第二十二話 ダブルイデア
「……なんですか、それ」
思わぬ言葉に、俺はゆっくりと慎重に聞き返した。
神南さんと鏡花さんも、初めて聞く単語だったのか怪訝な顔をしている。
イデア能力は一人につき一つだけ。
それがこの世界の常識であり、ルールなのだ。
「ダブルイデアって言うのはな、ある学者の提唱した理論上の概念や。理想的な条件が揃えば、イデアを二つ持つ人間ってのもあり得るらしい」
「……イデアはそれぞれの人間が持つもっとも強い願いが具現化した能力って言われてるいるのですよ。それが二つなんて、ほんとにあり得るんです?」
「超低確率らしいけどな。百年に一人どころか、千年に一人ぐらい生まれるかどうかの確率らしい」
そう言われて、ますます訝しげな顔をする鏡花さん。
一方で、俺の能力の一端を知っている神南さんは何とも言えない顔をした。
もし俺の能力がすべて別のイデアだとするなら、ダブルどころの話ではない。
神南さんに見せただけでも、軽く数十種類はあるからね。
ダブルでそれほど奇跡的なら、あれは一体なんだという話になる。
……実際は、根本的にイデアとは全く異なる異世界の魔法なわけだけど。
「ネットに出回ってる映像、見させてもろたで。アーティファクトやなんて誤魔化しとるようやけど、実際には別のものやろ? あれだけの威力があるアーティファクト、俺らが把握しとらんはずがない」
「俺らというのは、新沢さんが所属している炎鳳のことですか」
「そうや」
「なら、巨大カンパニーとはいえ把握していないことはあるはずでは」
俺はあえて、平静を装いつつそう言った。
すると新沢さんはゆっくりと首を横に振る。
「いんや、国内のアーティファクトの流通はほぼ一本化されとる。あれだけ強力なアーティファクトを、ついこの間まで討伐者ですらなかった君が密かに持つことはほとんど不可能や」
「俺のこと、調べたんですか?」
「当然やがな。十八歳で詩条カンパニーを訪れるまで、討伐者としての活動履歴は一切なし。それどころか、イデア能力者として登録すらされとらんかった。妹さんや友人、学校関連も調べたけどこれまたごく普通。怪しいとこなんて全くない、驚くほどの一般ピープルや」
そんなところまで調べたのかよ……!
俺は新沢さんの手回しの良さに、内心で舌を巻いた。
まだ動画が公開されてから、まだ大して日にちは経っていないのだ。
それで有名人でもない俺のことをそこまで調べているとは、炎鳳の情報力というのはやはり大したものらしい。
わざわざ妹さんと言ったのは、何もかも知っているというアピールだろう。
「せやからな、可能性としては一つ。桜坂君は十八歳にして、複数のイデアに覚醒した。ちゃうか?」
「……違います」
俺はハッキリとそう否定した。
すると新沢さんは、なぜかほうほうと驚いたような顔をする。
「なるほど。こりゃまためんどくせえなぁ……」
「あの、それはどういう意味で?」
「こっちの話や。んじゃ、質問を変えるけど、桜坂君のイデアについて詳細なことは話せへんの?」
「それは……言えるわけないじゃないですか」
イデアの情報は開示しない。
それがこの世界の討伐者の基本だ。
イデアを知られるということは、それすなわち弱点を知られるということ。
基本的には仲間にも開示しない情報を、同じカンパニーでもない人に教えられるはずがない。
新沢さんもそのことは重々承知しているのか、渋い顔をしながらもそれ以上は追及してこない。
やがて彼はグーッと大きく伸びをして言う。
「……しゃーないな。ほな、先にこの話をしよか」
「何の話ですか?」
「桜坂君、うちに来る気あらへん?」
前のめりになり、距離を詰めてくる新沢さん。
その親しげな口調とは裏腹に、目が全く笑っていなかった。
眼に見えない圧のようなものが全身にのしかかってくる。
しかしここで――。
「いくら何でも、社長の前で引き抜きとはやりすぎじゃないですか?」
すかさず、鏡花さんが会話に割って入ってきた。
いつものふわふわとした優しい声色とは明らかに違う、冷たい声だ。
神南さんも、鋭い眼で新坂さんを睨みつける。
「もちろん、ただでとは言わん。詩条カンパニーには相応の補償をさせてもらうつもりや」
そう言うと、新沢さんは懐から小切手を取り出した。
彼はそれをスッと鏡花さんに向かって差し出す。
げ、ゼロが一体いくつあるんだ……?
額面に記された金額は、パッと見ただけでは数えきれないほどの桁数だった。
「一億や。正式に桜坂君が契約したら、もう一億追加で払う」
「……なかなか思い切りましたね。でも、うちのエースをそんなはした金で買おうなんて、滑稽なのですよ」
「そうよ。その程度の金で転ぶなんて、安く見られたものだわ」
敬語も忘れて、吐き捨てるように言う神南さん。
彼女は俺の手を掴むと、そのまま立ち上がって座敷を出ようとした。
だがここで――。
「外野はええて。重要なのは、本人の意志やろ?」
たったひと睨みで、新沢さんは鏡花さんと神南さんを制した。
彼は俺の目を覗き込むと、静かながらもはっきりとした口調で言う。
「炎鳳ではいま、あるカテゴリー4ダンジョンの攻略を目指して動いとる。そのためには、まだ力が少し足りないんや。もし桜坂君が来てくれるなら、相応の待遇を用意するわ。それにな、俺たちと一緒なら……ダンジョンの秘密に近づけるかも知れへんで?」
「ダンジョンの秘密?」
「そうや。ダンジョンとはいったい何なのか、討伐者ならだれもが追い求める永遠の課題やろ? その重大な手掛かりをな、炎鳳はつかみつつあるんや」
打って変わって、新沢さんは明るい口調でそう告げた。
ダンジョンの秘密の手掛かりを、掴みつつあるだって……?
彼の言葉に、鏡花さんや神南さんまでもが目を見開く。
なるほど、この人はなかなかに……人を転がすのが上手そうだ。
そんなこと言われたら、誰だって気になってしまうだろう。
だがそれでも、俺は――。
「お断りさせてください」
そうきっぱりと告げるのであった。
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