心配だったのよ、笑えない子なのかしらって」
そんなに僕は暗い顔をしていただろうか?
まあ、陰気度では僕は世界で一番を張れる自信があるが。
「そうですよ!ユーヤさん、声を出して笑うなんて、初めて見ました!笑ったユーヤさん、可愛いです!」
可愛いはどうなのだろう?男として微妙なところでは有る。
そんなオーバーリアクションな二人に苦笑いを返していると、個室のドアがノックされる。
そして少しした後に、先ほどのオーナー自らが前菜を部屋に運び込む。
「本日のオードブルです」
オードブル。なんと甘美な響きだ。僕の生きてるうちに、その言葉を聞くことが出来るとは。
もう死んでも良い。
「わぁ!綺麗です!」
ライムの言葉の通り、持ってこられた料理は今まで見たこともない程に様々な色で美しく彩られた一品ばかりで、まるで宝石箱が目の前に置かれている様な感覚に陥る。
僕の目の前に宝石箱を置いたオーナーは、すぐさま部屋から退場する。
僕はこの完成された料理を食べる事を一瞬躊躇するが、味に対する興味を我慢できずに、一口料理を食す。
……口にした瞬間、目から火花が飛び散る。
なんだ、これは。う、美味すぎる。
僕は料理が多少ではあるが得意、なんていう思い上がりを今すぐ教会に行って懺悔したい。
この作品と比べると、僕の料理なんて犬の餌にもならない。
いや、待て。コレ、オードブルだ。
オードブルとは番外の作品。
つまり食欲増進の為の物で、コースにすら含まれないと言われている。
それでこのレベル……?
一体メインはどうなってしまうんだ。
「どうしたんですか?ユーヤさん?」
食べた後に、何も話さない僕を心配そうにライムが覗き込む。
「ごめんライム。僕は今、この口の中の幸せを逃さない様にする事で、手一杯なんだ」
「ユーヤが満足出来る味で良かったわ」
エレナが頭を数回縦に振り、満足げな声をあげる。そこで、やっと僕は我に帰る。
そうだ、コレはエレナの奢りだったのだ。
というか、コレの代金は本当に払えるのか?!
「あの~、エレナさん?今回の料理の代金って……」
「ああ、手持ちは少ないけどクレカも持ってるし、問題ないわ。コース外の料理も頼んで良いわよ」
クレカ!?
それはもしや、クレジットカードの事か?
「クレジットカードの仕組みって知ってます?後で返さないとダメなんですよ?」
そう、クレジットカードとは悪魔のカード。使うときは金銭がその場で減るわけではないので気楽に使えるが、後で必ずしっぺ返しが来るのだ。
「心配性ね。でも大丈夫よ」
そう言うと、彼女は分厚い服の隙間からあるものを取り出し、机の上に投げ出す。
それは先程手持ちが少ないと言っていた金銭であり、つまりは紙幣だ。
しかし少ないという言葉とは裏腹に、その紙幣の分厚さは僕では想定できないほどの枚数であった。
「……どこで盗んできたんですか?返しに行った方が良いですよ」
「違うわよ!コレは本当の本当に私の稼いだお金!私って、そんなに疑わしいかしら!?」
「疑わしいです」「疑わしいかは分かりませんが、あんまり見た事ない服装です!」
僕だけでなく、ライムも好奇心からか、楽しそうに話す。その見た目ならそうなるだろう。
鏡があればすぐにエレナの目の前にかざすのに、残念だ。
「ぐぬぬ……。まあ、いいわ。これだけあったら、ここの代金も払えるでしょ?そんな事よりも、もっとユーヤとライムの話を聞かせてほしいわ!」
「んー。といっても何から話しましょうか…… 」
そんなことを思案していると、いつの間にかオードブルの皿が空になっていた。
いつの間に食べきってしまったのか記憶がないが、どうやらエレナと話しながらも手が止まっていなかったのだろう。料理が美味すぎて、体の制御が乗っ取られた様だ。
そんなことを考えていると、扉がノックされて先ほどと同じ様に、オーナーが部屋に入ってくる。
「本日のスープです」
彼は僕の目の前に金色に光るスープを置き、手短にスープの説明を行った後、部屋から退出していく。
ゴクリっ。
見るからに美味しそうなスープだ。とかく味が気になる。
僕は話しかけてきているエレナとライムの存在を完全に忘れて、我慢できずにそのスープに口を付けた。